滋賀県の湖北地方には、標高922.6m己高山(こだかみやま)という山があります。
ここは、奈良時代から平安時代にかけて、山岳信仰(修験道)の聖地として栄えた山です。

奈良時代の高僧、行基(ぎょうき)がはじめに伽藍を草創、その後も白山信仰の祖、泰澄(たいちょう)もここで修行をしています。
その後、一旦廃れますが、日本天台宗の開祖、最澄(さいちょう)が再興して、十一面観音などを多数造立しています。
そのようなこともあって、最盛期には寺院が点在し、多数の伽藍が建ち並び、一大仏教文化圏が形成されていました。

滋賀といえば比叡山・延暦寺が有名ですし、今でも聖地なのですが、己高山は比叡山よりも古い歴史を持つ聖地だったんです。
江戸時代までは寺領が保護されていて、寺も維持されていたのですが、信仰の変化、地理的悪条件、そして極めつけとなる明治の廃仏毀釈などにより次々と無住、または廃寺となっていきます。

そのようにして残された仏像や寺宝を安置するために建てられたのが己高閣(ここうかく)世代閣(よしろかく)という二つの文化財収蔵庫です。

どちらも与志漏神社(よしろじんじゃ)に隣接して建てられています。

歴史的に有名な高僧達が関わっており、優れた仏教文化が伝わっていた地域なので、京都や奈良に負けない素晴らしい美術品を見ることができます。
両館で大小合わせて97もの仏像があるといわれる全国屈指の仏像の宝庫となっています。

己高閣

己高閣

己高閣に安置されている仏像群は、「鶏足寺」とその関係寺院の仏像です。

鶏足寺は、元々は行基が十一面観音を本尊として創建した常楽寺というお寺から始まります。
残念ながらそれを支え続けていくための経済力がなく、次第に荒廃していくのですが、最澄が行基の足跡を追って入山した際、雪の上に残る鶏の足跡に導かれて行ったところに十一面観音の仏頭を発見、首から下を作り加えてお寺を再興し「己高山 鶏足寺」と名を改め再興しました。
時の天皇の桓武天皇からも保護を受け、確固たる礎ができたのです。

その後、室町時代には大寺院となっていくのですが、その頃には己高山の仏教の中核として隆盛し、この地を治めていた浅井家三代、豊臣家の祈願所となりました。
次いで江戸幕府も保護していたのですが、明治に入って衰退してしまうわけです。

館内は撮影禁止なので写真はありませんが、ポストカードを購入したのでそちらで紹介します。

まず、己高閣の正面中央に安置されているのは、十一面観音像。

己高閣 十一面観音

行基菩薩が彫り、最澄が発見したとされる鶏足寺のご本尊、十一面観音です。
平安初期作、桧の一木彫、国の重要文化財に指定されています。

行基が彫った仏像ですので、この十一面観音は己高山仏教の生みの親とも言える存在ですね。

慈愛に充ち溢れたお顔立ち。
はっきりした衣紋も特徴です。

右の段には、石田光成ゆかりの法華寺のご本尊、七仏薬師如来が安置されています。

己高閣 七仏薬師

平安時代後期に制作された、桧一木寄木作、約100cmの仏像です。

平安時代、無病・息災・安産など7つの功徳を授ける薬師如来を、7体に分身することで強い功徳を授けてくれるとして祀られるようになったものです。
しかし、この七仏薬師が七体揃って残っている例が少なく、今は己高閣と千葉県の1ヶ寺だけとなっているそうです。
松虫寺のことでしょうね。

松虫寺の七仏薬師は拝観したことがないのでわかりませんが、己高閣の七仏薬師は保存状態が非常に良いですね。
きわめて貴重な仏像だと思います。

そして、両手を無くした兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)

