平安京と比叡山の守護神を祀る日吉大社。

その境内は広く、「西本宮エリア」「東本宮エリア」「奥宮エリア」にわけることができます。
境内が広いので、記事を分けて書きました。

今回は西本宮編です。

国家鎮護の神、西本宮「大己貴神」について

日吉大社には、中心となる本宮が2つあります。
西本宮と東本宮です。

日吉大社では、この二つの本宮を中心に、たくさんの神様が祀られています。

日吉大社で一番古くから祀られている神様は、東本宮の大山咋神(おおやまくいのかみ)
山の神様として、また地主神として崇敬されてきました。
古くは古墳時代から祀られていたんです。

それに対して西本宮の大己貴神(おおなむちのかみ)は、後で祀られるようになった神様です。

大己貴神は別名「大物主神(おおものぬしのかみ)」、又は「大国主神(おおものぬしのかみ)」とも呼ばれ、国土を開拓・統治した神様で、古くから国家鎮護の神として朝廷で篤く崇敬されていた神様です。

大己貴神を祀ったのは、飛鳥時代の天智天皇。
天皇になる前は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と呼ばれていたので、そちらの呼び名で知っている方が多いかもしれません。

その天智天皇は、都を飛鳥から大津へ遷都させたのですが、その際に崇敬していた大己貴神を三輪山から勧請(連れてくること)しました。

普通なら地主神にその土地の守護をお願いするのですが、大津京では地主神だけでなく、かねてからの守り神だった大己貴神にもお守りしていただく、というツートップ体制を築きあげたわけですね^^

大津京は数年して再び奈良に遷りますが、その後京都に平安京ができ、続いて伝教大師 最澄が比叡山延暦寺を創立すると、日吉大社は延暦寺の守り神となります。

その時、あとから勧請した大己貴神を日吉大社の筆頭にし、地主神の大山咋神をナンバー2に定めたのです。
そのため、西本宮が「大比叡の神」、東本宮が「小比叡の神」と呼ばれています。

ちなみに、神階は大比叡の神が正一位に、小比叡の神は従四位上に格付けされています。

日吉大社ではその後も次々と各地の名門神様が勧請されて祀られるようになり、現在は「山王二十一社」と呼ばれるほど多くの神様が祀られています。

それぞれの神は神階で優劣をつけることなく、日吉大社で祀られている神様を総称して「日吉大神」と呼ばれます。

俗世界と神域の境目、大宮川に架かる日吉三橋

日吉大社の神域は、坂本の町から大宮川を境にして北側に広がっています。
川には三つの石橋が架かっていて、「日吉三橋」と呼ばれています。

現在、日吉大社の入り口は、西本宮エリアへの入り口と東本宮エリアの入り口の二つがありますが、西本宮エリアには日吉三橋のうち二つが架かっています。

坂本の町に延びる日吉大社の参道から西本宮エリアに真っすぐ通じる道に架かるのは「大宮橋」(重文)。

日吉大社 大宮橋

この橋は、豊臣秀吉によって架けられたと伝わっています。
日本の石橋は現在、中世の石造橋がほとんど残っていません。
近世以後でも江戸時代以後のものばかりです。

日吉三橋は、現存の石橋の中でも古さと規模が大きいことから重要視されているんです。

その三橋の中でも大宮橋は複雑な構造をしています。

大宮橋のすぐお隣にあるのが「走井橋」(重文)。

日吉大社 走井橋

簡素な造りですが、こちらも日吉三橋の一つです。

橋の上には不思議な曲がり方をした木がありますが、橋よりもこちらの方に目が行きますね^^

日吉大社 杉

面白い曲がり方をした木の隣には、面白いほどまっすぐな木もあります。

日吉大社 杉

神仏習合の象徴、山王鳥居

橋を渡って、参道を少し行くと見えてくるのが、鳥居の上に山型のものが付いた独特な形の鳥居。

日吉大社 山王鳥居

山王鳥居という有名な鳥居です。

「山王」という呼び名は日吉大社のことを指します。

比叡山で天台宗を開いた最澄は、遣唐使として唐に渡った時、天台宗の本山である天台山国清寺で天台宗の教義を学びました。
そこでは「山王元弼真君」という神が祀られていたのですが、「山王」という名前はここからきています。

