京都文化博物館 戦国時代展

京都文化博物館で開催されている戦国時代展を見に行きました。
江戸東京博物館、京都文化博物館、米沢市上杉博物館の3館での巡回展で、東京に続いて今は京都で行われています。

「戦国時代」というと、歴史の表舞台では、戦国大名がスーパースター扱いされますよね。
でも、その裏では下剋上が当たり前で、頂点に立っても疑心暗鬼になっていたり、対外的にも、同盟を結んでもすぐに裏切ったり裏切られたり。

一方で農民は、兵糧で徴収が増えたり、または相手を兵糧不足にするために青田刈りにされたり。
また、「落ち武者狩り」をして武士の所持品を奪ったり、賞金首を稼いだり、といったことをするのも主に農民だったそうです。

このようなイメージから、とにかく生きていくのに必死だった時代、という認識が私にはあります^^;

しかしこの展覧会の開催趣旨によると、

近年では、この時代は、各地で対立・戦乱がおきながらも、列島規模で文化的・経済的な実りをもたらした時期だと考えられるようになっています。

とのこと!
室町幕府の権力が衰えると同時に地方の有料大名たちが台頭、その結果、京都の成熟した文化が地方にも浸透し、さらに新しい文化が再生産されたというのです。

実際、戦国時代での様々な一面を発見できるエピソードが満載で、なかなか面白い展覧会でした^^

こちらが展覧会のリーフレット。

戦国時代展

展覧会では様々な地域の大名たちに関する芸術作品や愛用品などが展示されているのですが、その中でも興味深かったのが、越後の上杉に関するもの。
関西ではそうお目にかかれないので貴重な機会でした^^

天皇と上杉家との関係を垣間見る短刀「五虎退」

まずは上杉謙信が正親町天皇に謁見して拝領した短刀「五虎退」。
刀剣乱舞というゲームにも出てくる立派な短刀です。

正親町天皇はなぜこの短刀を謙信に与えたのか?
その裏に時代背景が伺えるんです。

当時の京都は応仁の乱などで大打撃を受け、朝廷はそれ以来、財政危機に陥っていました。
ちょうどその頃に即位した正親町天皇は、即位の式典を3年間あげれなかったのです。

しかも式典ができたのは、毛利元就から献上金を頂いたから。

それだけ財政難だったんですね。
しかし大名たちはどんどん財力を蓄えています。

それでも朝廷は存在し続けていて、日本は天皇を頂点とした国家でした。

そんな天皇から頂いたものはまさに京都ブランド!

謙信は、色々と朝廷に尽くすことを約束するために2度京都を訪れています。
天皇から授かった刀は、家臣の心を惹きつけ、権威を強めることができるものだったのです。

一方で天皇側は大名たちのバックアップを受けることができるので、お互い持ちつ持たれつ、Win-winの関係だったんですね^^

他国の戦国大名とはどのように付き合っていた?

また、戦国大名同士はどのような関係だったのか?

それはこの展覧会で多く出陳されていた交わした古文書の数々で垣間見ることができます。
織田、北条、三好、大内、尼子、伊達等、色々な大名の文書が出陳されていました。

国宝の上杉家文書も多数出陳^^

ただ、古文書だけ見せられても普通はなかなか理解しにくいですよね^^
でもこの展覧会では、その時代背景や大名の紹介が丁寧にされており、口語訳も用意されていました。

そういうものを見ていると、どの大名も相手のことを気遣って、言葉を選んでいるんですよね。
挑発的に接しそうな織田信長や、権威で押さえつけそうな豊臣秀吉ですら丁寧な言葉遣い、紳士な対応^^

実際はどう考えていたのかはわかりませんが、表情が見えない文書だからこそ言葉を選んでいるのかもしれません。
その辺は現代人の感覚と変わらないのかもしれませんね^^
日本人のDNA、とも言えるのではないでしょうか。

庶民の暮らしは意外にも不遇ではなかった?

戦国時代だからといって、民衆はないがしろにされ、強制されたのか、というと、必ずしもそうではなかったようです。
そう思わせるのが、国宝 洛中洛外図屏風 上杉本。

洛中洛外図屏風 上杉本
※リーフレットより

狩野永徳作、戦国時代の景観が描かれた洛中洛外図の一つです。
織田信長から上杉謙信に贈った、とされているようですね^^

洛中洛外図は時代によって描かれるものが違うので、その時代の様子をうかがい知ることができるのが面白いところです。

上の画像ではよく見えないのですが、本物を見ると、京の町は賑わいを取り戻していて、祇園祭も行われています。
色々な職業の人がいて、生き生きとしているんですよね^^

そして驚いたのがこれ。


※リーフレットより

大雲院跡から出土したという大きな銭坪。
実物は、一人ではとても抱えて持ち上げられないほどの大きさです。

中に入っているのは五円玉のような昔のお金。
写真のようにギッシリまとめられて入っていたんです!

現在の値段にしてなんと数百万円の価値になるのだとか。

大雲院があった場所は、その昔は職人たちが住んでいた場所だったそうで、ギッシリため込んでいたんですね。
町は復興を遂げたものの、また焼野原になることを恐れて、財産を土に埋めたのでしょうか?

それにしても、そんなに貯め込めるほど商売が上手くいっていたということですね^^
意外にも地に足がついた生活を送っていたのかもしれません。

やっぱり面白い!合戦図屏風

「姉川合戦図屏風」や「川中島合戦図屏風」などの合戦図屏風もなかなかの見ごたえでした!

写真はないのですが、「川中島合戦図屏風」では、上杉謙信はハチマキ姿で戦っています。
一般的には謙信は僧侶の恰好をしていますが、それは武田側の描き方で、上杉側の描き方だと、ハチマキ姿なのだそうです。
イメージが変わる驚きです^^

近江の浅井長政と織田信長の戦いを描いた「姉川合戦図屏風」では、戦場のリアルさ、というよりも、兵士の気持ちをうかがい知ることができます。

「欣求浄土 厭離穢土」を掲げて、死を前向きにとらえる覚悟で戦いに挑む武将や、「天照皇大神 八幡大神 春日大神」と、三社託宣の旗を掲げて神のご加護を願いつつ戦う武将など、戦いの中にも信仰が持ち込まれているんですね。

どういう気持ちで戦いに挑んでいたのか、色々思いを馳せれます^^

このような美術品が、この時代の地方に伝わっているということが、京都で培われた技術が地方にも浸透したからこそなのでしょうね。


戦国時代を「戦い」以外の視点から見るものばかりを紹介しましたが、もちろん戦国大名に思いを馳せられるものもたくさん出陳されていました^^

真田家に伝わったという、大きな六文銭の旗や、武田信玄から真田に贈られたというほら貝、技巧を凝らして編まれた北条の鎧など、心躍る数々^^
そして毘沙門天の生まれ変わりと言われている上杉謙信の念持仏「泥足毘沙門天立像」も見ることができました♪

音声ガイドは戦国時代をテーマにしたゲームのキャラクターが解説をします。
ゲームファンも必見です^^