己高閣 兜跋毘沙門天

今から1200~1300年前、中国西部に、「兜跋」という国があったのですが、そこの王様は、

「自分が死んだら仏像と仏教を守る神になる」

と公言していたのだそうです。
なので、その王の死後は、毘沙門天として楼門や山門に祀られるようになったのだそうです。
それが兜跋毘沙門天です。

下で支えているのは地天女で、兜跋毘沙門天の奥方とも言われています。
奥様に支えてもらうって、どういうことなんでしょう?と思ってしまいますが、珍しい仏像には違いありませんね^^;

この像は、お顔が異国風で、素材が中国大陸のものと思われるところから、渡来仏であろうと考えられています。
目の彫刻がなく、祀られていた門もわかっていないので、謎を秘めた仏様になっています。

その他、己高閣には本尊脇侍の不動明王や多聞天、己高山縁起書、破損仏などが展示されます。

世代閣

世代閣

世代閣は、己高閣の裏手にあって、薬師如来をはじめ、魚藍観音など20数体の仏様が安置されています。
平成元年になって建てられた収蔵庫で、区民の浄財のみで建てられたそうです。

ここで安置されているのは、主に戸岩寺の仏像。
戸岩寺は行基が創建されたお寺で、湖北では最も古い寺院とされています。

行基が仏教を広めるために諸国を行脚してこの地に訪れて、世代明神の祀られている神社で休息していたところ、この地が薬師如来をお祀りするところで、東方に聖地があるということを感得されたのです。

行基はただちに栗谷山の麓、五ツ岩のあたり(川向い)にお堂を建て、自ら刻んだ薬師如来を祀り、「世代山 戸岩寺」としました。
そして東方の聖地とされる己高山や神使熊山を開いたのです。

その旧戸岩寺のご本尊とされる薬師如来がこちら。

世代閣 薬師如来

奈良時代作で楠一木彫の漆箔一部乾漆造、重文です。
滋賀県最古の仏像ともいわれています。
180cmの堂々とした大きさで、ずしりとした重みのある仏様ですね^^

創建当時は金箔が貼られていたそうです。
お顔や体の一部にその様子が残されています。

そして、木心乾漆の十二神将。

世代閣 十二神将

木新乾漆の仏像を作るには高価な漆が大量に必要なのですが、奈良や京都の都以外で祀られているのは珍しいようです。

この地域は奈良から平安にかけて、行基、泰澄、空海、最澄、円珍等、名だたる高僧が相次いで参詣している地域。
それだけこの辺りは聖地として大きなパワーを持っていたのかもしれません。
素晴らしい仏像が多数ある理由もなんとなくわかりますね^^

お次は魚藍観音(ぎょらんかんのん)

魚藍観音

上半身裸という官能的なお姿に、魚のかごをさげています。
ついつい籠の中を覗いてしまう仏像です^^;

日本ではあまり聞かない名前ですが、中国では三十三観音の1つとされている観音様です。

唐の時代の魚売りの女性がモデルのようですが、その女性が観音様の化身だったという言い伝えから信仰を集めているのだそうです。

頭上の化仏が失われているので、ちょっと観音様らしくは見えないかもしれませんが、ユニークな仏像ですね^^

世代閣にはその他にも、降三世明王や蔵王権現、愛染明王、仏像以外にも釈迦涅槃図や曼荼羅地獄図などの寺宝が展示されています。
ポストカードがないので紹介できませんが、脇侍の日光・月光菩薩も彩色がわずかに残っていて立派でした。

御朱印

己高閣と世代閣は収蔵庫ですが、御朱印も3つありました。

まずは己高閣に祀られている鶏足寺のご本尊、十一面観音の御朱印です。

己高閣 十一面観音 御朱印

そして世代閣に祀られている戸岩寺のご本尊、薬師如来の御朱印です。

世代閣 薬師如来 御朱印

同じく世代閣に祀られている魚藍観音の御朱印です。

世代閣 魚藍観音 御朱印

いずれも己高閣で頂きました。
あらかじめ用意された貼り付けタイプの御朱印でした。


己高閣や世代閣の周辺から石道寺にかけては、紅葉が有名です。
今度はぜひその時に行ってみたいですね^^