北野天満宮 鳥居

「天神さん」でおなじみ、北野天満宮。
全国に1万2千社もある天満天神社の総本社で、天神信仰発祥の地です。

学問・受験の神様「菅原道真(すがわらのみちざね)」公をお祀りしており、多くの受験生の信仰を集めています。

境内には国宝に指定されている本殿や拝殿、さらに宝物殿では国宝の「北野天神絵巻」をはじめとする宝物類を鑑賞することができます。

また、冬には梅の木が50種類、1500本も植えられた「梅苑」、秋には約350本の紅葉を有する「もみじ苑」が公開されます。

今回はそんな北野天満宮の由緒や見どころを紹介します。

北野天満宮の由緒

北野天満宮は、平安時代中頃の天暦元年(947)、菅原道真公をお祀りしたのが始まりです。
道真公を知ると、北野天満宮をより楽しく参拝することができます。

菅原道真って、どんな人?

「菅原道真」は平安時代初期の承和12年(845年)に生まれました。
貴族であり、学者であり、右大臣まで勤めた超エリートといえる人物です。

菅原家は、日本神話にも出てくる農業・産業の神様「天穂日命(あめのほひのみこと)」にルーツをもつ家柄で、道真の曾祖父の時代には、学問で朝廷に使える家柄になっていました。

そんな学問の名家に生まれた道真は、幼いころから文学や和歌、漢詩に優れていました。
わずか5歳で和歌を詠むことができ、「神童」と称され秀才ぶりを発揮していたそうです。

しかも学問だけでなく、弓の腕前もなかなかのものでした。
まさに文武両道の人物だったのです。

大人になった道真は、その才能を発揮して位階を進め、ついには学者の最高位「文章博士(もんじょうはかせ)」となります。

さらに、讃岐守(さぬきのかみ)(今でいうと香川県の知事)として讃岐国へ赴任すると、疲弊していた讃岐国を建て直すことに成功します。

そのような実績が宇多天皇に気に入れられ、右大臣にまで昇りつめたのです。

ちなみに、学者家系出身で右大臣を務めたのは、日本の歴史上では2人しかいません。
一人は、奈良時代の聖武天皇に仕えていた吉備真備(きびのまきび)
そしてもう一人が菅原道真なのです。

いかに優秀な人物であったかがわかりますね^^

大宰府に左遷される菅原道真

右大臣として宇多天皇をサポートしていた菅原道真ですが、その息子である醍醐天皇の時代になって、突然いわれのない罪を被せられ、大宰府に左遷されてしまいます。
この事件を「昌泰(しょうたい)の変」といいます。

「昌泰の変」の発端となったのが、左大臣「藤原時平」の讒言。

時平は、藤原基経(当時、絶大な権力で長きにわたって朝廷の実験を握っていた藤原家の長)の長男です。
そんなエリートの出である時平は、宇多天皇の時代に順調に階位を上げ、醍醐天皇の時代になると若くして左大臣を務めるようになります。

そんな時平が、道真に関するこんな風説を流します。

「道真は、醍醐天皇を追い出した後、自分の娘婿である斉世親王を天皇にしようとしている」

斉世親王は宇多上皇の息子で、醍醐天皇の弟にあたります。
そして道真の娘が斉世親王に嫁いでいますので、道真と斉世親王は親戚関係になるんですね。

その噂を信じて怒った醍醐天皇は、道真を大宰府に左遷するのです。

なぜ時平はこのような謀を行ったのか?
それには諸説あります。

有名な説は、時平が道真の才能を恐れていたため、というもの。

道真は学者出身で、幼いころから神童といわれていた秀才で、しかも宇多天皇の時代から活躍するベテランです。
それに対して時平は、経験の浅い若輩者の貴公子。

左大臣なので、身分は道真よりは上です。
しかし、物事を情で判断するところがあり、道理に反することもしばしば。
そのため道真がはっきり異を示すことが多く、よく対立していたようです。

道真は、政務で時平と意見が合わなかったとき、しきりに宇多上皇のもとを訪れて政務を相談していました。
そして宇多上皇は、醍醐天皇に、政務を道真の言うとおりにするよう助言するのでした。

時平はそれをよく思わなくて事件を起こした、というわけです。

もう一つの説は、天皇家の確執問題

宇多上皇と醍醐天皇親子の権力争いです。

宇多天皇は、天皇の位を息子に譲り、上皇となったわけですが、その後も朝廷内で相当な影響力がありました。
醍醐天皇の意見よりも、宇多上皇の意見が通るわけですね。
醍醐天皇はおそらく快く思っていなかったでしょう。

宇多上皇がそのようにするのには理由があります。
それは、天皇時代に藤原基経(時平の父)ともめごと(阿衡事件)を起こし、藤原家に対してトラウマをもっていたからです。

天皇の政には藤原家が補佐することになるので、天皇という立場を譲り、上皇となれば、藤原家に影響されずに権力をふるうことができるわけですね。

さらに宇多天皇は、藤原家に権力が集中するのを恐れていたので、藤原家以外で優秀な人物、つまり菅原道真がとりたてられたのです。
そうやって、藤原家の影響力を少しずつ削いでいく作戦を進めていました。

