神社・神道用語集 は

お寺・仏教用語集 は

神社・神道用語集 ひ

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神社・神道用語集 ふ

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神社・神道用語集 ほ

お寺・仏教用語集 ほ

杯蛇の厄はいだのやく

大乗仏教の基本哲学「」の思想を学ぶ時によく引き合いにだされる例え話。

ある時、一人の役人が上司宅に招待され、お酒を頂きました。
杯を手にとってみると、その中に蛇が入っていました。

上司の勧めなので断れず、その場で飲み干したが、その後病気になってしまいました。
腹の中で蛇が動いているようで、「蛇がいる」とうわ言までいうようになりました。

そのことを知った上司が、もう一度家に招待し、同じ場所で酒をついで杯を手に持たせて言います。

「よく見るがよい。杯の中に蛇がいるだろう。だが、その蛇は、この壁にかかった弓が映ったものなんだよ」

そういって上司が弓を壁から外すと、蛇は消えてなくなりました。
その後、部下の病気は治りました。

ここでは蛇が「空」ということになり、役人が錯覚で作り上げた事象・存在となる。
しかし、「蛇は存在しない」と言っても、役人にとっては確かに存在していたからこそ病気になったので、それはうそになる。
だからこそ、「存在しない」と言うだけでなく、証明することで納得させることができたのである。

つまり、ある事象が存在しているかどうかはその人の心次第となる。

拝殿(はいでん)

祭神を礼拝するための建物。

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治維新後の新政府が出した、神道と仏教の分離が目的とする「神仏分離令」によって引き起こされた民間による仏教排斥運動。
仏教排斥の動きは幕末からあったが、「廃仏毀釈」というと主に神仏分離令によって引き起こされたものをさす。

八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)

八幡神の霊験を分かりやすく説いている、石清水八幡宮の霊験記。
鎌倉末期に成立した。

八正道はっしょうどう

苦を乗り越える実践法で、「中道」の具体的行為。
四聖諦(ししょうたい)のうち、道諦(正しい道を歩み、身心を整えることで解体できる)における8つの実践徳目。

僧が悟りを得るために行う6つの実践項目、六波羅蜜の中の4つに対応している。

  • 正見(しょうけん):正しい知見。仏教の基本的な教えや、苦のメカニズム、苦を消滅させるメカニズムを正しく知見すること。(六波羅蜜の「智慧」にあたる)
  • 正思(しょうし):正しい考え。怒りやむさぼりに巻き込まれることなく、柔和で慈悲深い思いを巡らせること。(六波羅蜜の「智慧」にあたる)
  • 正念(しょうねん):正しい思念。(六波羅蜜の「禅定」にあたる)
  • 正定(しょうじょう):正しい瞑想。正しく精神統一すること。(六波羅蜜の「禅定」にあたる)
  • 正業(しょうごう):正しい行為。殺生・盗み、不適切な性行為から離れること。利他行為も正業。(六波羅蜜の「持戒」にあたる)
  • 正命(しょうみょう):正しい生活。出家者には出家者の戒律があり、在家者には五戒があり、それらを守って暮らす。(六波羅蜜の「持戒」にあたる)
  • 正精進(しょうしょうじん):正しい努力。脇道に逸れることなく、正しい道を誠実に歩み続けること。(六波羅蜜の「精進」にあたる)
  • 正語(しょうご):正しい言葉。嘘や中傷、無駄口から離れること。適切な言葉を使うこと。(六波羅蜜の「持戒」にあたる)

釈迦は、このような修行を積むことによって煩悩を消滅させることができ、「苦」から抜け出ることができる、と説いた。

法堂(はっとう)

禅寺において、僧侶が仏教の教えを説き聞かせる「説法」を行うための建物。
「講堂」ともいう。

馬頭観音ばとうかんのん

六観音の一尊で、インドの神話を起源とする憤怒の顔をしている観音菩薩。
頭の上には白馬頭を置いている。

馬頭観音は、六道のうちの畜生道の苦を除くと云われている。

鎮花祭(はなしずめのまつり)

奈良の大神神社と,狭井神社で、毎年4月18日(旧暦3月の季春)に行われる祭。
神祇令で定められている祭の一つ。

第10代 崇神天皇が大田田根子(おおたたねこ)に三輪の大物主神を祭らせたのが始まり。

当時は、春に花が飛散するのに伴って、疫神が四方に分散して病を起こすと考えられていて、それを防ぐために旧暦の3月に行われた。

祝部(はふりべ)

律令時代の地方における官社の下級官職。
神祇官から受け取る天皇の幣帛の管理責任を負う。
国司によって選定された。

林羅山(はやしらざん)

