熊野三山

世界遺産にも登録された、和歌山県の東部にある聖地「熊野三山」。
日本書紀にも記されている聖地です。

平安末期~鎌倉時代の院政期には、山深く険しい道にもかかわらず、上皇・法皇たちが盛んに熊野詣を行っていました。

それから参詣道が整備され、貴族や武士だけでなく、庶民に至るまで参詣者が集まるようになります。

「伊勢へ七度、熊野へ三度」といわれ、お伊勢参りに行ったらその足で熊野に参拝に行くのが定番になるほど人気だったのです。
その時の参詣者の多さから「蟻の熊野詣」と呼ばれていました。

そんな熊野三山についてまとめてみました。

熊野三山とは?どこにある?

熊野三山は、

  • 熊野本宮大社(和歌山県田辺市)
  • 熊野那智大社(那智勝浦町)
  • 熊野速玉大社(新宮市)

の三社を総称したものです。

それぞれ20km~40kmほど離れていますが、お互いの神々を祀るほどつながりが強かったので、まとめて熊野三山として信仰されてきました。

熊野の知名度が爆発的に上がったのが、平安・鎌倉時代の院政期。
京都から上皇や法皇、女院が熊野詣を行ったからです。

ちなみに、天皇が外出することを「行幸(ぎょうこう)」というのですが、上皇や法皇、女院が外出することを「御幸(ごこう)」といいます。

熊野御幸は、907年の宇田法皇から始まり、1281年の亀山上皇の御幸まで374年の間に盛んに行われました。
その間、、時の上皇や法皇の熊野御幸は合わせて100回以上も数えられています。

熊野古道が参詣道として急速に整備されたのはその頃です。

熊野詣は、鎌倉時代には上皇や貴族だけでなく、武士や庶民にも急速に広まり、江戸初期には身分や老若男女を問わず庶民でも訪れる人が絶えませんでした。
その様子が「蟻の熊野詣」とも呼ばれるほどだったのです。

熊野古道の代表的なルートは以下の通りです。

熊野古道の代表的なルート
  • 紀伊路(きいじ):京都・大阪を経て田辺市に向かうルート。
  • 中辺路(なかへち):田辺市から山中へ分け入り、本宮、新宮、那智へ至る、もっとも人気が高いルート。
  • 大辺路(おおへち):田辺市から海岸部を経て那智へ至るルート。
  • 小辺路(こへち):高野山と本宮を結ぶ、険しい山中ルート。
  • 伊勢路(いせじ):伊勢神宮と熊野三山を結ぶルート。
  • 大峯奥駈道(おおみねおくがけみち):吉野と熊野三山を結ぶ、修験道の修行のルート。

大峯奥駈道は今でも修験者が使う修行のための道で、一般の人には向いてませんが、その他の参詣道を使えば、多方面から熊野三山に向かうことができます。

車で行くこともできますし、昔ながらの熊野古道をハイキング気分で歩くこともできますよ。

熊野三山の起源

熊野三山は、今でこそ三山まとめて信仰されていますが、元々は自然崇拝の場所で、それぞれの関連性もありませんした。

自然崇拝は「自然そのものに神が宿る」と考える信仰で、特に人知を超えた巨大なものは信仰の対象となりました。

現在の三山それぞれの場所で主に信仰されていたのは、

  • 熊野本宮大社:森や熊野川
  • 熊野那智大社:那智の滝
  • 熊野速玉大社:神倉山の頂上にある「ゴトビキ岩」

です。

この頃はまだ、熊野三山として信仰されていたわけではありません。

また、奈良時代ごろまでは、修行をする修験道の行者もたくさんいて、山岳修行の霊場としても有名でした。

それから熊野三山として信仰されるようになるのは平安時代になってからです。
仏教や修験道と結びついて、熊野信仰に発展していきます。

熊野は「古事記」や「日本書紀」にも記されている「神武東征神話」の地

八咫烏

熊野の地は、古事記や日本書紀にも記されています。
それが、日本最古の英雄譚「神武東征神話」です。

神武天皇が日向(宮崎県)から東に向かい、大和(奈良県)で日本の初代天皇として即位するまでの話なのですが、順調に東に向かっていた神武天皇が東大阪の孔舎衛坂(くさえさか)で敗戦してしまいます。

