唐招提寺 南大門

唐招提寺は、天平宝字3年(759)、日本に戒律を伝えるために唐から来日した鑑真和上(がんじんわじょう)が、戒律を学ぶ人たちのための修行の道場として建てた鑑真のお寺です。
南都六宗の一つである律宗の総本山となっています。

唐招提寺の境内は広くてゆったりしていて、8世紀に建てられた国宝、重要文化財の建造物が並ぶ、美しい光景が広がります。
境内の奥には、鑑真和上の墓所が静かにたたずみ、気持ちよく散策ができるお寺です。

鑑真和上ってどんな人?

鑑真和上は唐から日本にきた奈良時代の僧侶で、律の大家として尊敬を集めており、弟子がたくさんいるほど唐でも有名な高僧でした。

「律」は、釈迦の時代に弟子たちが集団生活を行う上で生じた問題点を釈迦に聞いてまとめたものです。
それが各部派によっていろいろあるんですね。

それを研究した律の第一人者が鑑真で、僧や一般の人たちに戒律を授けることができる「戒律師」として知られていたんです。

そんな高僧が、日本から来た聖武天皇の使者の「日本に正しい仏の教えを伝えてほしい」という必至な願いを聞き入れ、地位を投げうって日本に来ることを決意したのです。

日本への渡海を何度も試みながらも失敗し、その間に失明しながらも挑戦し続け、6度目にとうとう日本にたどり着くことができた、というエピソードが有名ですよね。

奈良時代は航海技術が未発達で、多くの船が難破してしまうという、航海するにはリスクの高い時代。
そんな中、鑑真和上は何度も航海に失敗して大変な思いをしながら来日し、日本仏教の基礎を作り上げました。

鑑真和上が渡航を決心し、日本に到着するまでの苦難が「唐大和上東征伝」に記録されています。
内容と時代背景をかいつまんで説明すると、こんな感じです。

遣唐使として唐に留学し、伝戒師を探す役目に選ばれたのは、普照(ふしょう)栄叡(ようえい)の二人の僧。

二人は唐に渡って数年間、日本に来て下さる伝戒師を探し周ったのですが、なかなか見つかりません。
そんな中、鑑真の噂を耳にし、鑑真のもとにたどり着きます。

鑑真は洛陽・長安で右に出るものはいないと名高い高僧で、優秀なお弟子さんもたくさんいたので、日本に来て下さる弟子の紹介を懇請しました。
鑑真が弟子たちに

「誰か日本へ行く者はないか」

とたずねましたが、誰一人名乗り出るものはありません。
ついに鑑真は

「それなら私が行こう」

と、日本の願いに応えるために唐に於ける高僧という立場を捨て、自ら渡航する決心をするのです。

当時の唐からの出国は国法で禁じられていたので、出国するのは不法となります。
しかも、生きてたどり着ける保証がない命がけの渡航です。
ただでさえ命がけなのに、鑑真和上は50歳を超える高齢。
もちろん弟子たちも必死で止めにかかります。

そのような状況もあって、渡航は思うようにいきませんでした。

渡航を阻止したい弟子の密告があったり、なんとか海に出られても難破したり。
難破して海南島まで流されることもありました。
ついには失明までしてしまうのです。

このように五度も航海に失敗したのですが、日本から来た遣唐使の船に便乗することで、六度目の航海で日本にたどり着くことができました。

このようにして鑑真和上は日本に命がけで来てくれたわけですが、志を立ててから日本に来るまでに10年くらいかかっています。
そのような苦難を経験しながらもあきらめずに、不屈の精神で来て下さったことを考えると、大変ありがたいですね^^

鑑真が日本に呼ばれた時代背景

唐招提寺をよりよく参拝するために、鑑真が日本に来ることになった背景についてちょっとだけ説明します。

鑑真が来日したのは奈良時代。
その時代は贅沢な貴族政治が行われていて、唐の文化の影響を受けた彫刻、建築、絵画など華やかな天平文化が栄えました。

その一方で、庶民の生活は苦しい状態でした。
日照りや地震などの災害で悩まされたり、天然痘が流行したり、税金は重く、平城京建設などの労働にも従事しなければならなかったのです。

しかし、僧侶になると扱いが違います。
当時の朝廷は唐の仏教文化の影響を強く受けていて、寺院や僧侶を手厚く保護していたので、僧侶は重い税金や労役を免除されたのです。

なので庶民の中から、生活苦から逃れるために僧侶になろうとするものが多く出てきました。

そもそも僧侶は、人のために尽くすのが本来の姿。
しかし庶民から出家する者の中には、人の役に立ちたいと本気で思って出家する者は少なかったのです。

当時の日本の仏教界には、正式に戒律を授けることのできる制度がありませんでした。
なので、勝手に僧侶を名乗ることができ、修行も学問もおろそかにする形だけの僧侶が増えてしまったのです。

