神倉神社 鳥居

熊野速玉大社から徒歩10分くらいのところに神倉山があります。
神倉山に鎮座する神倉神社は、神武天皇の伝説や、熊野権現降臨の伝承などが残る神社です。
熊野速玉大社の摂社となっています。

主祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)高倉下命(たかくらじのみこと)

山上にある天磐盾(あまのいわたて)、通称ゴトビキ岩という巨岩がインパクト大なんです!

この日は雨が降ったりやんだりで、多少足場も悪かったのですが、神社についたころにちょうど止んでいたので訪れることができました。

神倉神社へのアクセス・駐車場情報

神倉神社には第一駐車場と第二駐車場があります。

行き方は、国道42号線から裁判所南交差点を山側に曲がります。
突き当たって左の道を行くと神倉神社の第二駐車場、第一駐車場があります。

神倉神社 駐車場

駐車場の隣にある白い鳥居は、出雲大社新宮教会の鳥居。
神倉神社は突きあたりの赤い鳥居です。
駐車場から近いですね。

また、熊野速玉大社から神倉神社まで歩いていくこともできます。
徒歩10分の距離です。

神倉神社に行くまでの道は狭くなっていて、車同士がすれ違うのは難しいです。
心配な方は、熊野速玉大社の駐車場を利用した方が良いかもしれませんね。

神倉神社ってどんな神社?

神倉神社について、抑えておくべきポイントは2つあります。
「熊野信仰始まりの地」ということと、「神武天皇東征」です。

熊野信仰始まりの地

「熊野権現御垂迹縁起」によると、熊野の神々(熊野権現)が最初に降り立ったのが、神倉神社の絶壁にある巨岩「ゴトビキ岩」の上なのです。
なので古代の人々は、ゴトビキ岩には神が宿ると信じていました。

つまり、神倉神社は熊野信仰発祥の聖地というわけですね。

ちなみに、熊野三山は、それぞれ「熊野速玉大社」、「熊野本宮大社」、「熊野那智大社」と名前がありますが、そのうち熊野速玉大社は「新宮」とも呼ばれています。

これは、「本宮」に対して「新宮」という意味ではありません。
発祥の地である神倉神社が「元宮」で、それに対する「新宮」なんです。

神倉神社には、社殿のない自然崇拝の時代から信仰がありました。
もちろんその頃は、熊野速玉大社は存在しません。
そして初めて新しい地(現在の熊野速玉大社)に社殿を作って、そこに神を祀るようになったので、速玉大社が「新宮」と呼ばれるようになったのです。

神武東征神話

古事記や日本書紀に、日本の初代天皇となる神武天皇の神話があります。
神倉神社は神武東征神話と深い関わりのある地なのです。

神武天皇が熊野に到着した際に、天磐盾(あまのいわたて)に登ったと書かれているんですね。
この話に、神倉神社に祀られている神「高倉下命(たかくらじのみこと)」が登場します。

(記紀神話については、和歌山県の公式観光サイトでわかりやすく紹介されています。)

神武東征神話によると、神武天皇が海側から大和へ向かうために熊野の地に足を踏み入れた時、地元の荒ぶる神々の霊気によって、神武天皇一行は次々と気を失い倒れこんでしまったのです。

いきなり絶体絶命の大ピンチ!

しかしそこに現れたのが熊野の高倉下(たかくらじ)

高倉下は夢で神託を得て天照大神より霊剣、布都御魂(ふつのみたま)を授かり、神武天皇を救いにきたのです。
天皇に霊剣を献上すると、荒ぶる神々はたちまち切り倒されていったのです。
こうして神武天皇は窮地を脱することができた、というわけです。

ちなみに、布都御魂は現在、奈良の石上神宮で祀られています。

足元注意!神倉神社の石段は急勾配!

