大神神社から「山の辺の道」沿いに歩いて約20分ほどのところにある
後で説明する「元伊勢」ともいわれている神社です。
この神社で注目したいのは、三つの鳥居が柱を共有しながら横一列に連なった「三ツ鳥居」。
この三ツ鳥居越しに三輪山を拝む、古代のスタイルが残っている神社なんです。
境内は綺麗に整えられていて、自然の音しか聞こえないほど静かな場所なので、凛とした空気を感じることができます。
知る人ぞ知るパワースポットです。
檜原神社の由緒
檜原神社は、大神神社の摂社の一つになっています。
境内も小さな神社なのですが、日本書紀にも関わりのある神社なのです。
檜原神社を知るためのキーワードは「
檜原神社は日本書紀に登場する「倭笠縫邑」?
伊勢神宮で祀られている天照大御神は、元々は天皇のお住まいになられている宮中で祀られていたということが、日本書紀に書かれています。
それが崇神天皇の時代に、ふさわしい場所を探してそこで祀ることになったんですね。
それで見つけた場所が
日本書紀の中での第10代崇神天皇に関する記述に、このように書かれています。
崇神天皇の時代、国内に疫病がはやり、国民の大半が亡くなってしまい、人心は荒廃して国を治めることが難しくなってしまいました。
天皇は朝夕、
それまで
それゆえ、天照大御神については、
また、倭大国魂神については
少し解説します。
まず最初に、崇神天皇の時代には、宮中に「天照大御神」と「倭大国魂神」の二神が祀られていた、とあります。
その頃、伊勢神宮はまだありません。
私たちが神棚で神様を祀るような感じで、天皇も宮中で神様を祀っていたんですね。
しかし崇神天皇は、疫病の流行を機に、神々と一緒にいるのを恐れるようになります。
そこで天皇の皇女に、神々を祀るのにふさわしい場所を探すよう、命じたわけです。
天照大御神を担当したのは、
倭大国魂神を担当したのは、
豊鍬入姫命が見つけた場所は、倭の
その場所が、現在の檜原神社だと考えられているのです。
下の写真は、檜原神社の境内。
「皇大神宮聖蹟 倭笠縫邑」とあります。
「皇大神宮」というのは、今でいう伊勢神宮の内宮のこと。
つまり、「天照大御神が祀られていた聖なる跡地」ということですね。
実は、倭笠縫邑があった場所とされるところは、檜原神社以外にも数か所あるんです。
檜原神社はその中でも最有力候補で、ほぼ断定されているのだとか。
ちなみに、倭大国魂神が祀られた場所は、檜原神社から少し北の方にある
元伊勢とは?
もう一つのキーワード「元伊勢」ですが、檜原神社は元伊勢の地といわれています。
伊勢神宮よりも前に天照大御神が鎮座していた、ということで「元伊勢」と呼ばれているわけです。
崇神天皇の次、垂仁天皇の時代になると、天照大御神をお祀りする役目が、豊鍬入姫命から
倭姫命は、天照大御神がお鎮まりになるための、よりふさわしい場所を探して各地を転々とし、最終的に伊勢の地に決めました。
それが現在の伊勢神宮になっています。
倭姫命は、転々と各地を巡った候補先でも、しばらく滞在して天照大御神を祀っていました。
そのようにして祀った地はすべて「元伊勢」と呼びます。
檜原神社は元伊勢の第一号なのです。
大神神社から檜原神社へ徒歩で行く「山の辺の道」さんぽ
大神神社から檜原神社へは、三輪から奈良へ通じる日本最古の古道「山の辺の道」を歩いていきます。
人しか通れない道で、およそ20分ほどかかります。
車で行きたい方は、記事後半で車でのアクセス方法を紹介していますので、そちらをご覧ください。
檜原神社には無料駐車場があるので、車で行くと楽なのですが、細い道を通ることになります。
運転に自信のない方は、大神神社から歩いて行った方が良いかもしれません。
徒歩で行く場合は、下のようなルートを通ります。
出発地点は、大神神社の境内にある摂社、
上の地図では玄賓庵までの道になっていますが、玄賓庵を過ぎてそのまま道なりに進むと檜原神社に到着します。
(グーグルマップやヤフー地図では、玄賓庵より先の道が認識されませんでした。)
迷うこともないと思いますので、まずは玄賓庵を目指してください。
下は出発地点、狭井神社の鳥居前。
鳥居のすぐ横に「この先、桧原神社(元伊勢)徒歩約20分」と書かれている看板があります。
この道が「山の辺の道」です。
山の辺の道はこのような、人しか通れない道になっています。
道沿いには、おしゃれなカフェもあります。
もう少し行くと、蓮がたくさんの光景も見られます。
そしてこちらが玄賓庵。
玄賓庵を通り過ぎ、そのまま道なりに行くと、檜原神社に到着します。
道は狭いですが、歩きにくいところや、アップダウンの激しいところはありません。
ちょっと距離があるだけです。
徒歩で行く場合に、一つだけ注意点があります。
大神神社の駐車場は16時に閉まるということです><