その時、兄弟たちを失ったのですが、諦めずにも南に向かい、熊野で再上陸します。
そこで八咫烏(やたがらす)の道案内を得て大和の橿原までたどり着き、敵を倒して天皇になったという話です。

八咫烏は、中国神話にも登場する太陽の中に住むという三本足のカラスのこと。
太陽の中に住むということで、皇室の祖先神である「アマテラス」の使いとされています。

そのため、熊野三山では八咫烏がシンボルになっており、境内でも見つけることができたり、神札にも使われています。

熊野三山が聖地とされる理由

熊野三山が聖地とされる理由は主に3つ挙げられます。

一つは簡単にたどり着けない場所だということ。

熊野の地は、山と海に囲まれた辺境の地にあります。
樹木が鬱蒼と生い茂り、暗く神秘的な場所で、修験道の行者が修行の道として使うほど険しい道のりだったのです。

熊野の「熊」は「(くま)」に通じていて、奥地に秘められた、という意味に由来します。
俗から離れた大自然の中で祈りをささげられる場所だからこそ聖地なのです。

そして次は蘇りの力を持つと考えられていたこと。

熊野の「熊」にはもう一つ、「隠(こもる)」の意味もあります。
それは神々が隠れこもる場所であり、死者が集う場所「黄泉の国」でもあるのです。

日本書紀によると、イザナミの葬られた地として熊野が登場することからも、ここが黄泉の国だと考えていたんですね。

熊野を訪れて戻ってくることは、黄泉の国へ行き、生まれ変わって現世へ戻ってくるということを意味します。

つまり、生きながらにして魂が再生され復活できる場所、というわけです。
そして人々は、現世の罪を洗い流すために熊野に訪れていたのです。

最後の一つは極楽往生が保証されるということ。

浄土信仰が盛んになると、現世の安穏に加えて、来世のサポートまでしてくれるという信仰が生まれました。

背景にあるのは「末法思想」。
平安末期に流行した仏教の歴史観で、平安末期は釈迦の教えが届かない「末法の世」に入ります。
つまり、どんなに頑張っても悟りに至らないということです。

そんな時に日本で流行したのが浄土信仰。
自分で頑張らなくても、阿弥陀如来を信じていれば極楽浄土に連れて行ってくれるという思想です。

熊野は神仏習合の影響で、本宮大社の神が阿弥陀如来と同一とされたので、熊野に参詣すれば極楽浄土に連れて行ってもらえるということになります。

このように熊野は、現世も来世も安寧が保証されるパワースポットなのです。

熊野三山は、神と仏が融合した「神仏習合」の代表的な地

熊野は自然崇拝から始まったものの、時代が下るにつれてて信仰の形を変えながら発展していきました。
そんな発展に影響を与えたのが「神仏習合」です。

神仏習合というのは、神と仏が融合すること。
つまり、元々あった神道の世界観に、仏教の世界観や教えなどを融合して、新しい信仰の形に変化することです。

実際には修験道も習合していますからもっと複雑なのですが、このように色々な価値観が時代が下るとともに加わって、独特の信仰の形になっているのです。

浄熊野三山と神仏習合を知るキーワード「本地垂迹説」

熊野の神仏習合を理解するにあたって、知っておきたいことが「本時垂迹(ほんじすいじゃく)説」です。

本時垂迹説とは

「仏が人々を浄土まで導くために、仮に神の姿として現れたものだ」
と考える思想。
つまり、「神の正体は仏」ということ。

平安時代後期になると、熊野三山は浄土を求める人の聖地として信仰を集めるようになります。
その元になっている考え方が「本地垂迹説」です。

仏が神の姿(仮の姿)をしている時は「権現(ごんげん)」と言います。
「権」は、「仮に」という意味で、権現は「仮に」「現れる」となります。

一方で、本当の正体である仏は「本地仏」と言います。

熊野三所権現とその本地仏の関係はこのようになっています。

神社名 主祭神 本地仏
熊野本宮大社 家都美御子神(けつみこのおおかみ) 阿弥陀如来
熊野那智大社 牟須美大神(ふすみのおおかみ) 千手観音
熊野速玉大社 熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ) 薬師如来