一方で醍醐天皇は、藤原家と協力して政権を安定させたいと考えていました。

ここで

【宇多上皇&菅原道真】 VS 【醍醐天皇&藤原時平】

という2派の対立が明確になったのです。
道真はどう思ったかはわかりませんが、完全に巻き込まれた感じですね^^;

宇多上皇の政治への影響力を削ぐには、まず周りから。
ということで、時平は道真を失墜させる方法を画策します。

それで起こったのが、昌泰の変というわけです。

どちらの説が史実かはわかりませんが、いずれにしても、藤原時平の讒言によって菅原道真が大宰府に左遷された、という結果は変わりませんね。

道真は、左遷されてわずか2年後(903年)、大宰府で失意の中亡くなってしまいました。

怨霊となった菅原道真

道真を政治の中枢から排して、政治的に勝利した醍醐天皇と藤原時平ですが、その後、朝廷に不幸が続きます。

まずは909年、道真を左遷に追い詰めた張本人、藤原時平が39歳の若さで病死します。

次は913年、藤原時平と結託して道真を失脚させ、右大臣となった源光(みなもとのひかる)が鷹狩に出た際、泥沼の中に転落して溺死します。
同年には疫病の流行や干ばつといった災害が立て続けに起こりました。

不幸はまだ続きます。
923年、醍醐天皇の第二皇子で、時平の甥にもあたる皇太子「保明(やすあきら)親王」が亡くなります。
それに伴って保明親王の第一皇子の慶頼王(やすよりおう)が新しく皇太子となりますが、925年に亡くなります。

930年、ついに清涼殿に雷が落ちます。
その時に、昌泰の変に関わった者たちが多く死傷したのです。

北野天神絵巻

醍醐天皇もその落雷事件を目撃しており、その時は無事ではあったものの体調を崩し、後日、天皇を退位します。
そしてその3か月後、とうとう醍醐天皇も崩御してしまうのです。

清涼殿落雷事件以来、朝廷は、一連の不幸は菅原道真の怨霊によるものだと恐れるようになりました。

雷神として祀られた菅原道真

日本には御霊信仰というものがあります。
簡単にいうと、天災や疫病の発生は、恨みを持って死んでいったものによる「怨霊」の仕業と考えられていたのですが、そんな怨霊をを鎮めることで「御霊」に変え、逆に守護神になってもらおうというものです。

朝廷はこの考え方により、道真も雷や天候をつかさどる「雷神」と結び付け、祟りを鎮めることになったのです。
それが北野天満宮創建の由来です。

「天満宮」や「天神」と呼ばれるのは、道真の神としての名前が「天満大自在天神」であることからきています。

このように、最初は怨霊を鎮めるために祀られたのですが、時代を経て御霊信仰の衰退とともに、生前の道真の人柄が注目されるようになり、今ではご利益を頂ける神様として人気の神社になっているのです。

ちなみに、雷が鳴った時に「くわばら、くわばら」という雷除けの呪文を唱えるのは、道真の領地であった「桑原」には雷が落ちなかったからです。
「くわばら、くわばら」と唱えることで、天神様に、ここは桑原ですよと教えているわけですね。
(鳴ってからでは遅いのですが^^;)

天満宮のシンボル 梅と牛

北野天満宮に限らず、菅原道真を祀る神社には、梅の木や牛の像が必ず置かれています。
それは、菅原道真と関係があるからなんです。

大宰府まで飛んで行った飛梅伝説

北野天満宮には、たくさんの梅の木が植えられていて、京都では梅の名所の一つになっています。
梅苑もあって、50種類、1500本も植えられているんです。

また、北野天満宮に限らず、全国の天満宮には梅が植えられていることが多いですね。

それは、道真公が梅をこよなく愛していたからです。

現在は「お花見」といえば桜ですが、当時は梅がお花見の対象でした。
そして道真も、お花見のために、自宅に梅を植えて大切にしていたそうです。

道真が大宰府に左遷されることになり、いよいよ都から離れるというとき、

東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

という和歌を梅に向かって詠みました。

すると、道真が大宰府に到着した際、一夜にして梅の木が道真のもとに飛んできたといいます。
これが天満宮で語り継がれる飛梅伝説です。

北野天満宮の社紋が梅を表すマークになっているのは、それだけ梅が道真にゆかりがあるからこそですね。

提燈

北野天満宮では、梅の花が咲く季節はたくさんの人で賑わいます。
また、毎月25日は市が開催され(境内ライトアップも)、特に道真公の命日の2月25日は梅花祭も行われます。

北野天満宮の境内

北野天満宮 影向松

入口の一ノ鳥居をくぐるとすぐあるのが影向松という松。

なんともない松に見えますが、なんでも初冬(陰暦10月)から晩冬(陰暦12月)の間に初雪が降ったら、天神さまがこの松に降臨され雪見の歌を詠まれるとか。
なので期間中に初雪が降った時はここで初雪祭が行われるそうです。

