丹生都比売神社

高野山の中腹、標高450mあたりにある、天野の里。
「にほんの里100選」にも指定されているこの地は、とても自然豊かで緑が綺麗な気持ちの良い場所です^^

ここには、高野山開創に深いかかわりのある神様が鎮座する丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)があります。

平成27年で高野山は開創1200周年を迎えましたが、丹生都比売神社は更に古く、日本書紀にも「天野の祝」と宮司についての記述があって、およそ1700年以上も前からあると伝えられています。

祀られている神様は、

  • 第一殿:丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)(丹生明神)
  • 第二殿:高野御子大神(たかのみこのおおかみ)(狩場明神)
  • 第三殿:大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)(気比明神)
  • 第四殿:市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)(厳島明神)

です。
この中で丹生明神と狩場明神こそが、高野山の二大聖地のひとつ、壇上伽藍にある御社(みやしろ)にも祀られている神様で、丹生都比売神社はその本社でもあります。

そして主祭神でもある丹生明神は、伊勢神宮の神様、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の妹で、稚日女命(わかひるめのみこと)ともいいます。

この、「わかひるめ」は、「和歌山」の名前の由来にもなっているんです。
重要な地名に使われるくらいですから、ものすごいご神徳があるのがわかりますね^^

高野山の麓には紀ノ川が横切るように流れていますが、丹生明神は紀ノ川流域にある三谷に降臨、紀州や大和を巡って農耕を広め、応神天皇によって天野の地を神領として寄進され、ここに鎮座しました。
そして狩場明神は、丹生明神の御子神になります。

朱砂の神様、丹生明神

「丹生神社」という神社は、全国に八十八社あります。
信仰圏が広いんですね^^

丹生都比売大神を祀る神社を入れるともっとあるのですが、実は祀られている場所と神様の名前にはある共通点があります。

それは、近くに水銀鉱脈があるということです。

丹生都比売神社は、これらの丹生神社の総本社となっています。

「丹」という字は、丹砂(朱砂)という赤色の鉱石を意味していて、「丹」が生まれるところ、という意味で「丹生」という名前がつけられています。

神社の本殿や鳥居は朱色ですが、「朱」は丹砂を顔料として作られます。
神社に「朱」が使われるのは、血の色に近いこの色を神聖視した古代人が、魔除けの力があると考えていたからです。

「朱」を司る丹生明神は、あらゆる厄災を祓い幸せへと導く強い女神として信仰されてきたんですね。

さらに丹砂は昔から色々と重宝されてきました。

丹砂を精製すれば水銀が採取できますが、水銀は多様な用途があります。
仏像の鍍金にも使われますし、金や銀を採取する際の触媒にも使われます。
また、大陸への輸出品でもあったので、丹砂は重要な鉱石でもありました。

なので、丹生明神は、昔から丹砂を生業で扱う一族に氏神として祀られてきたわけです。

高野山開創に欠かせない神様


※画像:高野山教報 第1566号より

上の画像は、空海と狩場明神の出会いのシーンで、高野山開創の伝承を語る上で欠かせない場面です。
弘法大師の伝記に必ず登場します。

高野山上にある壇上伽藍の御社でもこのシーンを絵馬に使っています。

壇上伽藍 御社 絵馬

それだけ重要なシーンなのですが、このシーンは丹生都比売神社のことを知るエピソードでもあります。

内容はこんな感じです。

唐で密教を学び終えた空海は、日本に帰る前に明州の浜で、

「密教を広めるのにふさわしい地を示したまえ」

と、密教の法具である三鈷杵(さんこしょ)を日本に向かって投げたのです。

日本に戻ってきた空海は、落下地を尋ねて大和国宇智郡(奈良県五條市付近)を歩いていました。
すると、向こうから筋肉たくましい1人の漁師が犬を2頭連れてやってきたのです。

空海はその漁師に呼び止められたので、旅の目的を語ったところ、狩人は、

「私はその場所を知っている。案内しよう。」

と、2匹の犬を放ちました。

空海はその日、天野の地で宿をとりました。
そこで漁師に、ある山人を紹介されました。

山人に三鈷杵の落下地のことを話すと、

「ここから南に行くと、平原の沢がある。そこがあなたの求める地だ。」

と言い、翌日その山人が案内することになりました。

道すがら、山人は、

「実は私はこの山の主なのだ。あなたにこの領地を差し上げよう」

と告げました。

山の中に百町(11キロ)ほど入ったところ、八つの峰に囲まれた、鉢を臥せたような姿の平原にたどりつきました。
そこの一本の松に三鈷杵が打ち立てられていたのです!
それは確かに空海が唐から投げた三鈷杵でした。

空海が山人に、

「いったいあなたは何者なのですか?」

と尋ねたところ、

「私は丹生明神。昨日の漁師は狩場明神である。」

と告げ、姿を消したのでした。

このような伝承が弘法大師の伝記にあるのです。

高野山上の壇上伽藍にある御社(みやしろ)は、この地から守護神として丹生・狩場両明神を勧請(神様を招くこと)して建てたものです。
これが、神仏習合のはじまりといわれています。

