和歌山県北部、高野山の玄関口にある町、九度山。
以前、世界遺産の寺である慈尊院を紹介しましたが、真田庵はその近くにあります。

真田庵の正式名称は「善名称院」というのですが、真田昌幸・幸村(信繁)親子が関ヶ原の戦い後、14年間蟄居していた屋敷の跡地に建てられたので、「真田庵」と呼ばれています。

2016年は大河ドラマ「真田丸」の放送年ということで、真田庵の近くには大河ドラマ展を開催する「真田ミュージアム」が開館しています。

合わせていけるチャンスなので、お盆期間中に行ってみました。

近くの道の駅は、真田で盛り上がっていました。

真田庵は、南海電鉄高野線の「九度山駅」から徒歩10分ほど。

車の場合はお寺の南側の丹生川沿いに、丹生川駐車場という無料駐車場があります。

私は車で行ったのですが、お盆ということもあってか、20台ほど収容できる駐車場は満車。
なので、すぐ近くの「道の郷くどやま」に駐車することにしました。

駐車場前には真田のシンボル、六文銭がたくさん見えます。

柿の郷くどやま

ここからは真田ミュージアムまでのバスも出ていて、観光駐車場の一つとしても使われています。
しかし、こちらも満車状態。
10分ほど並んで駐車することができました。

車を降りると、早速こんなものが。

柿の郷くどやま

中に入ると、真田の「赤備え」の鎧が置かれていました。

柿の郷くどやま 赤備え

こういうものを見ると、真田の郷に来た~!って気分になりますね^^

道の駅の横にはおみやげ館があります。

柿の郷くどやま おみやげ館

よくある感じのお土産ばかりでしたが、六文銭の今治タオル(2700円)は赤をバックに六文銭が映えていて、かっこよく仕上がっていました。
欲しかったですが、さすが今治タオルは高いです^^

ちなみに、道路沿いに並んでいた六文銭の石碑は、歩道側から見ると、かわいらしい真田十勇士が描かれていました^^

猿飛佐助

霧隠才蔵

関ヶ原の戦い後に真田父子が隠棲した屋敷跡

柿の郷くどやまから丹生川を渡り、県道13号線沿いに歩くと、途中で真田庵へ向かう細い道があります。

真田庵 小道

人しか通れない小道なのですが、ここからすぐのところに真田庵があります。

真田庵 塀

外側から見たところですが、塀が結構低いですね。

建物が見えてすぐ、南側の入り口があります。

真田庵 南口

入り口をくぐると、六文銭が書かれた賽銭箱と、可愛らしい閻魔様がいらっしゃいました。

真田庵 閻魔様

そしてその先には本堂が見えます。
境内はそんなに広くありません。

真田庵 本堂

昌幸と幸村は関ヶ原の戦いのとき、西軍の石田三成についたのですが、地元である信州・上田城にたてこもり、徳川秀忠率いる大軍の足止めに成功しました。
しかし、全体として西軍は負けてしまいます。

昌幸・幸村親子は、本来なら死罪になるところでしたが、東軍にいた幸村の兄、信幸と、信幸の義父である本田忠勝の嘆願で死罪を免れ、高野山に配流されることになったのです。

配流となると、単に昌幸・幸村親子二人だけがとばされるのではありません。
妻や子はもちろん、ついてくる家臣たちや女中などもいるわけですね。

ついてきた家臣は16名いたそうですし、その家族も来ますから、それを含めると総勢100人くらいいたのです。

最初は高野山上の蓮華定院に配流されたのですが、高野山は女人禁制。
なので後になって麓の九度山に移されたのだそうです。
(九度山に移った理由は諸説あるようです)

身分の高い家臣の場合は真田屋敷の北側に住居を建てて住んだのだそうですが、100名も出入りする屋敷としては狭いですね。

紀州徳川家からは50石の支給があったそうですが、「1石」は人が1年間に食べる米の量を単位ですから、100人いたとすると全然足りません。

なので、長男の信之の援助を受けて生活していました。
度々催促する手紙も残っているので、かなり困窮した生活を送っていたのかもしれませんね。

こちらが権現造りの本堂。

真田庵 本堂

南側が本堂で、北側は庫裏になっています。

ただし、こちらは当時の真田屋敷ではありません。
お寺としての善名称院は、寛保元年(1741年)に大安上人が地蔵尊を本尊として伽藍を創建したことに始まります。
さらに、安政四年(1857年)に再建されていることも古記録に残っているので、屋敷がそのままお寺となっているわけではないようですね。

当時は馬屋や納屋もあったそうです。

本堂の正面には「おもかる様」がいらっしゃいます。

真田庵 おもかる様

これは「おもかる石」と同じで、願いを込めた後に持ち上げて、軽ければ願いが叶う、というもの。

真田庵の場合は、幸村(左)とエンマ様(右)の石像になっていました。
石像になっているタイプは珍しいですね。

幸村の石像は、15キロあるそうです。
小さな子供は当然ながら持ち上がらないと思うのですが、その場合は、両手で手を当ててお願いすると良いのだそうです。
真田庵に訪れる際は、ぜひやってみてください^^

真田庵に残る真田の伝説

真田庵には、昌幸や幸村にまつわる伝説が残っています。

まずは昌幸ですが、本堂の向かいに、真田昌幸の墓があります。

真田昌幸の墓

真田昌幸は、関ヶ原の戦いから11年後、九度山で病死するのですが、幕府側からすると罪人であるため、正式な葬儀は行われませんでした。
この地にあった松の木の下に葬られただけなのだそうです。

