月夜見宮

豊受大神宮(伊勢神宮 外宮)の別宮「月夜見宮」。
読み方は「つきよみのみや」です。
外宮から外に出て、神路通りを北にまっすぐ300mほど歩いたところにあります。

別宮というのは、伊勢神宮の皇大神宮(内宮)豊受大神宮(外宮)の両正宮に次ぐ重要なお宮です。
内宮の別宮は10ヵ所、外宮の別宮は4ヵ所あります。

外宮の4つの別宮のうち、多賀宮、土宮、風宮の3つは外宮の域内にあるので、外宮を訪れた人は別宮とわからなくても一緒に参拝していると思います。
でも、月夜見宮は域外にある上に、表参道からも外れているので、知らないと行くことはありません。
存在すら知らない人が多いのではないでしょうか?

今回はそんな、月夜見宮を紹介します。

月夜見宮の境内

月夜見宮 マップ
画像:宿衛屋でいただいた境内マップより

月夜見宮はそんなに広い境内ではありませんが、クスやケヤキ、スギなどに囲まれて、住宅街にあるとは思えないほど静けさが保たれていて神聖な空気が漂います。
最近は外宮も参拝客が多くなって、静けさが失われつつありますから、ここは穴場ですね^^

そして、入口の鳥居から本殿まではすぐそこのはずですが、わざわざ入口を隠すように石垣がおかれて、本殿がすぐには見えないようになっています。
神道では、尊い神様をみだりにじろじろ見てはならないとされているので、隠れるように設計しているのかもしれませんね。

月夜見尊を祀る月夜見宮 本殿

こちらが月夜見宮の本殿です。

月夜見宮 本殿

祀られている神様は、

  • 月夜見尊(つきよみのみこと)
  • 月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)

夜を司る月の神さまです。
月夜を見る尊って、日本語の美しさを感じるような名前で、素敵ですね^^

そして、伊勢神宮の正宮と別宮に共通することなのですが、本殿の隣にはスペースがあり、真ん中に小さな覆屋があるのが確認できます。

月夜見宮 覆屋

これは、式年遷宮に関係しています。
伊勢神宮の式年遷宮は、20年ごとに社殿を新しくするのですが、その際に建て替えるのではなく、隣の土地に新しい社殿を作って、神様にお移りいただいてから古い社殿を解体します。
つまり、20年ごとに左右交互に社殿の場所が入れ替わるのです。

覆屋がおかれている場所は古殿地(こでんち)と呼ばれ、遷宮前に社殿があった場所であり、次の遷宮で新しい社殿が建つ場所でもあります。
覆屋の中には、本殿の中心となる心御柱(しんのみはしら)が埋まっているとされています。

地域の守護神、高河原神社

高河原神社

月夜見宮社殿の右手後方に行くと、高河原(たかがわら)神社があります。

ここは外宮の摂社で、古くからこの辺り一帯は高河原と呼ばれ、土地の守護神として祀られていたようです。

祀っている神様は月夜見尊御魂(つきよみのみことのみたま)となっています。

昔は、月の満ち欠けに基づく太陰暦で農作業の計画を立てていたので、月夜見尊は農業の神様ともされていたのですが、本殿に祀っているのになぜまたここに?という疑問はあります。

過去の書物によっては、祀られている神様はお稲荷さんだったとか、国生神だったとか、色々な説があるんですよ。

たとえば、明和6年(1769年)に筆録された「神名帳考證再考」という書物では、高河原神社の御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)であると記されています。
倉稲魂命は日本書紀での表記で、古事記では宇迦之御魂神(うかのみたまのおおかみ)と表記されます。
これがお稲荷さん説です。

お稲荷さんは「五穀豊穣」の神でもあるので、土地の神様として祀られていたと考えることもできますね。

国生神説を唱えているのが、「二宮管社沿革考」という書物。
これでは、式内社としての社名が「川原坐国生神社」となっていることから、国生神を祀っていた神社は明らかだと主張しているのです。

このように色々と説がありますが、今は「月夜見尊御魂」となっています。

宮域に祀られている謎のお稲荷さん

月夜見宮社殿の左手後方には、地図には案内がないのですが、小径がありました。
行ってみると鳥居があり、支えられている枯れた楠木が祀られているような感じです。

月夜見宮 稲荷神社

下の方にはお稲荷さんが祀られているのか、狐がいました。

月夜見宮 稲荷神社

特に名前もついていない社なのですが、これは伊勢神宮とは関係がなく、民間信仰のものなので伊勢神宮の案内にはないんですね。
楠木が焼けているのは、第二次大戦の1945年、宇治山田空襲でアメリカ軍の焼夷弾によるもの。