仏教では、阿弥陀如来は西方極楽浄土、薬師如来は東方浄瑠璃浄土、千手観音は南方補陀落浄土の主とされています。
なので、それらの仏を信仰することで浄土に連れて行ってもらおうというわけでです。

平安後期からは末法の世に入りますから、浄土に往生することは、身分に関係なく人々の願いでした。
だからこぞって熊野に参拝しに来ていたと考えられますね。

熊野九十九王子って何?

熊野三山までの巡礼路沿いには、「〇〇王子」「〇〇王子社」「〇〇王子跡」と名前のつく場所がいくつかあります。

その場所は、道中を守護するために熊野権現の御子神を祀った場所です。
巡礼路にあるので「道標」としての役割を果たしながら、休憩や宿泊の場所としても使われました。

「九十九王子」というのは、そんな王子社の総称で、実際に九十九あるのではなく、それだけたくさんあるということを意味しています。

そんな王子社の中で格式が高いとされているのが、

  • 藤代王子(海南市)
  • 切目王子(印南町)
  • 稲派根王子(上富田町)
  • 滝尻王子(田辺市)
  • 発心門王子(本宮町)

の5つ。
5社合わせて「五体王子」と呼ばれています。

歴代の上皇・法皇たちはここでは必ず宿泊して、祈りを捧げたり、神楽や相撲、白拍子の舞などを奉納したと伝わります。

熊野三山(熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社)を紹介

熊野本宮大社

熊野本宮大社

熊野三山の中でもとりわけ古式ゆかしく厳かな雰囲気の漂う神社です。
158段の石段を上った小高い山に鎮座しています。

すぐ近くには、熊野権現が三体の月になって降臨したと伝わる聖なる地「大斎原(おおゆのはら)」があり、訪れることができます。

大斎原は熊野川・音無川・岩田川の合流点となる中洲があるのですが、かつてはそこに社殿がありました。
明治22年の大洪水で多くの社殿が流失したため、明治24年に現在の地に移築・再建されましたが、大斎原は今でも聖地として扱われている場所です。

門前には茶屋や土産屋、食事処があり、熊野詣や熊野信仰を知ることができる「世界遺産 熊野本宮館」もあります。大斎原を訪れたり、古い街並みを堪能することもできます。

熊野本宮大社周辺の立ち寄りスポット

熊野那智大社

熊野那智大社

日本一の落差を誇る「那智の滝」の信仰を起源とする神社です。
入り口の大門坂から473段の石段を登り、那智山の中腹にある社殿に到着します。

すぐ隣には、西国三十三所の第一番札所となる青岸渡寺が並び、青岸渡寺の境内からは、三重塔の背景に滝を配した絶景写真が撮れます。

滝のすぐ近くには、熊野那智大社の別宮「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」があり、滝のしぶきを浴びるほど近くから大迫力の滝を拝めるパワースポットとなっています。

門前には土産店や甘味処が並んでおり、広く散策できて景色も良いため、那智山だけでものんびり過ごせます。

熊野那智大社周辺の見どころ

熊野速玉大社

熊野速玉大社

熊野川の下流、河口近くに鎮座する神社です。
1200点にも上る国宝や国指定文化財の古神宝類を収蔵しています。

徒歩10分ほどのところには、速玉大社の摂社である神倉神社があり、御神体である「ゴトビキ岩」がそびえます。
元々はこの岩をご神体として祀っていましたが、景行天皇の時代に現在の地に社殿を移したことから、神倉神社を「元宮(もとみや)」、速玉大社を「新宮」と称するようになりました。

熊野速玉大社周辺の見どころ

熊野速玉大社周辺の立ち寄りスポット

熊野古道沿いの見どころ