さらに、既に高い地位にいる僧の間でも問題がありました。
貴族政治の中で私利私欲に溺れ、権力争いをしていたので、仏教界はますます乱れていきました。

そんな堕落した日本の仏教界を嘆いた舎人親王は、乱れを正すために、唐から「戒律」を授けることのできる僧を呼ぶことにしました。

このような経緯で、遣唐使を通じて招待されたのが鑑真和上です。

鑑真和上が来てからは、きちんと戒律を授かった者だけが僧侶と認められるようになり、日本仏教の質が上がったと言われています。

唐招提寺の見どころ1:南北に一直線に並ぶ、国宝・重文の伽藍

鑑真はご存命中、唐招提寺の伽藍はあまりなかったのですが、鑑真入寂後は、弟子の「義静」「如宝」が伽藍の整備に尽力をつくしました。
その伽藍は、国宝、重要文化財の指定を受けているものばかり。

唐招提寺の堂宇は、その時代の唐の最新の文化が取り入れられているのですが、独特の風格で美しいんです^^

伽藍配置は、塔はないものの、入り口の南大門から金堂、講堂、食堂(食堂跡)と南北に一直線に並んでいるのは奈良時代の一般的な配置になっています。

境内を歩いて伽藍を見ていると、その時代の人たちの息づかいが聞こえてくる気がします。

まずは金堂。

唐招提寺 金堂

金堂の裏にある講堂(国宝)は、平城宮の東朝集殿を移築・改造した、天平時代の金堂建築で唯一残っているものです。

唐招提寺 講堂

金堂と講堂の間の東側には、鼓堂(国宝)があります。

唐招提寺 鼓堂

ここには、鑑真和上が唐から持ってきた仏舎利を奉安しています。
そして毎年5月19日は、中興の僧「覚盛」を偲ぶ「中興忌梵網会」があるのですが、その時に鼓堂で「うちわまき」が行われます。
ハート形のうちわで、病魔退散や魔除けのご利益があるそうです。

奈良時代の典型的な校倉造の経蔵(国宝)。

経蔵

北側にも同じ校倉造で一回り大きい宝蔵(国宝)が並んで建っています。

「鑑真和上御身代わり像」が安置されている開山堂。

開山堂

唐招提寺の御影堂には、国宝の鑑真和上坐像が安置されているのですが、普段は非公開になっていて特別な時にしか拝観できません。
鑑真和上御身代わり像はその代わりに拝観できるものなので、いつでも参拝できます。

平成25年に作られた新しい仏像ですが、奈良時代の脱活乾漆の技法を忠実に踏襲しているとのこと。

その、「忠実に踏襲」というのがすごいところなんです。

「脱活乾漆」はものすごい予算をかけて手間もかかる技法。
材料や顔料は当時と同じもので、技法も忠実にやっているのです。
彩色は、顕微鏡で顔料の粒子を調査し、その結果に基づいて奈良時代当時の様子をそのまま再現しています。

その制作期間は約10年、予算は3,000万円ほどかかっているんです。

単なるレプリカなら、現在の技術をもってすれば簡単にできるのかもしれませんが、この像は単に形を真似たものではないですね。

本物の鑑真和上坐像には歴史の重みを感じますが、身代わり像はできたてほやほやの脱活乾漆造り。
天平時代にタイムスリップした感じがしました^^

境内の北側から西側にかけては、緑豊かな参道が広がっています。
この先は「戒壇」につながる道。
散歩が気持ち良いです^^

参道

参道

境内の西の端には、受戒を行う時に使われた戒壇があります。

唐招提寺 戒壇

唐招提寺 戒壇

最初は、「これが日本初の戒壇か!」と興奮したのですが、よく考えたら、鑑真が初めて戒を授けたのは、東大寺の大仏殿前なんですよね^^;

でも、この戒壇は創建時に築かれたとされています。
ならば鑑真がここでも戒を授けていたはずですね。

東大寺戒壇院と同じように建物があったそうですが、火災で失われたのだそうです。
現在は戒壇のみの遺構となっています。

唐招提寺の見どころ2:千手観音、廬舎那仏、薬師如来が圧巻のサイズ

唐招提寺の金堂(国宝)は、天平時代の金堂建築の唯一の遺構といわれています。
入り口の南大門をくぐると、まっすぐ伸びた大きな参道の先にドーンと建っています。

唐招提寺 金堂

屋根にある鴟尾(しび)は元々「天平の甍」と呼ばれていたものがありました。
現在のものは、平成の大修理の時に代わった3代目。

唐招提寺 鴟尾

近くまで行くと、中を覗いている人がたくさんいます。

唐招提寺 金堂

行列ができるほどではないのですが、次から次へと参拝者が絶えることはありません。
写真のように、立って見えるほど余裕があるのですが、中には大きな建物にふさわしく、像高3メートル以上の大きな仏像が三体いらっしゃいます。

