藤井寺 西門

大阪府藤井寺市にある西国三十三所五番札所の葛井寺(ふじいでら)
市の名前に使われるほどのこのお寺は、白鳳時代に建立され、西国三十三所 第五番札所にも指定されている古刹です。

場所は近鉄藤井寺駅から商店街を歩くこと5分、なかなか好立地な場所。
西国三十三所というと、風格のある立派なお寺を想像しがちですが、境内はそれほど広くなく、買い物帰りの人も境内を通り道にしたり、庶民信仰のお寺という雰囲気が漂います。

しかし葛井寺といえば、国宝にも指定されている千手観音が有名です。
現存する千手観音の中で、日本最古といわれているんですね。

千手観音は千の手を持つ観音様なのですが、実際の仏像は省略されたものがほとんど。
しかし、葛井寺の御本尊は、「唐招提寺(奈良)」、「三十三間堂(京都)」の千手観音と並ぶ、実際に千本に近い手を実現した千手観音なのです!

ただし、普段は秘仏で、拝観できるのは観音様の御縁日となる毎月18日のみとなっています。

葛井寺の名前の由来

葛井寺は河内一円を勢力圏とした葛井氏が、白鳳時代となる7世紀頃に一族の氏寺として建てたのが始まりとされています。

葛井氏は朝鮮半島・百済の王族「王仁氏」の子孫です。
渡来人として日本にやってきた一族で、朝鮮半島の新しい文化をもたらしました。

日本に来た当初は「白猪氏」と名乗っていましたが、その功績があって、天皇から「葛井」の名を与えられます。

葛井氏はかなり優秀な一族で、新しい文化を天皇に仕え、政治の中心で活躍する人物を多数輩出しています。
日本で初めて体系的に刑法や行政法と民法を揃えた法典「大宝律令」(701年)の作成にも葛井一族が大きく関わっているんですね^^

ところで、葛井寺の「葛」の字は、普通なら「クズ」と読みます。
葛粉のクズですね。

なぜそれで「フジ」と読むのでしょう?

実は奈良時代頃は、葛と藤は混用されていたようなのです。
同じようなものと認識されていたんですね。

同じように人物名も、奈良時代の資料では同じ人が「藤井」とも「葛井」とも書かれています。
なので「藤井さん」は、元々は「葛井さん」なんです^^

永長元年(1096)に藤井安基という人物が、葛井寺の荒廃している様子を嘆き、堂宇を大々的に再興するのですが、その姓をとって「藤井寺」という別名がつきました。
地名の「藤井寺市」もここからきています。

かつては広大だった葛井寺の境内

こちらは室町時代の「葛井寺参詣曼荼羅」。

葛井寺参詣曼陀羅

奥の院や左右に三重塔があり、薬師寺式の伽藍配置を取っていたようです。

今でこそ奥の院や三重塔はありませんが、それだけ土地も広かったのでしょうし、参詣曼荼羅まで描かれていることを考えると、広く崇敬を集めていたのでしょうね。

実際、南北朝時代には、堀川天皇、後醍醐天皇、後村上天皇らの帰依もありました。
また、河内の土豪と名高い楠木正成(くすのきまさしげ)は700騎の兵を葛井寺に駐屯させ、7000騎の幕府軍と対戦しています。
そのときの戦勝を葛井寺の本尊に祈願し、大般若経600巻を書き写しています。

明応二年(1493)の兵火では、楼門、中門、三重塔、奥院、庵室などが焼失し、永正七年(1510)の大地震でも諸堂が荒廃してしまいますが、後に豊臣秀頼や徳川氏がスポンサーとなり、庶民の手で長期間を経て次々と再建されています。