神倉神社

神倉山は標高120メートル。
少しだけ離れた国道沿いから見ると、崖の上に社殿とゴトビキ岩があるのがわかります。
大した高さではなさそうですよね。

でも、そこにたどり着くには、急な石段(538段)を登る必要があるんです。

山の麓には社務所があって、登り口に両部鳥居があります。
鳥居の柱の部分に支えのように控え柱がある鳥居ですが、密教に由来する鳥居で、神仏習合の盛んな神社が使っています。
熊野は神仏習合の聖地みたいなものですから、熊野らしいですね^^

鳥居の前にくると、早速急勾配の石段が現れます。

神倉神社 階段

写真ではわかりにくいですが、かなり急です。

この石段は源頼朝が寄進したといわれている鎌倉積みの石段。
現代のような綺麗に整えられた階段ではないので、一段一段の高さも奥行きも一定じゃないので、足場を選びながら登らないと登りにくいです。
時には手をつかないといけないくらい大変です^^;

神倉神社 階段

そして、登りはまだ良いですが、下りの方は怖いです><
下をちょっとみただけでこんな感じ。

神倉神社 階段

足がすくみます^^;

神倉神社のこの石段は、ゴトビキ岩までずっと続いているわけではありません。
大体真ん中くらいまで登ったらゆるやかになりますので、最初の200段くらいが勝負です!

急な勾配を登り切ったところに中地蔵堂があります。
その横には、女坂の看板が・・・

神倉神社 女坂

「女坂」というのは、比較的ゆるやかな坂という意味で使われる坂なのですが、こういうルートもあるんですね。
下はその先に続くゆるやかな階段。

神倉神社 坂

先まで行くと鳥居が見えてきました。

神倉神社 鳥居

鳥居をくぐると、手水鉢があります。

神倉神社 手水鉢

この手水鉢、下の巨大な岩をそのまま加工して作っているので、岩と一体になっています。
後ろから引いているパイプの中に蛙がいるのか、蛙の鳴き声が聞こえてきます。

そして、ここからすぐ先にはついにゴトビキ岩が!

神倉神社 ゴトビキ岩

近くで見るとかなりの迫力ですね。

熊野権現が最初に降り立った天磐盾「ゴトビキ岩」

神倉神社 ゴトビキ岩

「ゴトビキ」というのは「ヒキガエル」を意味する熊野の方言なのですが、近くで見るとクジラのようですね^^
しめ縄が巻かれていますが、ゴトビキ岩の一番太い部分で幅が8メートルもあるのだとか。

なぜこんな岩が山の上にあるのか?考えると不思議な光景です。

そんな大きなゴトビキ岩に、大きなしめ縄が巻かれています。
しめ縄の長さは約30メートル。
重さはしめ縄だけで200キロもあるのだそうです!

しめ縄も定期的に変えなければならないはずですので、大変な作業ですね。

拝殿から後ろを振り向くと、新宮市内から熊野川の下流まで見渡せます。

神倉神社 風景

ゴトビキ岩の右横の坂になっている所は、手水鉢のところあたりから登ることができて、登るとそこには祭祀跡があります。

神倉神社 祭祀跡

今も使われているのかどうかはわかりませんが、丁寧に祀っていたことがわかりますね^^

神倉神社の火祭り「お灯まつり」

神倉神社では、毎年2月6日の夜に「お灯まつり」という火祭りが行われます。
「熊野の奇祭」ともいわれるこの祭りは、高倉下が松明をかかげて神武天皇をお迎えしたことが起源ともいわれていて、無病息災や五穀豊穣を祈る祭りです。
和歌山県無形民俗文化財にも指定されています。

熊野速玉大社参詣曼陀羅(左上)にも、神倉神社のところはゴトビキ岩から麓の鳥居まで火で覆われている様子が描かれています。

熊野速玉大社参詣曼陀羅

この祭りは女人禁制で、男の祭りなんです。
それもそのはず、なかなか危険なお祭りでして、2,000人ほどの白装束にに荒縄を締めた男たちが火のついた松明を持って、ゴトビキ岩のところからこの急な石段を一気に駆け下りるんです!
恐ろしい祭りですね^^;

早い人だと1分で駆け降りるのだそうです。

地元の人は、お灯まつりに参加するために、急勾配の石段を駆け降りる練習をするのだとか。

お祭りに参加する人を「上り子」というのですが、地元の人だけでなく、観光客でも参加できるようです(女性は参加できません)。

興味のある方は、お燈まつりの参加方法・スケジュール|南紀・熊野お祭りガイドを参考にしてください。

神倉神社の御朱印

神倉神社の御朱印です。

神倉神社 御朱印

右に、熊野三所権現の降臨の地を表す「熊野三神元宮」の文字。
ハンコが、ゴトビキ岩を表す「天磐盾」の文字。
熊野のシンボルで3本足のカラス、八咫烏(やたがらす)

そしておそらく、剣は神武天皇に授けた霊剣、布都御魂を表しているのでしょうか?
カッコイイです^^