高野山の僧侶は、今でも御社の前での読経を毎日かかさず行っていますし、百日間の修行(加行)を終えた僧侶は、丹生都比売神社に守護を願う札を納めにくるそうです。

丹生・狩場明神は高野参詣曼陀羅にも描かれますし、高野山にとっては重要な神様なのです。

豊かな自然の中にある荘厳な境内

丹生都比売神社 両部鳥居

上で述べたように、仏の教えを広める空海が神様の力を借りたわけですから、この神社には神仏習合の要素があります。
柱の前後に稚児柱がある両部鳥居はその象徴ですね。

「両部」というのは、密教の金剛界と胎蔵界のこと。
それを「鳥居」という神道の要素に入れたのが両部鳥居です。
両部鳥居は神仏習合の神社に多いんです。

鳥居の向こうには急勾配な太鼓橋。

丹生都比売神社 太鼓橋

平安時代や鎌倉時代には、橋の上で神事が行われていたそうです。
現在の太鼓橋は豊臣秀吉の側室、淀君が寄進したと言われています。

丹生都比売神社の絵馬も、この風景を使っていています。

丹生都比売神社 絵馬

狩場明神の連れていた二匹の犬もいますが、うなぎいぬ?って感じでかわいいですね^^

太鼓橋の上からは中鳥居と、その奥に楼門が見えます。

丹生都比売神社 太鼓橋

鳥居より高い位置にくると、なんだか神様より高い位置から見下ろしてしまっている感じがして、恐縮してしまいます^^;
あまり正面を向けません(≧▽≦)

でも、橋の上からの眺めはどこを見渡しても豊かな自然に囲まれていて、気持ち良いんです^^

後ろを振り返ると遠くに山。

丹生都比売神社 太鼓橋

右手には鏡池と、奥に広がる山。

丹生都比売神社 鏡池

左手には、自然の中に庵のようなものが建っています。

丹生都比売神社

これだけ自然に囲まれていると、人工的な音はほとんどしません。

橋を渡ると、中鳥居の前。

丹生都比売神社 中鳥居

そして重要文化財にもしていされている立派な楼門。

丹生都比売神社 楼門

丹生都比売神社 楼門

室町時代中期の様式で三間一戸の入母屋造檜皮葺

中鳥居から中は、ピクニックでもしたくなるような庭が広がっています。

丹生都比売神社 庭

楼門の奥には一間社春日造りの本殿が四殿建っています。
御本殿なので写真は撮っていませんが、四殿もあるのにそれぞれが結構な大きさです!
日本一の規模なんだそうですよ^^
しかも朱塗りの色も屋根もキレイな状態♪

聞いてみると、昨年の秋に37年ぶりに修復されたばかりなのだとか。
天気も良かったし、タイミングの良い時期に来れて満足です^^

おみくじも、犬のかわいいおみくじがありました^^

丹生都比売神社 おみくじ

黒の犬は見当たらなかったのですが、できれば白と黒の両方欲しかったです(≧▽≦)

春の訪れを祝う祭、花盛祭

丹生都比売神社 花盛祭

丹生都比売神社では、4月の第三日曜日に花盛祭という祭りがおこなわれます。
春の訪れを喜び、万物の成長を願うお祭りです。
丹生明神は、そもそもは農業の神様ですし、一切のものを守り育てるという神様でもあります。
神様の御神徳にちなんだ祭りになっていますね^^

平成27年の花盛祭は4月19日。
私が訪れたのは4月17日だったのですが、既に参道には竹筒に桜などの花が供えられていました。
素敵な神社だなあと感じだのですが、こういう準備がされていたからかもしれませんね^^

そしてそれだけでなく、御本殿に向かおうとしていたところ、思いがけないものに出会いました。

丹生都比売神社 猿田彦

天狗のお面をかぶっていますが、こちらは、花盛祭のメインイベント、「渡御の儀」で神輿行列の先頭を務める猿田彦大神です。
高足駄で歩くので、本番前に練習をしていました^^

見ていたら、昔この役をやったことがあるというおじさんに話しかけられ、この練習のことを説明してくれました。
なんでも楼門前の階段が一番大変なのだとか。

丹生都比売神社 階段

普通に高足駄で歩くのも大変だと思いますが、こういう階段なので、きちんと踏みしめるように歩かないと滑ってしまうのだそうです。
本番では行列の中で一番立派な衣装を着るそうですし、腰に刀もさしています。
これだけ重装備の中、お面から外は見えにくいわけですね。

本番の動画がありました。こんな感じです。

ちなみに、猿田彦大神というと、道開きの神様なのですが、丹生都比売神社で祀られている狩場明神も、弘法大師 空海を高野山に案内した道開きの神様です。
わかりませんが、同一視されているのでしょうか?

丹生都比売神社の御朱印

丹生都比売神社の御朱印です。

丹生都比売神社 御朱印

オリジナル御朱印帳もあります。

丹生都比売神社 御朱印帳

右側の御朱印帳です。
太鼓橋と楼門の風景が描かれています。

左側は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録十周年を記念した御朱印帳です。
頂いた御朱印が紙ではなく木板に書かれているのは、この御朱印帳に書いてもらっているからです。


丹生都比売神社は、山の中腹にあるので、アクセスするにはちょっと不便な場所です。
麓にある表参道の入り口、慈尊院・丹生官省符神社から町石道を経て徒歩で登ると約2時間30分、JR妙寺駅からだと約1時間30分かかり、タクシーだと約15分かかるので、車の方が便利です。
駐車場は充実していますので安心です。

ただし、大きな車で行く場合、県道109号線はちょっと道が狭いところがあります。
バスだと通行できないくらいのところです。

走りやすい道を選ぶなら、国道480号線側から行くことをお勧めします。
観光バスはこちらから来ます^^

また、JR和歌山線の笠田駅から丹生都比売神社前まで出ている「かつらぎ町コミュニティバス」も運行されています。
笠田駅からだと丹生都比売神社前までで約29分です。
祭りなどの時に車で行くと大変かもしれませんから、こういう時にバスが出ていると助かりますね^^

バスについてのルートや時刻表などは、かつらぎ町の公式サイトをご覧ください。
「天野コース」というルートが丹生都比売神社行きになっています。