北野天満宮 楼門

まっすぐ進むと楼門があります。
この北野天満宮の楼門、配置が他とはちょっと違うんですね~。

通常なら、楼門をまっすぐ進むと本殿にたどり着きます。
でもここはまっすぐ進むと、摂社である地主神社に着きます。(本殿に行くには途中で左側に曲がります)

なので、「筋違いの本殿」と言われているんです。

北野天満宮 地主神社

ここは北野の創建以前からの地主の神で、境内の最も古い神社なんだとか。
地主の神をたてるために、地主神社の正面を避けたんでしょうね^^

楼門に入るとすぐのところに、赤目のお牛さんがいます。
このお牛さんは徹夜で願いを聞いてくれるんだそうです。
(だから目が赤いのかな?^^;)

梅の季節に行くと、牛の後ろから梅の花が咲いてキレイです^^

北野天満宮 牛

参道から左に曲がると、本殿に入る前に三光門という、本殿前の門の前にきます。

三光門

この門は、日・月・星という三つの光に関係する彫刻があるから”三光門”と呼ぶのですが、一説では星は無く、日と月と三日月になっているそうです。
北野の七不思議のひとつと言われています。

そして三光門の前には、他の牛よりも人が群がっていて人気の牛の像が2つあります。

撫で牛 撫で牛

牛は道真公と関係が深く、天満宮では眷属とされています。

それで、牛の像を撫でることでご神徳をいただく、撫牛信仰というものもあります。
牛の像を「撫で牛」と言うのですが、頭が良くなりたければお牛さんの頭と自分の頭を交互に撫でます。
体の調子が悪い人は、自分の調子の悪い部分とお牛さんの同じ部分を交互に撫でると良いそうです^^

この2頭の牛の像は、学生さんからお年寄りまでみんな撫でていきます。
本殿に一番近いので、一番ご神徳があるのかもしれませんね^^

北野天満宮 本殿

北野天満宮の本殿です。

実はこの本殿にも北野の七不思議に数えられるものがあります。
それは「立ち牛」の彫刻。
本殿の鈴の上にあります。

立ち牛

参拝した後、見てみましょう^^
北野天満宮の牛の像はみんな横たわっているわけですが、唯一、この彫刻だけ立っているんだそうです。

境内の牛が横たわっているのは、道真公の亡骸を運ぶ牛が途中で座りこんで動かなくなったことから、やむなくその近くの寺院に埋葬したんだそうで、そのことから境内の牛の像は全て横たわった形になっているんだとか。

御后三柱

北野天満宮での礼拝は、実は表からだけでなく背面からも礼拝できます。

その場所が、上の写真の御后三柱(ごこうのみはしら)です。

ここには、天穂日命(菅公の祖先神)・菅原清公卿(菅公の祖父)・菅原是善卿(菅公の父)の三柱の神様が祀られています。
本殿を背にして祀られているのは珍しい形ですね^^

昔、天満宮に参拝に行ったら、この御后三柱も含めて礼拝するのが常だったんだとか。
参拝に行ったら、ぜひ表だけでなく裏も礼拝しましょう^^

北野天満宮には、その他にもたくさんの摂社・末社があります。
個人的には、ご本殿と御后三柱、地主神社、そして自分がご神徳を受けたい神社を参拝したいですね^^

摂末社と境内見所 | 北野天満宮公式サイト

梅・紅葉の季節は梅苑・もみじ苑へ

北野天満宮は、京都屈指の景勝地としても有名です。
境内でも梅の花がたくさん植えられていて、それだけでも見どころがあるのですが、それとは比較にならないくらい季節を満喫できる場所、それが梅苑と御土井(もみじ苑)です。

梅苑は、2月初旬から3月の下旬にかけて公開されます。

梅苑

時間は午前10時から午後4時までで、料金は大人600円(お茶菓子付き)。
梅コブ茶とお茶菓子を頂きながらお花見が楽しめます♪

梅苑2 梅苑3

また、梅苑の裏側にある御土井は、豊臣秀吉が作った堤防です。

秋にはもみじ苑に姿を変え、紅葉を楽しむことができます。
春の梅苑公開中は、梅苑と同時に御土井にも入ることができ、ここでも梅を楽しむことができます。

御土井

御朱印

北野天満宮の御朱印は、5種類あります。

  • 通常の御朱印
  • 文道大祖 風月本主(北野天満宮の楼門の額)
  • 和魂漢才(自国の歴史と文化に誇りを持ち、他国の文化も受け入れる寛容さを解いた道真公の精神)
  • 至誠(道真公の清らかで誠実な人柄と生涯一貫された「誠の心」)
  • 御土居の紅葉(もみじ苑公開時限定)

です。
そのうち、通常の御朱印だけいただきました。

北野天満宮 御朱印

あとはスタンプは「文道大祖 風月本主」以外は同じで、書いている文字だけが違っていました。
なので、私はこれだけでいいかなと思っています^^

御朱印は絵馬殿の下に設けられた主因所でいただくことができます。
オリジナルの御朱印帳は、梅の花があしらわれた御朱印帳と、鬼切丸と書かれた木の御朱印帳があり、それぞれ1,500円でした。