(二の鳥居前あたりの駐車場だと大丈夫かもしれません。)
時間が心配な方は、檜原神社まで車で行きましょう。
大神神社では見ることができない三ツ鳥居を見ることができます
檜原神社の注目ポイントの一つは、こちらの三ツ鳥居。
正式名称は「三輪鳥居」といいます。
その名の通り、大神神社の三ツ鳥居が本家本元です。
檜原神社の三ツ鳥居の向こう側には、
「俗世間」と、人が入ることのできない「神域」を分けるように三ツ鳥居が立っているんです。
一般的に、神社にある鳥居は、入り口や参道途中に立っているものですよね。
檜原神社の入り口や参道にもシンプルな鳥居が立っています。
それに対して三ツ鳥居が立っているのは、神籬の前だけ。
重要な役割を担っている感じですね。
大神神社でもそれはやはり同じスタイルで立っています。
大神神社の三ツ鳥居の向こう側は、ダイレクトに三輪山になっているんです。
ご神体が鎮座する三輪山は、神そのものとして扱っていますからね^^
ところで、
「大神神社に三ツ鳥居なんてあったっけ?」
と思う人もいるでしょう。
それもそのはず、大神神社では普通には見ることができないんですね。
なぜなら、三ツ鳥居の前には、大きな拝殿が建っているからです。
三ツ鳥居はその後ろに隠れてしまっているので、見えなくて当然なんです。
拝殿の近くにある「参集殿」で申し込めば拝観できますが、普通には見ることができないので、その存在すら知らない人は多いと思います。
それに対して檜原神社では、拝殿も本殿もなく、三ツ鳥居だけが立っているので、見ることができます。
現在の三ツ鳥居は、昭和40年に復元されたものですが、本殿を持たず、三ツ鳥居越しに鎮座する神を拝むという古代のスタイルを見ることができるのは貴重かもしれませんね。
檜原神社の三ツ鳥居の横には、天照大神に奉仕した豊鍬入姫命を祀る宮があります。
豊鍬入姫宮は、昭和61年に創祀された新しい社です。
豊鍬入姫は、第10代崇神天皇の皇女で、天照大御神に専属でお仕えすることを崇神天皇に命じられて、ここで奉仕していました。
後に「斎王」といって、天皇の代ごとに天照大御神に専属でお仕えする皇女を選ぶ「斎王制度」ができるのですが、豊鍬入姫はその第一号なのです。
境内入り口の鳥居越しに見える二上山にも注目
雄岳と雌岳が寄り添って並ぶ二上山は、奈良盆地の西側にあります。
古くから聖なる山とされてきたのですが、その山がここから鳥居越しに見えるんです!
檜原神社の参道は西から伸びているのですが、ちょうどその真西に二上山があるわけです。
そして、春分・秋分の日には、夕日が二上山の雄岳と雌岳の間に沈んでいく様子を見ることができます。
まるで狙ったかのような位置づけですね。
境内にはこんなポスターがありました。
やはり夕日が一番きれいですね。
普段の夕日でもきれいですので、春分・秋分の日は、たくさんのカメラマンが訪れ、場所取りも必要なほど人気なのだそうです。
檜原神社の参道を下ったところにある井寺池にも注目。
場所はこちら。
二つに分かれた池ですが、池を分けている真ん中の道に行くと、奈良盆地から二上山まで見渡せるポイントになっています。
右側には奈良盆地の街並みが広がります。
池の向こうにあるこんもりとした丘は卑弥呼の墓ともいわれ注目されている箸墓古墳です。
一番奥に見えるのは二上山、そして葛城山系の山々です。
高さがないので見下ろすような景色ではありませんが、昔からほぼ変わらない風景が見られて、ロマンを感じますね^^
檜原神社の御朱印
檜原神社の御朱印は2種類あります。
まずは、「檜原神社」の印が入った御朱印です。
天照大御神に奉仕した、豊鍬入姫命の御朱印です。
檜原神社の社務所には、大神神社の御朱印帳が販売されていました。
大神神社の拝殿がモチーフになっています。
お値段は2,000円でした。
檜原神社のオリジナル御朱印帳というのはないようです。
三ツ鳥居の御朱印帳があってもよさそうですけどね^^
檜原神社へ車でアクセス
大神神社から車で行こうとすると、ナビによっては狭くて曲がり角が多い道を案内されるかもしれません。
グーグルマップやヤフー地図でも、最短距離としてそういう道が案内されました。
でも、下の地図のルートで行くと、道がわかりやすいですし、細い道も比較的少しで済みます。
檜原神社の駐車場は無料です。
入り口の鳥居まで100mくらいのところにあります。
行き方を説明すると、まずは大神神社の大鳥居から右折。
国道169号線を天理方面へ向かいます。
次に、巻野内交差点を右折して県道50号線に入り、直進します。
すると、桧原神社の看板がありますので、その看板から右に曲がり、直進すると到着します。
駐車場は、檜原神社の正面鳥居から右に曲がり、休憩処を過ぎたところにあります。