高野山の麓、三谷地区(かつらぎ町三谷)に
この地は、かつて辰砂・丹砂採掘を得意としていた「丹生氏」という豪族が本拠地としていた場所です。
丹生酒殿神社で祀られている主祭神は、丹生氏の氏神である
「丹生明神」とも呼ばれています。
高野山では、守護神として祀られている神様ですね。
実はこの丹生明神、伊勢神宮の神様天照大神の妹神というすごい神様なんです^^
丹生氏が祀っていることからわかるように「丹砂の神様」なのですが、「水の神様」「農耕の神様」でもあります。
丹生明神は大和地方や紀伊地方を歴遊して農耕や糸紡ぎ、機織り、煮炊きなど衣食に関わることを教えて周ったのだそうです。
その中で三谷地区は、丹生明神が初めて御降臨された地とされています。
丹生酒殿神社裏の
神社名に「酒殿」とありますが、これにはいくつか説があります。
地主神である竈門明神が紀の川の水で酒を醸造し、そのお酒を丹生都比売大神に供えたという説、そして、天下った丹生都比売大神がここで酒造りを広めようとしていたという説などです。
このように、お酒との関わりもあことからお酒の神様としても祀られています。
境内散策
上の写真は境内の入り口。
見えている建物は拝殿です。
そんなに広くはありません。
境内に入るとすぐに、丹生酒殿神社のシンボルにもなっている、ものすごく大きなイチョウの御神木があります。
神社の外から見てもすぐわかるほどの大きさです。
紅葉の時期になるとものすごく綺麗なのだそうで、毎年十一月中旬から十二月初旬にかけてライトアップもされるようです。
なかなか綺麗そうですね^^
イチョウの木の前には小さな公園ほどのスペースがあるのですが、そこには散った葉っぱが広がって、一面黄色になるそうです。
その時期に近くに来ることがあれば見てみたいですね。
そのイチョウの木のすぐ奥にあるのが本殿を拝む拝殿。
入り口に扁額が掛けられています。
全部は読みにくいですが、「丹生大神」「狩場大神」と書かれているように見えます。
この二伸を祀っているのかと思いきや、本殿は三殿あるんですね。
祀られている神様は、
- 右座:
丹生都比売大神 - 中座:
高野御子大神 - 左座:
譽田別大神
高野御子大神は、丹生都比売大神の御子神である狩場明神のことです。
扁額に書かれていたのは、丹生明神と狩場明神。
高野山開創伝説に出てくる二神で、この二神が高野山の守護神になっています。
実は、左座の譽田別大神は、後で祀られるようになったんですね。
左座だけが建物の形式が異なっているのですが、そういう関係もあるのでしょう。
譽田別大神は元々、弘法大師 空海の生まれ故郷、讃岐の国(香川県仲多度郡屏風ヶ浦)に鎮座していた神様です。
つまり、お大師様の産土神ということになります。
なのでお大師様は高野山に勧請(お連れして祀ること)したのですが、明治二年の神仏分離で神社とお寺が分別され、高野山領であった兄井村(丹生酒殿神社から1kmほど西あたり)に遷座されました。
明治四十二年になって、丹生酒殿神社の許可を受け、現在の左座に祀られるようになったのです。
なお、左座には高野山領の寺尾村から遷座された市杵島比売大神も合祀されています。
また、境内にあった由緒書には、大国主神の御子、建御名方命も祀られているそうですが、こちらはどこに祀られているかは書いていませんでした。
もしかしたら左座に合祀されているのかもしれません。
鎌を御神木に打ち込む不思議な境内社 鎌八幡宮
拝殿の横には、「鎌八幡宮」と書かれた石碑があります。
向かうのは、御本殿の裏側。
丹生明神が御降臨された「榊山」です。
道は本殿の後ろに回り込むようになっていました。
後ろから丹生明神、狩場明神を祀る本殿が見えます。
そこの本殿が見える位置に、こんなものがありました!
鳥居の向こうには社殿はなく、御神木であるイチイガシがあって、たくさんの鎌が打ち込まれています。
私は最初「八幡宮もあるのか~」くらいにしか思っていませんでした。
知らずに来たのでつい、これを見て「うわぁ!」と声をあげてしまいました^^;
後で調べてみると、鎌は今でこそ農具ですが元々は武器だったそうで、このように鎌を打ちつけるのは、鎌で相手を叩きふせるという民間信仰からきているようです。
今では、無病息災や子宝、受験などの願掛けをして鎌を打ち込むのだそうです。
願いが成就していくほど鎌が深く突き刺さり、叶わない時は抜け落ちるのだとか。
不思議な御神体ですね^^
しかしこのように、ご神木に鎌が打ちこまれる信仰は、ここだけではありません。
信州の諏訪大社にもご神木に鎌を打ち付ける行事がありますし、大阪にある悪縁絶ちのお寺、円珠庵鎌八幡にもご神木に鎌が打ち込まれています。
実はこれらの社寺に共通して関わっている人物がいます。
それは真田幸村です。
信州は幸村の地元ですし、大阪の鎌八幡は「真田山」と呼ばれる区域の一番高い場所にあります。
大阪の鎌八幡は、大阪冬の陣で幸村が「真田丸」という出丸を築き、そこでおよそ10倍もの規模を誇る徳川軍と戦ったとされる場所。
その戦いを前に幸村が鎌を打ち込んで戦勝祈願をし、みごと戦勝を上げたので、その御礼として立派なお堂を建てたという伝承が残っています。
そして丹生酒殿神社も、幸村が大阪冬の陣が勃発する前に幽閉されていた九度山のほど近く。
「八幡宮」の神も戦いの神ですから、ここでも大阪に向かう前に祈願して行ったのかもしれません。
ここで実際に祈願したかどうかはあくまで私の憶測ですが、何か関係してそうな気がするんですよね^^
高野山道 三谷坂のスタート地点
高野山には今でこそ車や電車で行くことができますが、かつてはもちろん「歩く」しかありません^^
歩いて登る道もいくつかあって、その中でもメインルートとされていたのは、丹生酒殿神社からもう少し東に行った、九度山町にある慈尊院から登る「町石道」です。
(※町石道については、慈尊院や丹生官省符神社の記事に書きましたので、そちらをご覧ください^^)
でも、丹生酒殿神社から西へ30mほどのところにも、高野山参詣道、として重要な道であった「三谷坂」スタート地点があります。
三谷坂は高野山参詣の最短の道だったそうで、天皇の使いである勅使の方もここから登りました。
なので別名「勅使坂」とも呼ばれています。
近道というだけあって、なかなか勾配が急なのですが、かつては町石道よりもよく整備されていて、水も確保できたようです。
上の写真の石標に「天野大社参道」と書かれていますが、「天野大社」というのは、高野山の中腹「天野」の地にある「丹生都比売神社」のことです。
丹生都比売神社は、丹生明神が各地を歴訪した後、最後にお鎮まりになった場所。
なので、全国の丹生神社の総本社という扱いになっています。
丹生酒殿神社もかつては丹生都比売神社の摂社だったんです。
三谷坂から登れば、丹生都比売神社を参詣して、高野山に登ることができるわけですね。
丹生都比売神社を参詣した後は、町石道に合流して登ることになります。
丹生酒殿神社には、境内前に駐車場が3台、トイレもあります。
ただし、県道13号線から神社へ向かう道は非常に狭く、鳥居にひっかからないように高さ制限(2.5m)もあります。
また、現在宮司不在となっているので、御朱印やお守りなどはないようです。