大神神社 大鳥居

奈良県桜井市にある三輪山は、はるか昔から神様が鎮まる聖なる山として信仰されています。
山の麓に大神神社があって、そこには大物主神オオモノヌシノカミが祀られています。

朝廷から民間まで幅広く崇敬されていて、官幣大社として各時代を通じて最高の待遇を受けています。
パワースポットとしてもかなり有名です^^

日本の国造りに貢献した神様、大国主命オオクニヌシノミコトの和魂・奇魂とも言われています。

大雑把に言ってしまえば、大国主命の魂の一部です^^

大物主神は日本最古の歴史書「古事記」や「日本書紀」でも大きく取り上げられていて、三輪山に鎮座するに至った経緯や、神祭りが疎かになってきた時代の崇神天皇の代にたたりをおこし、大きな力を持つ神であるということを知らしめたりした話などが書かれています。

あまりの力の大きさゆえに、朝廷でも丁重に扱われていたんです。

そんな大神神社ですが、京都によくある由緒正しい神社と違って、どこか独特の雰囲気が残っています。
皇族から民間まで広く信仰されてきたので、皇族関係の神社やお寺のような厳粛な空気だけでなく、民間信仰で見られるようなラフさが混じり合っているという感じの、不思議な場所です^^

境内散策

大神神社 二の鳥居

大神神社は三輪山自体をご神体としています。
山内の一木一草に至るまで神が宿るものとして、一切斧(おの)をいれることをしていないんです。
そしてその三輪山自体が境内にもなっています。

三輪山は周囲は16キロメートル、北は巻向川まきむくがわ、南は初瀬川はせがわまででかなりの広さがあります。

一般的には三輪山は禁足地となっているので麓から参拝しますが、摂社の狭井神社さいじんじゃには、三輪山に登るための登山道(1日の人数制限あり)があって、人数制限内なら特別に高さ467メートルの山頂に祀られている磐座まで行くことができます。
山まで登るとするともちろん1日がかりですね^^;

しかしそもそも狭井神社から先の山道は写真撮影が禁止される神聖な場所となるので、ブログでは三輪山の麓のみ紹介します。
麓でも結構広いですけどね^^;

まずは上の写真が二の鳥居。
二の鳥居をくぐって参道を進むと、末社の祓戸神社はらえどじんじゃがあります。
大神神社 はらえ戸神社
諸々の罪・穢れを祓う四柱、

  • 瀬織津姫神せおりつひめのかみ
  • 速秋津姫神はやあきつひめのかみ
  • 気吹戸主神いぶきどぬしのかみ
  • 速佐須良姫はやさすらひめのかみ

が祀られています。

神道では心身ともに清らかにすることが一番大切にされます。
なので普通の神社では神様に会う前にまず手水舎で手や口を清め、お祓いするわけですね^^
大神神社にも手水舎はありますが、それよりも前に祓戸神社があります。