なんとも可哀想な話ですが、後に昌幸の怒った霊がたびたび現れたのだそうです。
そこで、このお寺を開いた大安上人が、昌幸の霊を真田地主大権現として祀ったところ、穏やかな顔をした昌幸が現れ、お礼にこの地を守ることを約束したのだそうです。

昌幸の墓の隣には神社があります。

真田地主大権現

これが真田地主大権現を祀る社になっています。

現在は真田家重大の宝物である比沙門天と真田昌幸・幸村・大助の三代の御霊を合祀、それを真田地主大権現として祀っています。

神社のお隣にはこのような石像がありました。

真田地主大権現

もしかしたらこれが真田地主大権現をイメージしたお姿なのかもしれません^^

お次は、幸村に関する伝説ですが、それが本堂横にあるこの井戸。

真田庵 雷封じの井

「雷封じの井」といいます。

説明版によると

「慶長年間 幸村公が閉居中 真田屋敷に落ちた雷をとりおさえて井戸に封じ里人の難を救ったと云ふ」

と書かれています。

この話は歴史上のつながりがなく、急に沸いて出てきたような話なのですが、何らかの形で村人の力になったことがこういう伝説になったのかもしれませんね。

真田幸村の愛用品が多数展示される、宝物資料館

真田宝物資料館

境内には、真田ゆかりの貴重な品々を所蔵する小さな資料館があります。
入館料金は200円なのですが、無人ですので小銭はあらかじめ用意しておいた方が良いです。

ちなみに真田庵は住職さん一人ですので、授与品の購入も賽銭箱に入れるようになっています。
両替は住職さんに言えば応じてくれるようです。

料金を支払って中へ入ると、いきなり赤備えの鎧が展示されていました。

真田宝物資料館

真田宝物資料館

この中のどれかを幸村が着用していたのでしょうか?わかりません^^

真田親子の掛け軸もあります。
まずは教科書でもおなじみ、真田幸村のお姿。

真田幸村

真田昌幸。

真田昌幸

そして九度山で生まれた真田幸村の息子、大助。

真田大助

真田軍が使ったという陣幕。

真田軍陣幕

本物の陣幕はゾクゾクします^^

九度山に来てから作って売っていたという「真田紐」と、その織機。

真田紐 織機

真田紐

真田紐

組む紐ではなく、織物なんですよね^^

真田紐はもともと、昌幸が武具や甲冑を結ぶために用いていたものです。
幸村はこれを家臣たちに作らせ、生計を支えるために全国に売り歩かせていたんですね。

その一方で諸国の情勢を探っていたとも言われています。

この紐は縦に引く力に強くて丈夫だったので、日常生活はもちろん、刀の下げ緒などにも使えます。

さらには徳川を二度も破った「真田」というブランドも売り上げの後押しをしていたでしょうね。

資料館にはほかにも、茶釜や曼荼羅、鉄砲など色々ありました。
小さいですが、見応えのある資料館です。

大阪城まで続く?真田の抜け穴伝説

真田庵を北門から出て、右の道を約170mほど行くと、真田古墳があります。
(門を出ると案内が出ているのですぐわかります)

こういう場所です。

真田古墳

真田古墳

真田家は九度山に来てからは紀州藩に監視される軟禁生活を送っています。
そんな中で大阪の陣の時に豊臣秀頼のもとに駆け付けたのですが、その際にこの抜け穴を用意し大阪城まで行き来していたという伝説が残っているんですね。

九度山から大阪城までは大変な距離です。
車でも2時間以上はかかりそうなのに、穴を掘って道を作るなんて、無茶すぎるのではないか?と思うのが普通ですが、それはその通り。

実際は古墳時代後期(4世紀頃)の横穴式石室を持つ円墳です^^;

しかし、横から覗いてみると奥が見えないので、どこかへ続いているような気がしないわけでもありません。

幸村は大阪へ旅立つ前日、村人たちを集めて盛大な宴を開いたのだそうです。
もちろん、大阪へ行くことは内緒で。

村人たちは全員酔っぱらって気分よく倒れていたのですが、幸村はその隙に大阪へ向かったといいます。
そのようにすることで、村人に責任が及ばないように配慮したんですね。

しかし村人は、幸村が大阪に旅立つことを知っていながら宴に参加したのだそうです。

お互いがお互いを思いやるほど真田家は慕われていたのでしょう。

そのようなエピソードから、抜け穴伝説のようなものが生まれたのかもしれません。

真田の歴史がよくわかる!九度山・真田ミュージアム

真田ミュージアム

大河ドラマ展を開催している真田ミュージアムは、真田庵から徒歩2~3分ほどのところにあります。
大人500円、小中学生250円と、結構安い値段で入場できます。

内容は、九度山での生活をパネル展示や史料、映像で紹介、さらに大阪の陣での幸村の戦いぶりを映像で紹介。

そして子供が喜びそうなしかけもありました。
室内に九度山の屋敷のような場面が再現された空間が用意されているのですが、そこに色々な仕掛けが施されていて、それを探すわけです。

忍者が隠れていたり、武器庫があったり、そういうものを見つけて楽しみながら、九度山で真田紐の行商をしながら再び世に出る機会を探っていた真田父子の生活を体感する空間になっていました^^

また、ドラマで使用された衣装、小道具をはじめ、ドラマのエンディングなどで使われるサンドアートの六文銭なども展示、出演者のサインも展示されています。

平成29年2月28日(火)まで開館しているので、「真田丸」の放送が終わってもしばらく猶予がありますよ^^

真田庵の御朱印

最後に、真田庵でいただいた御朱印です。

真田庵 御朱印