撮影禁止なので写真はありませんが、JR東海のCM動画がYouTubeにありましたので、そちらをご覧ください。

  • 盧舎那仏坐像(中央):幾千もの仏を従える、仏の中の仏。
  • 千寿観音立像(左):千本の手で迷える人々を救う菩薩。
  • 薬師如来立像(右):人々を病から守る仏。

いずれも国宝です。
千手観音に至っては5メートルを超します。
もはや建物の外からは全身を見ることはできません。

御本尊の盧舎那仏坐像は、奈良の大仏と同じ仏様で、脱活乾漆造になっています。

脱活乾漆造は、ぜいたくな貴族政治が行われていた天平時代に流行った技法で、高価な漆を大量に用いる上に制作にも手間がかかることから、平安時代には廃れていきました。

それなのにこの大きさです。
どれだけ贅沢なのでしょうか?^^;

そして、千手観音と薬師如来は、脱活乾漆造よりも漆の使用量が少なくて済み、経費削減できる木心乾漆造になっています。

そしてこの三尊の下にも四天王や梵天・帝釈天もいらっしゃって、いずれも国宝なのですが、どうしても大きな三体の仏像の方を見上げてしまいます。

しかもこの配置でこの三尊を並べるのは珍しいですよね。
いずれも御本尊としてセンターを務めても良い仏像ばかり。
ボスが3人もいる感じで、四天王たちはやりにくいのではないでしょうか?^^;

実はこれ、唐招提寺にしか見られない形式で、なぜこの形式にしたのかは不明なのだとか。
諸説ありますが、いずれも確証はありません。

正直、構成としてはアンマッチに思えますが、なにかすごい!
そんな風にも感じます^^

唐招提寺の見どころ3:鑑真が眠る「鑑真和上廟」

鑑真和上廟

御影堂から東側には築地塀が続く道があって、鑑真和上の眠る廟があります。
下の写真は、御廟の入り口です。

鑑真和上廟

背の高い木々に囲まれた参道がまっすぐ続いていて、池に囲まれた墳丘が御廟になっています。

途中にある綺麗な苔庭。

鑑真和上廟 苔庭

まっすぐ進むと御廟があります。

鑑真和上廟

そしてこちらが御廟。
墳丘の真ん中に宝筐院塔が立っています。

鑑真和上廟

御廟は周囲を周ることができます。
周ってみるといくつか石碑があるのですが、その中に「天平の(いらか)」と刻まれた石碑が。
(ちょっと見えにくいです^^;)

天平の甍

「天平の甍」は、伝戒師を日本に連れてくるために唐に渡った留学僧と鑑真和上の生涯に焦点を当てた、井上靖の歴史小説です。

これを読んで唐招提寺に行きたくなったという方も多いでしょうね^^

お参りを済ませて戻ろうとすると、唐招提寺のお坊さんたちが20人くらいでやってきました。

唐招提寺 御廟

なんでも、これから法要が始まるとのこと。
お坊さんたちがゆっくりと読経を始めました。

唐招提寺 御廟

そして御廟の周りを読経しながらぐるぐると周り始めました。

唐招提寺 御廟

その間にお寺のスタッフの方が、周りにいた参拝客に線香を配ってくれ、改めて御廟の前で線香をあげることができました。

居合わせただけなのに行事に参加できて、うれしかったです^^

唐招提寺の歴史を知ることができる新宝蔵

鑑真和上御廟の南側にある新宝蔵。
昭和45年に建てられた鉄筋コンクリートの展示施設です。

唐招提寺 新宝蔵

私が訪れた時は外側が工事中だったのですが、中は拝観することができました。
別料金で200円、春と秋に公開されます。

中はそんなに広くありませんが、仏像が11体、仏頭が4体、唐招提寺の勅額、かつて金堂の屋根に上げられていた鴟尾などが展示されていました。
仏像は欠損しているものが多いのですが、それだけ歴史を感じます。
大きな仏頭もあり、こんな仏像が祀られていたということを想像すると、今とは違う唐招提寺が思い浮かびました^^