中国の山王さんは、言わば山の神様。
最澄が比叡山で天台宗を開いた時、比叡山には大山咋神という山の神様が既におられたので、最澄は「比叡山の守り神になってください」と願いました。
なので日吉大社の神は日本の山王さんなのです。

鳥居の形の由来ですが、仏様をお参りするときには手と手を合わせて合掌しますので、その形が鳥居の上についた、というものがあります。
そのことから「合掌鳥居」とも呼ばれます。

かつては延暦寺にお参りに行く際、まずは麓の日吉大社をお参りをしてから山に上がる風習がありました。
このような風習ができたのも、日吉大社と延暦寺の密接な関係がずっと続いているからです。

神様と仏様を結びつける「神仏習合」という考え方がありますが、日吉大社は神と仏の関係が特に強かったので、まさに神仏習合の聖地ともいえるでしょう。

この地では、鎌倉時代に日吉大社の信仰と天台宗の思想を結合させた神道思想「山王神道」が生まれました。

山王神道は、日吉大社の神は釈迦の垂迹(仏が民衆を救うため仮の姿となって現れること)である、とするもの。
この思想が大きな神道の流派として影響力を持つようになります。

日吉大神の眷属、神猿さん

山王鳥居をくぐってすぐ、神馬舎と、神猿(まさる)と書かれたゲージがあります。

神猿

中にはお猿さんがいました。

神猿

あまりに動きまわる上に、ゲージの網目が細かすぎるので、あまりはっきりとした写真が撮れませんでした^^;

神馬舎はよくあるのですが、神猿は日吉大社ならでは。
日吉大社では、猿は眷属、つまり神の使いとされているのです。

山王神道書の一つ「耀天記」によると、「神」という字は、「示す編」に「申」と書き、山王は猿の姿で天下ったとされています。

これが庚申信仰と結び付いたことから、日吉大社は庚申信仰の本拠地ともされています。

ちなみに、日光東照宮の見サル・聞かサル・言わサルの3匹の猿が有名ですが、その元祖はこの日吉大社です。
この三猿の教えは、平安の昔から天台宗で説教に取り入れられていました。

古くから朝廷を護り続けた神を祀る西本宮

神猿さんのところからもまだ先に延びる参道は、まだ先が見えず、結構奥まであります。

日吉大社 西本宮 参道

途中には白山宮や宇佐宮などが右手に見えます。

立派な社殿が建っていたのでこちらを先にお参りしそうになったのですが、地図を見ると、西本宮は参道の一番奥。

こちらが西本宮の楼門。

西本宮 楼門

西本宮 楼門

大きくて立派な三間一戸の楼門です。
この門の屋根の四隅には、神猿の彫刻があります。

西本宮 楼門 猿

「四方厄除棟猿」と呼ばれています。
こういう彫刻があるのも、日吉大社ならではですね^^

楼門をくぐると、西本宮の拝殿があります。

西本宮 拝殿

天井を見ると、中央を一段高くした折上小組格天井になっています。
この天井は、冠位の高い方が座る部屋に施されるものですので、日吉大社が格式高い社であることが現れています。

