空海の母親が、わが子の開いた高野山を見たくて滞在していたお寺、慈尊院。
その境内、多宝塔の横に
階段の前に立つと、結構急なことがよくわかります^^;
119段の階段を登れば、丹生都比売神社同様、神仏習合の名残を残す両部鳥居があります。
鳥居から見えているのは拝殿。
境内はそんなに広くありませんが、本殿の後ろに高野山を仰ぎ見ることができます。
丹生官省符神社はこんな感じの神社ですが、慈尊院に隣接していることから慈尊院の鎮守社なんです。
慈尊院は、高野山一山の庶務を司る寺務所「政所」として建てたのが始まりなのですが、この神社は、高野山上の壇上伽藍と同様に丹生明神と狩場明神に守護神となっていただくために建てられたわけです。
高野山のもつ官省符荘(荘園)の総鎮守
この神社は空海が創建した当時は「丹生高野明神社」と呼ばれていましたが、時代が下ると丹生七社大明神、丹生神社と社号を改めています。
最後に丹生官省符神社となって以来、現在に至ります。
場所も元々は紀ノ川の河畔に鎮座していたのですが、天文年間の洪水によって昔の境内が沈んでしまい、現在の地に移っています。
神社の名前に「官省符」というものがありますが、ここには神社の役割を示す意味があります。
空海のいた時代、日本は律令制度下にあったのですが、政治のしくみとして、司法・行政・立法を司る最高国家機関である「太政官」を頂点に、財政・租税一般を管轄する「民部省」など色々な省庁がありました。
「符」というのは、律令時代の日本において、上級の官司が下級の官司に命令を下す古文書のことです。
太政官が下す符は「太政官符」、民部省が下す符は「民部省符」とよぶのですが、高野山は、太宰管符に加えて民部省符もつけたした、官省符荘という荘園を持っていました。
つまり、太政官と民部省から許可された荘園という意味です。
どういうことか?というと、太宰管の許可を受けることで、国の干渉を受けない不入の特権を持てますし、民部省から許可を受けることで国へ税金を納める必要のない特権を持つことができた、正式な荘園なんです。
そして、官省符荘が増えてきたことで、その総鎮守(総氏神)とされたのがこの丹生官省符神社です。
といっても、「丹生官省符神社」と社号を改めたのは1946年(昭和21年)のこと。
1200年もある高野山の歴史からするとわりと最近なんです^^;
この時代はすでに律令制下ではありませんから、昔の名残で名前を付けた感じがしますね^^
高野山登山の奉告と道中の安全を祈願する社
丹生官省符神社に登る119段の階段の途中、高野山への登山道となる
町石道については慈尊院の記事に書いたのですが、道しるべとして道中に町石とよばれる石塔が置かれています。
上の写真が、町石道の入り口を示す一番目の町石です。
なので丹生官省符神社は高野山登山のスタート地点となるのですが、歩いて高野山を登ろうとする方は、町石道を行く前にやることがあります。
それは、道中の安全(導き)を丹生官省符神社で祈願することです。
町石道から歩いて高野山を登ると、7~8時間はかかります。
山道ですから、マムシやいのしし、くまなどが出てもおかしくありませんので、きちんとお参りしておかないといけませんね^^
幸いにも、ここで祀られている神様の一人、狩場明神は導きの神様でもあります。
頼もしい限りですね。
そしてもちろん、下山したらお礼参りを忘れてはいけません。
丹生官省符神社では、昔からそのようにして祈りがささげられてきたんです。
丹生官省符神社御朱印
丹生官省符神社の御朱印です。
印では「官省符」と書かれていますが、墨書の方は昔の名前である「丹生神社」になっています。