そして「唐招提寺のトルソー」と呼ばれている如来形立像などは必見です!
頭部や両手・両足先がないことがかえって美しい曲線美を出しています。

多くの芸術家・愛好家を魅了してきたそうですが、それだけ想像を掻き立てられるのもわかる気がします^^

そしてもう一つ注目したいのは、金堂に上げられていた2体の「鴟尾」です。
1体は天平時代に作られたもので、もう1体は鎌倉時代に作られたもの。

天平時代からのものは、唐のお寺で使われていた鴟尾に習って作られたのだそうで、鎌倉時代のものはそれを踏襲しています。
平成大修理でその役目を終えたのですが、鑑真和上に同行した技術者が制作を指揮したと考えられていて、それ以来天平時代からずっと使われ続けていたわけです。

屋根の上を見ると遠いのですが、新宝蔵ではものすごく近くで見ることができて、結構大きいことがわかります。
その時代の人が見ていたであろうものを見ている、という感じもたまらないですね♪

年に3日間だけ特別公開!国宝 鑑真和上坐像

唐招提寺 御影堂 特別公開

唐招提寺の御影堂には、国宝の鑑真和上坐像が安置されています。
普段は非公開で入ることもできないのですが、鑑真和上のご命日である6月6日とその前後を含む、6月5日~7日の3日間は御開帳されます。

特別公開の日は行列ができていました。

唐招提寺 御影堂

ここから先は、通常の拝観料とは別に特別拝観料500円が必要です。
特別拝観料を支払うと、参拝記念の品を頂きました。
中には特別開扉の説明と、ポストカードが入っていました。

唐招提寺 御影堂参拝記念

ポストカードは、鑑真和上坐像と、日本画家 東山魁夷画伯による御影堂の障壁画です。
そしてこちらが鑑真和上のポストカード。

唐招提寺 鑑真和上坐像

このような写実的なお姿をされています。
実際の仏像は、表情が確認できる距離ではありますが、細部まではちょっと見えにくいくらいの距離でした。

この坐像は日本最古の肖像彫刻で、しかも、鑑真和上が亡くなる直前に制作されたと伝えられています。

唐招提寺創建から四年後、弟子の忍基は講堂の棟梁が折れてしまう夢を見て、鑑真和上の死期が迫っていることをさとりました。
そこで寝食を共にする弟子たちと相談して、その容姿だけでなく精神性をも映す御影の制作を企てます。

それでできたのがこの鑑真和上坐像なのだそうです。

この像は、鑑真和上を実際に知る身近のものたちが造った、言わば鑑真和上の生き写しと考えてもよいもの。

鑑真和上は結跏趺坐をして西を望みながら亡くなったそうですから、その時の鑑真和上のお姿がリアルに想像できますね。

そしてお顔をじっと見てみると、目を静かに閉じられ、なんとも慈愛に満ちた穏やかな表情をしています。

唐招提寺の御朱印

唐招提寺には、

  • 盧遮那仏
  • 鑑真和上

の御朱印があります。

唐招提寺の金堂の御本尊、盧遮那仏の御朱印です。

唐招提寺 御朱印 盧遮那仏

そして鑑真和上の御朱印です。

唐招提寺 御朱印 鑑真和上

鑑真和上の御朱印は、貼り付けタイプのものでした。

唐招提寺にはオリジナルの御朱印帳があります。
千手観音の光背が表紙になったもので、唐招提寺の公式サイト、おみやげのところでも紹介されています。
値段は1,200円です。

唐招提寺へのアクセス・駐車場

唐招提寺は、東大寺や興福寺などのある奈良の中心エリアからは少し離れた場所にあります。
最寄り駅は、近鉄「西ノ京駅」で、そこから徒歩10分です。

唐招提寺にバス(奈良交通)で行く場合

唐招提寺の最寄りのバス停は、「唐招提寺」もしくは「唐招提寺東口」です。
「唐招提寺」の方が、入り口の南大門の目の前です。

東大寺、春日大社、興福寺、JR奈良駅、近鉄奈良駅などから「奈良県総合医療センター行」に乗車すればOKです。
バスは30分に1本程度の運行で、JR奈良駅からおよそ20分ほどで到着します。

停車バス停の詳細は63・64・65・72・77・78(高畑・春日大社-六条山)[奈良交通]のバス路線図をご覧ください。

唐招提寺に車で行く場合

唐招提寺には、南側に乗用車150台停められる有料駐車場があります。
最初の60分550円、以降30分毎110円となっています。

以前は1日1回500円だったのですが、2021年から改定されました。

150台も停められるので、混雑することは滅多にないようです。

ただし毎年5月19日に行われる「うちわまき」(15時~)は唐招提寺の人気行事なので、その時は満車になる可能性がありますのでご注意ください。

唐招提寺の周りに民間が運営する駐車場は、現在のところありません。


唐招提寺は、鑑真和上の人となりを知って訪れると、かなりありがたさを感じるお寺ですね^^
特に鑑真和上御廟は緑にも囲まれ、癒しの空間になっています。
ゆったりとした境内も気持ち良いですよ♪