くわしくはこちらのブログに書かれていました。
参考:月夜見宮のお稲荷さんの御由緒

月夜見宮に祀られる神様

先ほども紹介した通り、月夜見宮に祀られる神様は、

  • 月夜見尊(つきよみのみこと)
  • 月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)

月夜見尊は、内宮の正宮に祀られている天照大御神の弟神です。

「古事記」「日本書紀」によると、親神様である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、海で(みそぎ)をしたときに、左目から生まれたのが天照大御神、右目から生まれたのが月夜見尊です。

そして、天照大御神には高天原(たかまのはら)を、月夜見尊には夜之食国(よるのおすくに)を治めるようご委任された、と書かれています。

つまり、天照大御神は天を治める太陽神、月夜見尊は夜を治める月の神様ということですね。

月夜見尊荒御魂は、月夜見尊の荒ぶる魂のこと。

一般的に、神様の霊魂には「和魂(にぎみたま)」と「荒魂(あらみたま)」があると言われます。
2つあるというよりも、同じ魂で、落ち着いた側面と荒々しい側面という感じです。

そのうち、荒魂は動的でパワーのある状態なのです。

なので、内宮の天照大御神の荒御魂を祀る荒祭宮は、内宮の第一別宮とされ、個人的な願いをかなえてくれるとされています。
外宮では、別宮の多賀宮が豊受大御神の荒御魂を祀っていて、第一別宮になっていますね。

なので、強いご利益も得られると考えられているわけです。

ただ、荒魂には、失礼なことをすると祟る力も強いともいわれています。
月夜見尊荒御魂もそうだとはいえませんが、敬意を忘れずに参拝したいところですね^^

内宮の別宮「月読宮」にも同じ神様が祀られている

内宮の別宮にも「月読宮」があります。
読み方は同じで、なんと月読尊と月読尊荒御魂も祀られているのです。

なぜ同じ神様を祀る社が二つあるのでしょう?
月夜見宮も月読宮も、由緒は古いのですが、創始についてはどちらも詳細が不明で、残念ながら二つある理由はハッキリしていないようです。

ただ、伊勢神宮は明治初年まで、内宮は荒木田氏、外宮は渡会氏が禰宜を世襲してきた歴史があります。
つまり、つながりはあっても別管理の社であったということです。

そして、外宮の渡会氏は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて外宮神道(渡会神道・伊勢神道ともいう)を唱えています。
外宮神道は、渡会氏が中心になって生み出された神道の教義で、外宮の神様である豊受大御神こそが実質の最高神であるという外宮中心の考え方で、内宮と争ってきたことがあるのです。

なので、重要な神様は、自分たちで祀りたいと思ってもおかしくありませんよね^^

同じように、内宮と外宮には他にも同じ神様を祀る社があります。
それが、内宮の別宮「風日祈宮」と外宮の別宮「風宮」です。

この二つはもともと、「風神社」「風社」と呼ばれていた小さなお社でした。
それが一躍別宮に昇格したのが、鎌倉時代の蒙古襲来後の正応6年(1293)のことです。

神風を起こして、その霊験が認められ、宮号が宣下されました。
そして名付けられたのが、内宮は「風日祈宮」、外宮は「風宮」です。

名前を変えているのはおそらく区別するためでしょう。
月夜見宮と月読宮も、区別するためなのかもしれません。
そこら辺をもっと研究すると面白そうですね^^

月夜見宮へのアクセス・駐車場

月夜見宮への行き方ですが、外宮から北御門口を出て、神路通りをまっすぐ北へ約300m。
徒歩5分の道のりです。
伊勢市駅からは徒歩6分なので、電車で来られる方は経由しやすいところにあります。

車で来られる方は、月夜見宮の入り口の鳥居の両脇が駐車場になっています。
ただ、4台ほどしか停められませんので、外宮の駐車場に停めて歩いてきてもよいですね。

外宮の駐車場は2時間までしか停められませんが、月夜見宮の境内は広くないので、外宮参拝と合わせてもそんなに時間はかからないと思います。

途中に通る「神路(かみじ)通り」は、名前の通り、神様が通る道とされています。

月夜見尊がこの道を往来されるので、参拝者は真ん中を歩くことを遠慮したということが、江戸時代初期に書かれた書物「勢州古今名所集」に書かれているので、当時の人に思いを馳せて、気を付けながら歩いてみるのも良いですね^^