城興寺

京都市南区にある城興寺は、洛陽三十三所観音霊場の第二十二番札所に指定されています。

現在は小さな町のお寺という感じですが、かつては九条大路に面して南大門があり、それから放生池・仁王門・金堂・講堂、多宝塔、鐘楼、御影堂など塔堂伽藍を揃えて、烏丸町全域が寺域だったようです。

平安時代、後白河天皇の第三皇子、以仁王(もちひとおう)は、源氏に平家追討の令旨を発した原因を出したことから源平の戦いが始まるのですが、その追討令にお寺が関係しています。

城興寺

藤原道長の孫、藤原信長の邸宅だったものを三代後の藤原忠実が受け継いで寺に改め、鎮護国家の道場としました。
最初は四宗(顕・蜜・禅・律)を学ぶ兼学の道場だったのですが、その後天台宗となって天台座主・最雲法親王が管理、最雲法親王が亡くなった後はその弟子だった以仁王が引き継ぎます。

それから長年城興寺の領域を知行(支配権を行使すること)してきたのですが、治承3年(1179年)に平清盛がクーデターを起こして後白河法皇を幽閉。
その時に寺領も没収されてしまいます。

その恨みが後の、平家追討の令旨に繋がったと考えられているんです。

現在は、応仁の乱などの戦乱や、火災などで寺域は縮小していて、小さな本堂があるのみ。
本尊の慈覚大師円仁作、千手観世音菩薩は、円仁が帰りの遣唐使船で無事帰れることを念じて船の中で彫ったというものですが、残念ながら秘仏となっています。

ただ、城興寺では積極的に写仏会写経会を行っていて、写仏会では御本尊の千手観音を写すそうです。

また納経所には、指詩(ゆびことば)で書いた小指みくじというユニークなおみくじもあります。
「大吉」、「小吉」という普通のおみくじではなく、背中を押してくれるような言葉が書かれたおみくじです。

今、何か迷いがある方や、今苦しい状況にいるという方は、このおみくじを引いてみると良いかもしれません^^

城興寺の場所は地図で見ると入口が分かりにくいのですが、地下鉄烏丸線九条駅2番出口近く、烏丸通から細い路地に入ったところに境内の入口があります。
京都駅八条口からも歩いて行けます。

[PR]