家康にも用いられた江戸時代初期の朱子学派儒学者。
理当心地神道を説いた。
羅山を祖とする林家りんけは代々、儒者として幕府に仕えた。

羅山は、神道と儒教は究極的に一致し、神道を仏教の教理で理解するのは間違いで、儒学によって理解するほうが適切であるとする、神儒一致説を説いた。

主な著書に、「本朝神社考」、「神道伝授鈔」、「神道秘伝中俗解」等がある。

半済令(はんぜいれい)

足利尊氏の時代、室町幕府が荘園・公領の年貢半分の徴収権を守護に認めるという法令。
南北朝の戦いが激しい一部の地域に軍費・兵糧調達のために出されたが、やがて全国的に永続的に行われた。
これは寺社領にも適用されるようになり、社寺の経済力を削いだ。

この法令を機に、守護による荘園・公領への侵蝕が本格化し、守護大名の誕生へと繋がった。

般若心経はんにゃしんきょう

全六百巻もある大般若経を、真髄だけ抜き出して二百六十二文字とコンパクトに凝縮したお経。
『般若心経』の「心経」は大般若経の「真髄」、「心意」という意味。

大乗仏教の基本哲学「」の思想について書かれている。

また、厄除けとしても信仰されていて、「西遊記」の三蔵法師こと玄奘三蔵も危機に際して般若心境を唱え、厄除けに使っていたことが知られている。
(発案が玄奘というわけではなく、その数百年前から厄除けのお京として使われていたらしい)

班幣(はんぺい)

幣帛をわけること。

鎮火祭(ひしずめのまつり)

火災防止のため、道饗祭の後に宮城の四方の隅で行われる祭。
神祇令で定められている祭の一つで、6月と12月に行われる。

飛天(ひてん)

東洋で自由に空を飛ぶと信じられた神々。
天人や天女のこと。

初期のインド美術から登場するが、キリスト教の天使と異なり翼を持たずに飛翔するのが特色。

神籬(ひもろぎ)

神社や神棚以外の、社殿がない場所で祭を行う際、神が降臨した時の臨時の依り代として用意するもの。
一般的に、榊を立ててそれに御幣を取り付けて垂らしたものである。

神籬磐境の神勅(ひもろぎいわさかのしんちょく)

天孫降臨の際、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)天児屋命(あめのこやねのみこと)太玉命(ふとたまのみこと)に下した言葉。

「私は天津神籬と天津磐境をつくりあげて、皇孫のために謹んで祭ろう。天児屋命と太玉命は天津神籬をもって葦原中国(あしはらのなかつくに)に降り、皇孫のために謹み祭りなさい。」

同じく高皇産霊尊が天児屋命と太玉命に下した神勅に、侍殿防護(じでんぼうご)の神勅があり、三大神勅とこの二つを合わせて、五大神勅とされる。

平田篤胤(ひらたあつたね)

江戸時代後期の国学者。
国学四大人の一人で、復古神道を大成させた。

篤胤は、本居宣長らの後を引き継ぐ形で儒教・仏教と習合した神道を批判した。
さらに、人の霊魂は死後、黄泉国に行くのではなく、大国主神の治める幽冥界ゆうめいかいに行くと主張し、霊魂観・死後観を理論化した。

毘盧遮那仏びるしゃなぶつ

「華厳経」「梵網経」のあるじで、宇宙の真理そのものを表す仏。
代表的なものに、奈良の大仏として知られる東大寺盧舎那仏像や、唐招提寺金堂の盧舎那仏坐像などがある。

釈迦が実在の人物であり、説法していたのに対して、毘盧遮那仏は仏教の「法」そのものを人格化したもので、衆生に語りかけることはしないが、教えを説くために自分の毛孔から無数の仏達を放射する。
釈迦も毘盧遮那仏から放射された一人。

蓮の花の形をした蓮華蔵世界に住んでいるとされ、蓮華座の上に座っている。
千枚あるとされる蓮弁の一枚一枚はひとつの世界になっていて、釈迦が説法するのもその中の一つの世界になる。

奈良の大仏の蓮弁には、その一つ一つに菩薩に囲まれている釈迦などが描かれており、唐招提寺では光背に描くことで同じような世界観を表している。

殯宮儀礼(ひんきゅうぎれい)

古墳時代の大王の葬儀儀礼。

大王の死後、遺体を本葬するまでの間仮安置し、魂を慰めるための儀礼。
殯宮(もがりのみや)は、棺を埋葬の時まで安置しておく仮の御殿で、大王の没後に造られる。

その儀礼の中では、(しのび)の奏上が重要だった。
参列者は、新たな大王に忠誠を誓う誄を捧げ、葬儀の最後には前王の事績を象徴する和風諡号(わふうしごう)が送られた。

