和歌山県の東部に熊野三山と呼ばれる場所があります。
熊野三山は「伊勢へ七度、熊野へ三度」とうたわれ、伊勢に並ぶほど篤い信仰に支えられた聖地です。

そんな熊野三山についてまとめてみました。

熊野三山とは?

熊野三山は、田辺市にある「熊野本宮大社」、那智勝浦町にある「熊野那智大社」、新宮市にある「熊野速玉大社」の三社のことです。
それぞれ20km~40kmほど離れていますが、お互いの神々を祀るほどつながりが強く、まとめて熊野三山として信仰されてきました。

熊野三山に通じる参詣道は「熊野古道」と呼ばれています。
2004年、熊野三山や熊野古道は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。

熊野古道の代表的なルートは以下の通りです。

  • 紀伊路(きいじ):京都・大阪を経て田辺市に向かうルート。
  • 中辺路(なかへち):田辺市から山中へ分け入り、本宮、新宮、那智へ至る、もっとも人気が高いルート。
  • 大辺路(おおへち):田辺市から海岸部を経て那智へ至るルート。
  • 小辺路(こへち):高野山と本宮を結ぶ、険しい山中ルート。
  • 伊勢路(いせじ):伊勢神宮と熊野三山を結ぶルート
  • 大峯奥駈道(おおみねおくがけみち):吉野と熊野三山を結ぶ、修験道の修行のルート

大峯奥駈道は、参詣道というよりも修験者が使う修行のための道で、一般の人には向いてませんが、その他の熊野古道を使えば、多方面から熊野三山に向かうことができます。

熊野三山の起源

熊野三山は、今でこそ一体として考えられていますが、それぞれ個別の自然崇拝に起源を持っています。

  • 熊野本宮大社:森や熊野川
  • 熊野那智大社:那智の滝
  • 熊野速玉大社:神倉山の頂上にある「ゴトビキ岩」

それがやがて、仏教や修験道が入ってくるようになり、神仏習合の思想が浸透していく中で三山は結びつきを強めるようになります。
最初はそれぞれの主祭神を祀っていましたが、お互いの神も祀るようになり「熊野三所権現」と信仰されるようになりました。

熊野三山が聖地とされる理由

なぜ熊野三山が伊勢に並ぶほどの聖地になったのか?というと、それは熊野がよみがえりの地と考えられていたからです。

熊野は京都からみると、山に囲まれた辺境の地にあります。
樹木が鬱蒼と生い茂り、暗く神秘的な場所です。

熊野の熊は「(くま)」に通じていて、奥地に秘められた、という意味に由来します。
また、「隠(こもる)」の意味もあって、それは神々が隠れこもる場所であり、死者が集う場所「隠国(こもりく)」でもあるのです。

日本書紀によると、イザナミの葬られた地として熊野が登場することからも、ここが黄泉の国だと考えていたんですね。

熊野を訪れて戻ってくることは、黄泉の国へ行き、生まれ変わって現世へ戻ってくるということを意味します。

平安時代となる院政期には京都から上皇や法皇が、熊野古道を通じて100回以上も熊野に足を運びました。

そして鎌倉時代には上皇や貴族だけでなく、武士や庶民にも急速に広まり、江戸初期まで身分や老若男女を問わず訪れる人が絶えなかったので、「蟻の熊野詣」とも呼ばれるほど信仰されていたのです。

浄土の地としての熊野三山

平安時代後期になると、熊野三山は浄土を求める人の聖地として信仰を集めるようになります。
その元になっている考え方が「本地垂迹説」です。

本時垂迹説とは、
「神は人々を浄土まで導くために、仏が仮の姿になって現れたものだ」
と考える思想です。

つまり、神の正体は仏なんですね。

この、仮の姿である神は「権現」と言います。
「権」は、「仮に」という意味で、権現は「仮に」「現れる」となります。

一方で、本当の正体である仏は「本地仏」と言います。

熊野三所権現とその本地仏の関係はこのようになっています。

神社名 主祭神 本地仏
熊野本宮大社 家都美御子神(けつみこのおおかみ) 阿弥陀如来
熊野那智大社 牟須美大神(ふすみのおおかみ) 千手観音
熊野速玉大社 熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ) 薬師如来

仏教では、阿弥陀如来は西方極楽浄土、薬師如来は東方浄瑠璃浄土、千手観音は南方補陀落浄土の主とされています。
なので、それらの仏を信仰することで浄土に連れて行ってもらおうというわけでです。

平安後期からは末法の世に入りますから、浄土に往生することは、身分に関係なく人々の願いでした。
だからこぞって熊野に参拝しに来ていたと考えられますね。

熊野三山

熊野本宮大社

熊野本宮大社

熊野三山の中でもとりわけ古式ゆかしく厳かな雰囲気の漂う神社です。
158段の石段を上った小高い山に鎮座しています。

すぐ近くには、熊野権現が三体の月になって降臨したと伝わる聖なる地「大斎原(おおゆのはら)」があり、訪れることができます。

大斎原は熊野川・音無川・岩田川の合流点となる中洲があるのですが、かつてはそこに社殿がありました。
明治22年の大洪水で多くの社殿が流失したため、明治24年に現在の地に移築・再建されましたが、大斎原は今でも聖地として扱われている場所です。

門前には茶屋や土産屋、食事処があり、熊野詣や熊野信仰を知ることができる「世界遺産 熊野本宮館」もあります。大斎原を訪れたり、古い街並みを堪能することもできます。

熊野本宮大社周辺の立ち寄りスポット

熊野那智大社

熊野那智大社

日本一の落差を誇る「那智の滝」の信仰を起源とする神社です。
入り口の大門坂から473段の石段を登り、那智山の中腹にある社殿に到着します。

すぐ隣には、西国三十三所の第一番札所となる青岸渡寺が並び、青岸渡寺の境内からは、三重塔の背景に滝を配した絶景写真が撮れます。

滝のすぐ近くには、熊野那智大社の別宮「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」があり、滝のしぶきを浴びるほど近くから大迫力の滝を拝めるパワースポットとなっています。

門前には土産店や甘味処が並んでおり、広く散策できて景色も良いため、那智山だけでものんびり過ごせます。

熊野那智大社周辺の見どころ

熊野速玉大社

熊野速玉大社

熊野川の下流、河口近くに鎮座する神社です。
1200点にも上る国宝や国指定文化財の古神宝類を収蔵しています。

徒歩10分ほどのところには、速玉大社の摂社である神倉神社があり、御神体である「ゴトビキ岩」がそびえます。
元々はこの岩をご神体として祀っていましたが、景行天皇の時代に現在の地に社殿を移したことから、神倉神社を「元宮(もとみや)」、速玉大社を「新宮」と称するようになりました。

熊野速玉大社周辺の見どころ

熊野速玉大社周辺の立ち寄りスポット

熊野古道沿いの見どころ