お祓い専用の末社というわけですね。
正月の大神神社にはたくさんの人が訪れますが、ここは狭いので長蛇の列ができます。
末社で列ができるのは珍しいですね^^

祓戸神社の隣には、夫婦岩があります。

大神神社 夫婦岩

二つの岩が寄り添っていますが、この岩は古事記にも登場する、大物主神と活玉依姫いくたまよりびめの恋物語を伝える古墳なんです^^
このような物語になっています。

活玉依姫は大変美しい女性でした。

そこに姿も振舞いも比べる人がいないくらい立派な男性が夜中に突然彼女のところにやってきました。
お互いに心を引かれて、男性が彼女のもとに通ううちに妊娠しました。

両親が、夫もいないのに娘が妊娠したのを不審に思って、なぜ妊娠したのかを娘に尋ねましたが、娘は

「麗しい立派な男性がいて、その身分も名前もわかりませんが、夕方になるといつもやってきて、共に暮らしているうちに妊娠しました。」

と答えました。
その男性の正体を知りたい両親は、

「つむいだ麻糸を針に通して、その男の着物の裾に刺しなさい」

と教え、娘はその通りにしました。
翌朝、糸の行方を確かめてみるとその糸は戸の鍵穴から通り抜け、後には三巻の麻糸が残っていました。

糸の行方を追いかけると、美和山みわやま(三輪山)に行きついて、その社に留っていました。

つまり、男性は大物主神だったのです。

麻糸が3巻残っていたことから、その地に"三輪"という地名が付いたそうです^^

古事記の上巻で大物主神は、大国主神に

「私を大和を囲む青い垣根のように連なる山々の、東の山の上におごそかに祀りなさい」

とおっしゃっています。

その山が御諸山みもろやまと言われていますが、"三輪山"と呼ばれるようになったのはそういう理由のようですね^^

話が大分逸れましたが、夫婦岩は縁結び・恋愛成就・夫婦円満の霊験あらたかな磐座として信仰されています。
夫婦岩を過ぎると手水舎があり、階段を登ると拝殿があります。

大神神社 拝殿

私が参拝した時はちょうど夏越の大祓の時だったので、拝殿の前には茅の輪が置かれていました^^
しかも大神神社の場合は他とは違って、3つの茅の輪になっているんですね♪

「三輪大明神縁起」によると、「杉、松、榊の三木は神霊の宿り給う霊木である」と記されているので、夏越の大祓の時はこれにちなんで三霊木をかかげた茅の輪を用意しているんだそうです。

拝殿の話に戻ると、拝殿の左右には右に勅使殿と清明殿、左に勅使殿、参集殿が付属しています。
それだけ大きな拝殿なのですが、実は大神神社には本殿がありません!
拝殿の向こう側は見えないので、一見するとわかりませんね^^;

拝殿の向こう側には三ツ鳥居があって、その向こうには三輪山になっています。
つまり、山を直接拝むわけです!

昔は様々な恵みをもたらす山や川などの自然を神そのものととらえ、それを崇拝していたわけで、それが神社の前身なのですが、大神神社でも今でもそのような信仰の形を残しているわけです^^

三ツ鳥居は、鳥居を三つ組み合わせた形をしていて、「三輪鳥居」とも言われていて有名です。
ここでは俗世間と禁足地を分ける役割を担っています。

ただし、拝殿の向こう側を覗いても普通には見ることはできません。
社務所に申し出れば拝することができます。

形は末社の檜原神社のものとほぼ同じですので、そちらでは見ることもできます^^
拝殿に向かって右側には、「巳の神杉」があります。

巳の神杉

日本書紀には大物主神が蛇に姿を変えたことが記されていますので、蛇は大神の化身として信仰されていますが、この杉は洞から蛇が出入りすることから、「巳の神杉」と言われているそうです。

木の前には、鉱物の卵や御神酒がお供えされています。

参拝者が持参するようです。
参集殿の方に境内を進むと、「祈祷殿」という拝殿ほどの大きな殿があって、さらに進む方向に「くすり道」という道があります。

大神神社 くすり道

ここからは狭井神社への参道になります。
「くすり道」というのは、狭井神社が薬の神様を祀っているからそのような名前になっています。
くすり道を登り、まっすぐ行くと、摂社の磐座神社があります。