不空羂索観音ふくうけんじゃくかんのん

六観音の一尊。
「不空」は決して失敗しないということで、全ての願いを確実に叶えるということ。
「羂索」は捕縛用の縄のこと。
不空羂索観音は必ず羂索を持っている。

普賢菩薩ふげんぼさつ

文殊菩薩と共に、釈迦如来の脇侍を勤める菩薩。
仏の慈悲と理知を顕して人々を救う賢者で、仏の行(修行)をつかさどる。
脇侍としてだけでなく、単独でも信仰されることが多い。

法華経によると、全ての人が成仏できる、つまり女性でも成仏できるということで、平安時代には特に貴族の女性たちの間で人気が高まった。
(仏教では女性が往生できるとは書かれておらず、薬師如来も、女性は男性に生まれ変わらせることで救おうとしている)

また、普賢菩薩には十羅刹女という眷属がおり、十羅刹女たちの母、鬼子母神ものちに眷属として加わったとされる。

仏像は、白象の上に乗っていることが多いが、乗っていない場合は際立った特徴がないので、どの菩薩か判断しにくい。
脇侍として安置されている場合は、文殊菩薩を基準にして判断するとよい。

富士講(ふじこう)

江戸を中心に関東で流行った、富士山の神々を信仰するための

戦国時代から江戸時代にかけて活動した修験道の行者、長谷川角行を祖とし、江戸時代中期に食行身禄じきぎょうみろくらによって爆発的に発展した。

藤波家(ふじなみけ)

代々伊勢祭主および神祇大副を世襲した大中臣氏の末裔。
室町後期から「藤波」を号するようになった。

藤原彫刻(ふじわらちょうこく)

優美な定朝様式を中心とする仏像彫刻を総称した呼称。

美術史では遣唐使廃止から平家滅亡までの平安後期を、藤原氏を中心とする貴族文化の時代であることから藤原時代と呼び、この時期に生まれた彫刻のこと。

仏眼仏母(ぶつげんぶつも)

仏の智慧を象徴する仏尊であるとともに、あらゆる仏を出生させる母尊でもある。

仏家神道(ぶっけしんとう)

平安後期以降、神仏習合思想に基づいて僧侶たちが説いた神道理論。
一般に、真言宗系の両部神道、天台宗系の山王神道に分類される。

復古神道(ふっこしんとう)

仏家神道や儒家神道に対して、仏教や儒教の影響を受ける以前の二本の姿や精神・神道を追及するという、近代国学者たちによる思想。

特に平田篤胤の流れをくみ、王政復古・尊王攘夷運動を展開した国学系神道のことを呼ぶ場合もある。

仏舎利(ぶっしゃり)

釈迦の遺骨及び棺、火葬した際の灰塵など。

仏性ぶっしょう

生きとし生けるもののすべてが本来的に有する、仏となる可能性。
「涅槃経」で説かれている。

仏陀ぶっだ

「悟りを開いた者」の意味。
単にほとけともいう。
仏教の真理を、頭だけではなく心や体でも理解した者。

釈迦は仏陀の一人。

仏伝(ぶつでん)

聖人化された釈迦の生涯を美化した一種の伝説。
その折々のできごとの場面を石彫や絵画などで表現されている。

舟形光背(ふながたこうはい)

仏像の光背の形のひとつ。
上からみた船のような形をしている。

不立文字ふりゅうもんじ

悟りは、文字や言葉にとらわれず、修行によって心から心へ伝えられるものだということ。
禅宗の特徴を表す代表的な言葉の一つ。

平安京四角四鏡祭(へいあんきょうしかくしきょうさい)

陰陽師による外から侵入する悪霊・疫病を祓うための儀式。
都に通じる四方の国境の道、山崎(山陽道へ続く道)・逢坂(東山道へ続く道)・和迩(北陸道へ続く道)・大江(山陰道に続く道)で行われた。

平安初期までは神祇官が行っていたが、平安中期以降は陰陽師が行うようになった。

弊殿(へいでん)

祭神へ幣帛を奉る建物。
本殿と拝殿を結んでいる。

また、ここで祝詞を奏上するので「祝詞殿」ともいわれている。

幣帛(へいはく)

