第二番札所の極楽寺から約3km、車で約10分ほどのところに、第三番札所
こちらも1、2番札所と同様に、奈良時代に聖武天皇勅願で行基が開創したお寺です。
釈迦如来を本尊としたこのお寺は当初、
しかし、後の世に弘法大師 空海が立ちよった際、水不足に悩む地元民の声を聞いた空海が井戸を掘ったところ、黄金の霊水が湧き出たのだそうです。
それから金泉寺と呼ばれるようになりました。
また、金泉寺はかつて、大規模な伽藍が立ち並んでいたようです。
皇室との関係も深く、亀山天皇が金泉寺を崇拝して、京都の蓮華王院にならって三十三間堂を建て、背後の山を「亀山」と命名して、お寺の山号が「亀光山」と称されました。
天皇は、勅願道場として経蔵も造り、日本各地から学僧を集めて講演を行ったりして、お寺は栄えたのだそうです。
皇室との関係はその後も続き、南北朝時代には南朝の長慶天皇が晩年を過ごし、ここで崩御されたという伝説も残っています。
しかし天正十年(1582年)、長宗我部元親の兵火で大師堂以外の伽藍を焼失してしまいます。
その後再建されて、現在の形になっています。
山門は、平成8年に完成したばかりという、朱塗りの仁王門。
仁王さんの目は、白眼の所が金色になっています。
参道は短く、少し行ったところに本堂、大師堂が見えます。
こちらは本堂。
本堂左にある護摩堂は格天井になっていて、美しい花鳥が描かれています。
続いて大師堂。
お遍路の方はこちらで参拝を行います。
大師堂は、左側の入り口から入って、中でお経をあげることができます。
入り口の存在を知らずにほとんどの方が外でお経をあげていますが、せっかくなので中でお経をあげると良いですよ^^
源義経が戦勝祈願をした勝運観音
大師堂の隣には、八角観音堂という、八角形の観音堂があります。
ここに祀られているのは勝運観音という聖観音。
大変運の強い観音様と言われています。
平家追討の命を受けた源義経は、讃岐国の屋島に向かう途中、金泉寺に立ち寄って戦勝開運を祈願しました。
その祈願に応え、観音様は義経に勝利をもたらしたのです。
霊験あらたかな観音様ですね^^
納経所横にある整えられた庭の一角には、義経の部下である弁慶が持ち上げたとされる弁慶の力石があります。
義経は自軍の前で弁慶に力試しを命じ、弁慶の並み外れた力量を示して、士気を鼓舞したのです。
見たところ、結構大きな石で、持ちあげるのに何人必要なのかわからないほどでした。
実はこの岩を持ちあげることができたのも、この観音様が関わっているようです。
義経軍にやる気をみなぎらせたのも、観音様のお力なんですね。
長寿・短命を占う 黄金の井戸
大師堂と八角観音堂の間を奥に行くと、「黄金地蔵尊」と書かれた小さな祠があります。
ここには、寺名の由来にもなっている黄金の井戸があります。
この井戸、現在も湧き出ているんです!
本当に黄金なのか、覗いてみたいところですが、除く前に一つ注意点があります。
この井戸には言い伝えがあって、井戸を覗きこんだ時、自分の顔がはっきり映ったら長生きできるのだそうです!
ただし、ぼやけていた場合、残念ながら短命なのだとか。
覗くのにちょっと勇気が要りますね^^;
私の場合、勇気を出して覗いてみたら、しっかり顔が映っていました!
良かったです^^
もし、黄金の井戸を覗いて、自分の姿が良く見えなかった、という場合は、隣に閻魔堂がありますので、あらかじめ懺悔したり、大目に見てもらったりお願いしておいた方が良いかもしれませんね^^;
井戸を挟んで向こう側に祀られているのは、北向き地蔵と呼ばれているお地蔵様。
このお地蔵さんは、首から上の病気に霊験があるのだそうです。
自分の悪いところと同じところを撫でながら、願をかけると良いのだそうです。
金泉寺の御朱印
金泉寺の御朱印です。
金泉寺の納経所では、お寺の方が元気に挨拶をしてくれました^^
納経をお願いすると、手を合わせてから御朱印を書き、終わるとまた手を合わせて納経帳を返してくれるという丁寧ぶり。
ありがたさと、なんとも身が引き締まる思いがしました^^
金泉寺から第四番札所 大日寺までは約5.4km、車で約12分です。
歩き遍路の方はちょっと距離があるので頑張らないといけませんね。
また、四番札所に向かう途中、金泉寺の奥の院「愛染院」があります。
愛染院には、お大師様作の不動明王が祀られていて、腰から下の病に霊験があると言われています。
赤澤信濃守を祀るお堂には、わらじがたくさん奉納されているのですが、歩き遍路の方は、ここで足腰の無事を祈願するとよいですね^^