赤後寺 唐川

滋賀県長浜市にある木之本駅から国道8号線を南へ下り、「千田」交差点を西へ、湧出山の麓に「唐川」という集落があります。

この集落にある日吉神社の境内に赤後寺(しゃくごじ)というお寺があります。

赤後寺

ここには「唐川の観音さん」「コロリ観音」と呼ばれている霊験あらたかな観音様が祀られています。

老若男女を問わず詣でる人が後を絶たない、コロリ観音の御利益

日吉神社の鳥居をくぐり、石段を登ったところにある観音堂。

赤後寺 観音堂

観音堂にはコロリ観音が祀られているのですが、観音様が一尊いらっしゃるわけではありません。
「コロリ観音」というのは、千手観音と、伝聖観音の二躯の等身像のことなんです。

撮影は禁止なので、[PR] 湖北の観音―信仰文化の底流をさぐるという本から写真をお借りしました。

千手観音 聖観音

平安時代に作られたとされている両像は、残念ながら手先や化仏、足元のつま先が失われています。

私はこの衝撃的なお姿の観音様を見て大変傷ましく感じたのですが、湖国の十一面観音巡礼をして「星と祭」という小説を書いた作家の井上靖さんは、

「この観音様は、人間の苦しみを自分の体一つに引き受けたのでこのようなお姿になったのだ。」

と、違う解釈をしています。
小説でそのように表現されているんですね。

そのように見方を変えれば、大変ありがたい観音様だなあと感じることもできます^^

御利益としては、安産や眼病予防などがあるとされていますが、「コロリ観音」の名前に由来になった霊験は、転利の御利益です。

「災いを転じて利益を授けてくれる」ということを「転利」というのですが、それが「コロリ」と発音され、コロリ観音となったわけですね。

コロリ観音は、三度お参りをすれば臨終の際に何の苦しみもなくコロリと死を迎え、しかも極楽往生できる、と信じられています。

元気に長生きさせてもらうことはもちろんですが、いざという時はコロリと安楽させてもらえるというわけです。
なんとも素晴らしい御利益^^

世話方さんのお話によると、今でも年に何組かの方がお礼参りに来るそうです。
御利益は本当にあるのかもしれませんね^^

私が訪れた時も、お遍路さんのような白い服をきた団体さんがいて、お堂の前で延命十句観音経を唱えていました。

戦乱の中、村人が必死に守ったコロリ観音

コロリ観音の像容を見ると、元々は渡岸寺の観音様と同じくらい美しいお姿だったのではないだろうか?と思ってしまうのですが、このようなお姿になったのは、戦国時代にこのあたりで起こった、数々の合戦の影響です。

このあたりは、柴田勝家と羽柴秀吉が戦った「賤ヶ岳の合戦」、織田信長と浅井・朝倉が戦った「姉川の合戦」など、歴史に残る合戦が相次いだ土地柄。
国道8号線あたりを走っている最中に周りを見れば、合戦が行われた戦地が見渡せるのです。

石を投げれば戦地に当たる、ともいえるような土地柄なので、被害はそれはもう激しいものだったと想像できます。

お堂は、賤ヶ岳の合戦の時に戦火に巻き込まれて焼けてしまったのですが、その時村人は観音様を背負って、赤川という川に観音様を沈めて守ったのだそうです。
その赤川という名前の由来は、戦乱で水が血で真っ赤になったことからつけられたのだとか。

日吉神社の鳥居をくぐり、手水舎の近くには、「御枕石」という石があります。

赤後寺 御枕石

この石は、川に沈める際に仏像の枕に使ったと言われています。

こういうものも祀られているということが、それほど激しい戦乱だったということを物語っていますね。
そしてそれだけ必死に守らなければならないほど、村人からの信仰が篤かったのでしょうね。

ご朱印

赤後寺のご朱印です。

赤後寺 ご朱印


赤後寺は、毎年7月10日に千日会法要が行われます。
この日に詣でれば、千日詣でたことと同じ意味になるのだとか。

3度詣でれば極楽往生できる、というのが御利益ですから、この日に詣でるだけで十分すぎるほどの御利益が頂けますね^^