祭神に捧げるものの総称。
『延喜式』の祝詞の条には、布帛、衣服、武具、神酒、神饌などがある。

また、祭神に供える食物である「神饌」と区別して、それ以外のものを「幣帛」とよぶこともある。

「帛」は布を意味するので、古代では貴重だった布帛が神への捧げ物の中心だったことがわかる。

別院べついん

あるお寺に属していながらも別の場所に建てられたお寺のこと。

別尊曼荼羅べっそんまんだら

密教において加持祈祷を行う際、祈りの目的に応じてふさわしい仏を中心に祈願する。
その為につくる曼荼羅のこと。

大きく4つに分けられる。

  • 息災法そくさいほう:地震、雷、火事、台風などの災害がないように、あるいは、個人的な苦難、危険がないように祈るもの。
  • 増益法ぞうやくほう:利益や幸福を求めるための祈願。
  • 降伏法ごうぶくほう:魔物や怨敵を調伏したり、折伏したりするために行う祈願。
  • 敬愛法けいあいほう:和合や親睦をはかるための祈願。

別当(べっとう)

神社と寺院が融合した宮寺(みやでら)(僧侶が中心となって経営)に所属していた社僧の長。

法臈(ほうろう)

受戒してから経た年数。法歳ともいう。

菩薩ぼさつ

「悟りを求める者」の意。
悟りを開く前の修行時代の仏陀のことで、如来のサポート役として自らも修行しながら全ての人が救われるように活動している。

まだ悟りまでの途中だが、ゆくゆくは仏陀(如来)になることが予定されている。

観音菩薩、地蔵菩薩、勢至菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩などがおり、次に如来になるとされているのが弥勒菩薩である。

菩薩戒(ぼさつかい)

大乗仏教の修行者(菩薩)が受け、心がけるべき戒律。
戒律とは、一般的に宗教における生活規律をさす。

法界定印(ほっかいじょういん)

胎蔵界曼荼羅の主尊である大日如来の印相
釈迦の禅定印と同じ。

法華一乗(ほっけいちじょう)

「法華経」の説く教えで天台宗が最も重視している考え方。

釈迦は聞き手のレベルによって説き方を変えていたが、それらは一見違う教えに見えてもそれは理解してもらうための一時的な手段(方便)にすぎず、最終的には唯一の真理(一乗)にたどり着く。
全ての人が仏になれるとする大乗の教えこそが真理である、とする。

「一乗」というのは、「一つの大きな乗り物」という意味。
小乗仏教が自己中心の修行で悟りを開けるのは修行した自分だけ(小さな乗り物)であるのに対し、大乗仏教は多くの人を悟りに導く、ということから大きな乗り物に例えられる。

法華神道(ほっけしんとう)

日蓮宗による独特の神道説。

仏教における正しい教え(正法)を守護する神格の中心に天照大神、八幡大菩薩をおいた。
日蓮没後には三十番神を取り入れ、法華経守護の善神であると位置付け、正法が行われない時はこれらの神は日本を去り、行われる時は国土を守ると唱えた。

後に吉田神道の影響を受けて整えられた。

本覚(ほんがく)

衆生の迷い(不覚)のなかにある内在的な悟りの概念で、本来の覚性のこと。
この考え方は本来の仏教にはなく、5世紀頃にインドで成立した「大乗起信論」に書かれた考え方である。

天台宗ではこの概念を発展させ、衆生は煩悩で迷っていても、本来は誰もが生まれながらにして仏性を持っており、既に悟った存在だから特別な修道など必要がない、とした(天台本覚思想)。

本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)

仏は日本の神の、実の姿(本地)であり、神は仏が衆生を救済するために姿を変えた仮の姿(垂迹)である、という考え。
いわば仏本神従の思想といえる。
奈良時代から始まっていた神仏習合に整合性を持たせた考えで、平安時代に成立した。

このことから、仏の仮(権)の現れということから権現(ごんげん)という神号が用いられるようになった。
また、本地仏をもつ垂迹神のことを権神(ごんしん)、本地仏を持たない衆生の一つとしての神を実神(じつしん)という場合もある。

本地仏(ほんじぶつ)

仏や菩薩が衆生を救済するために、仮に神の姿となって現れる本地垂迹説による仏そのもののこと。
仏や菩薩が本地であり、神が垂迹である。

神と本地仏の間には一定の規則はなく、同じ神社の祭神であっても時代や資料によって本地仏派異なることもある。

例えば、伊勢神宮の本地仏は史料によっては毘盧遮那仏であったり、大日如来、救世観音、観音菩薩であったりする。

本殿(ほんでん)

神霊(祭神)を祀る社殿。
種々の形式があるものの、おおよそは内陣と外陣から成っており、御神体は奥にある内陣に奉安する。

本堂(ほんどう)

仏像を安置した仏堂のタイプの総称。
宗派によって呼び名が異なる。

  • 金堂・・・真言宗、法相宗
  • 中堂・・・天台宗
  • 仏殿・・・禅宗
  • 阿弥陀堂・・・浄土真宗

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