大神神社 磐座神社

ここには少彦名神(すくなひこなのかみ)が祀られています。
少彦名神といえば、大国主大神の国造りを手伝った小さな神様ですね^^

人間の生活の基礎を築いたほか、医薬治病の方法を定めた薬の神様としても信仰されています。
社殿がなくて磐座を祀っているのも三輪山らしいところです。

それこそが昔の信仰のあり方をそのままの形で伝えていると言われる所以ですね。
さらに進むと茶店があって、その向かいに狭井神社が見えてきます。

狭井神社 鳥居

三輪明神の荒御魂が祀られている場所で、こちらも病気平癒の霊験あらたかな場所です。
大神神社の摂社ですが、摂社にしては境内は広く、延喜式神名帳に記される古社です。

宗像三神の1柱、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が祀られている大きな池があります。

狭井神社 池

そこには鯉が泳いでいて、子供が餌をやっているのどかな風景が見られます^^
そしてこちらが二の鳥居からみた本殿です。

狭井神社 本殿

鳥居は二本の柱に大注連縄をかけたタイプ。
大神神社には所々でこのような鳥居を見かけます。

ここで忘れてはならないのがご神水。
本殿裏には、薬井戸という、万病に効くと言われているご神水が湧く井戸があって、自由に汲むことができます。

狭井神社 薬井戸

祀られている磐座にボタンが設置されていて、それを押すとご神水が出てくるというハイテクな仕様です^^;
ご神水はコップも用意されているので直接飲むことができますし、ペットボトルをたくさん持ってきて汲んでいる人もいました^^

そして本殿前には、神体山である三輪山への登山道の入り口があります。

三輪山 登山道

片道一時間、往復で二時間かかりますが、ご神体なので参拝以外の目的での入山はできません。
入山するには狭井神社の社務所で入山の受付をする必要があります。

入山初穂料は一人300円、受付は9時~14時までで、16時までに戻ってくる必要があります。
カメラの持ち込みも禁じられているので、社務所横のコインロッカーに預けることになります。

狭井神社をでて、茶店と池の横の道を進むと、智恵の神様を祀る久延彦神社(くえひこじんじゃ)があります。

久延彦神社

御祭神の久延毘古命(くえびこのみこと)は古事記の中にも出てきます。
大国主大神が国造りに励んでいる頃、海の向こうから一柱の神様がやってきたのですが、それがどこの神様か誰もわかりません。

その時、その神様は少彦名命であるということをことを久延毘古命が大神に知らせたんですね。
久延毘古命はかかしの姿をしていて、世の中のことなら何でも知っている智恵の神様というわけです。
久延彦神社は、受験合格や学業向上の霊験あらたかなんだそうですよ^^

そして久延彦神社を過ぎてさらに行くと、曲がり角に「若宮社」と書かれた鳥居があります。

大神神社 大直禰子神社

この摂社は大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)で、大物主大神の子孫である大直禰子命を祀っています。

だから"若宮社"なんでしょうね^^
古事記にこのようなエピソードがあります。

初代天皇の神武天皇の頃から大物主大神の神祭りが行われていましたが、第十代崇神天皇の時代にはついにその祭りが疎かになりました。

その為に不満を持った大物主大神はついに祟りを起こし、疫病が流行しました。
天皇はそれを嘆いてお悩みになりましたが、ある夜、天皇の夢に大物主大神が現れ、

「これは我が意思によるものだ。だから大直禰子命によって私を祭らせるならば、神の力による疫病は起こらず、国は安定して治まるだろう」

とおっしゃいました。
天皇は急いで国中に使いを走らせて、大直禰子命という人を探しだし、やっと見つけて天皇のもとへ伴ってこさせました。
天皇が

「お前は誰の子か?」

と尋ねると、

「私は大物主大神と活玉依姫命(いくたまよりびめ)から生まれた櫛御方命(くしみかたのみこと)の子孫でございます」

と答えました。

つまり大物主大神は、子孫である大直禰子命を祭主として祭りを安定させようとしたのですね^^
そしてその大直禰子命を祀っている神社がこの"大直禰子神社"というわけです。

元々大直禰子神社は、明治以前は大神神社の神宮寺で、大御輪寺というお寺でした。
大神様とその本地仏の十一面観音菩薩が祭られていたので、本殿はお寺のような殿になっているんですね^^

御朱印

大神神社の御朱印です。

大神神社 御朱印

大和国一之宮の文字が入っていますね^^
狭井神社にも御朱印があります。

狭井神社 御朱印

その他、私は頂いていませんが、大和七福八宝霊場、三輪明神の御朱印もあるようです。
大神神社にはオリジナルの御朱印帳がありました(1000円)。

ただし、私が見たのは大神神社の社務所ではなく、狭井神社の社務所でした。


大神神社の周りには名物の三輪そうめん屋さんが何件かあります。結構美味しいです♪
久延彦神社の前にもお店がありますし、若宮社から第二鳥居に戻ってくる道沿いにもお店がありますよ^^

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