そしてこちらが西本宮本殿(国宝)。

西本宮 本殿

代表的な日吉造の本殿です。
形もきれいですが、木材一つ一つに打たれた金具もきらびやか。

西本宮 本殿 金具

正面の欄干は濃い朱色が施され、強い魔よけの力を表しています。

ここで祀られているのが、先ほども紹介した国家鎮護の神大己貴神(おおなむちのかみ)
その正体とされる本地仏は釈迦如来です。

今では、厄除け方除け縁結び商売繁盛の御利益があるとされています。

本殿の東西には竹を植えた石造の竹台(ちくだい)があります。

西本宮 本殿 竹台

これは、神が宿る寄り代で、比叡山・延暦寺の根本中堂にも同じものがあります。

そして、本殿を後ろから見ると、前面にあったような長い屋根は揃えておらず、むしろカットされています。
これが日吉造の大きな特徴ですね。

西本宮 背後

アンバランスな感じの社殿ですが、これは神様が背後にある山を見上げられるようにするためとも言われています。
比叡山の守護神ですから、山をいつでも見れるように、との配慮なのでしょうね。

西本宮本殿の横には、宇佐宮に続く門があり、宇佐宮が見えます。

宇佐宮

宇佐宮は、西本宮より一段低い場所にあるのですが、その下り階段を降りる前にあるのが竈殿社。

大宮竈殿

西本宮に属する摂社で、大宮竈殿とも呼ばれます。

台所の神様として祀られているのですが、日本では古来より火を清浄なものとして尊ばれてきました。
そして(かまど)は食べ物を炊く大事な場所。

なので竈神は命の源を守護する家神として篤く信仰されていたので、大宮(西本宮)の竈殿として設けられたのです。

日吉三聖の一つ、格式高い宇佐宮

西本宮から一段下がったところにある宇佐宮。

宇佐宮

聖真子宮(しょうしんしぐう)」とも呼ばれています。

こちらも日吉造なのですが、日吉造の社殿は、日吉大社でも西本宮、東本宮とこちららの宇佐宮しかありません。
実は宇佐宮は、西本宮、東本宮に次ぐ格式。
この3社は「日吉三聖」と呼ばれているんです。

その証拠に、宇佐宮にも竈殿があります。
竈殿があるのは西本宮の大宮竈殿、東本宮の二宮竈殿、宇佐宮の聖真子竈殿の3社だけです。

宇佐宮に祀られているのは、田心姫神(たごりひめのかみ)
本地仏は阿弥陀如来とされています。

田心姫神は西本宮の大己貴神の妃神で、大分県の宇佐八幡宮に祀られている比売大神(宗像三女神)のうち、長女の多紀理姫命と同じ神様です。
なのでここは宇佐宮と呼ばれているわけですね。

その宇佐八幡宮は八幡信仰の総本宮です。
祀られている神様を総称して「八幡神」と呼ぶのですが、八幡神はものすごい神威があるということで、奈良時代には既に人気がありました。

そして最澄が遣唐使として入唐する際も、宇佐八幡宮に詣でて航海の安全を祈願しています。

そのような縁でこちらに迎えられたのかもしれません。

本地仏が阿弥陀如来である理由はわかりませんが、阿弥陀如来は、はるか西の彼方にあるとされる極楽浄土の教主。
宇佐八幡宮は日吉大社からはるか西にあるので、阿弥陀如来を本地仏としたのかもしれませんね。

交通安全航行安全恋愛成就の御利益があるとされています。

宇佐宮からさらに一段下がったところには、白山宮があります。

白山宮

修験道を通じで繋がった北陸の神、白山宮

白山宮

白山宮で祀られている神様は菊理姫神(くくりひめのかみ)
白山比咩神(しらやまひめのかみ)とも呼ばれます。

本地仏は、十一面観音です。

この神様は、イザナギ・イザナミの時代からいる神様です。
日本書紀によると、イザナギが黄泉の国から脱出するときに助言して助けたとされています。

白山宮の本拠地は、石川県にある白山比咩神社で、そこには白山という山があって、白山信仰の中心地になっています。

白山は山岳信仰が盛んな場所で、天台宗とは山岳修行を行う修験道を通じて深い関わりがありました。
その関係から祀られるようになったようです。

白山宮は、西本宮、東本宮、宇佐宮の日吉三聖に次いで格式が高いとされています。

現在は、仲裁の神夫婦和合縁結びの御利益があるそうです。

西本宮エリアには御利益がいっぱいですね^^