葛井寺は、天皇家や時の権力者、庶民に至るまで信仰を集めていたお寺だったんですね^^

葛井寺の玄関口、南大門

電車を降りて商店街から葛井寺へ向かうと、西口の四脚門にたどり着きます。

藤井寺 西門

しかし、本来の玄関口は「紫雲山」の山号の額がかかっている南大門です。
仏教寺院では、南側を玄関口とするのが一般的ですからね。

南大門はこちら。

藤井寺 南大門

三間一戸、2階建ての楼門になっています。
2階には紫雲山の扁額。

藤井寺 紫雲山

仁王さんも立っています。

藤井寺 金剛力士 藤井寺 金剛力士

歴史を感じるような風格を持つこの南大門、実は近世になってから再建されたもので、そんなに古くありません。

さらにいうと、実は西口の四脚門がかつて南大門として建っていたんです^^;

西口の四脚門は、葛井寺で現存する最古の門で、慶長六年(1601)に豊臣秀頼が寄進したもの。
後になって西口に移築しているわけです。

正門の座を西口に取られてしまった感じですが、参拝者の利便性を一番に考えるのも大阪らしいですね^^

月に1度だけ御開帳!十一面千手千眼観世音菩薩

南大門を真っすぐ行くと、本堂があります。

葛井寺 本堂

本堂には続々と参拝客が訪れてくるのですが、ほとんどが地元の方という感じでした。
庶民信仰のお寺というのが、今でも根付いているのでしょうね。

御開帳の日は内陣に上がれるのですが、拝観料は500円。
ご本尊は撮影禁止なので、私が持っている本から紹介します。

葛井寺 十一面観音
画像:図説仏像の本 (洋泉社MOOK) より

普通にいらっしゃる千手観音とは違った、インパクトのあるお姿ですよね^^
本当に千本の手をつけようとすると、このような形になるわけです。

千手観音は、多くの人々に救済の手を差し伸べるためにたくさんの手がついています。
手のひらには眼がついていて、智恵を表します。
それが千手千眼観音です。

そこに十一面がつきます。
頭に十一のお顔があるんですね。

大乗仏教ではもともと、十方に無数の世界があるという考え方をしていました。
つまり、東・西・南・北の四方、東北・東南・西北・西南の四維、そして上・下で十方です。

最後の一つは正面のお顔。
それは、私たちを見ているというわけです。

つまり、十一面千手千眼観音菩薩は、あらゆる方向を見て、あらゆる人々に手を差し伸べる、素晴らしい仏様、ということですね^^

葛井寺の観音様の像容は、腕前で合掌する「大の手」2本、持物を持った「中の手」40本、衆生に向かって差し出された「小の手」1001本、計1043の手を持ちます。
実は千本以上あるんですね^^

実際の御本尊は、お厨子の中にいらっしゃって、私たちが拝観できる場所と厨子には少し距離があります。
そして厨子の両端に幕が垂れています。
つまり、上の写真のように全容は見えないんですね^^;

正面からだけでなく、斜めから見たりすればなんとか手も見えますので、本当にあのようなお姿なのだ、ということがわかります。
でも、本音でいうと全容を一目で見たいですね^^;

ただ、実物は本物感が感じられるので、やはりお会いして良かった、と思っています^^

あかん河内の葛井寺

葛井寺には1つ説話があります。
それは先ほども紹介した、藤井安基(やすもと)の話です。

藤井安基は、荒廃していた葛井寺を再興した立役者ですが、その前は奈良から河内を暴れまくるどうしようもない嫌われ者でした。
ついにはこの寺に逃げ込んでしまうほどだったのです。

やっとのことで逃げ込んだのですが、なんと、葛井寺のご本尊、千手観音に金縛りにあわされ、とうとう力尽き、地獄へ突き落されてしまいます。

地獄に落とされた安基は、今までの悪行を反省していると、そこへ観音様が現れ

「今後は世の為、人の為に尽くせよ」

と諭され、安基は蘇生されました。

以来、安基は寺門興隆に力を注ぐことになるのです。

そんなどうしようもない「あかん」人間も改心出来たお寺が藤井寺。
最後に願いを聞いてくれるのが藤井寺である、というのが葛井寺の観音様の霊験譚です。

まさに、千手観音の手が千本ついている意味がわかるような霊験譚ですね。

御朱印

西国三十三所 第五番札所の御朱印です。

藤井寺 御朱印