神社・神道用語集 あ

お寺・仏教用語集 あ

神社・神道用語集 い

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神社・神道用語集 う

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神社・神道用語集 え

お寺・仏教用語集 え

神社・神道用語集 お

お寺・仏教用語集 お

相嘗祭(あいなめのまつり)

新嘗祭に先立って、特定の諸社に新穀を供えるお祭り。
11月の初めての卯の日に行われる、神祇令で定められている祭の一つ。

愛別離苦あいべつりく

愛するものと分かれなければならない苦しみ。
四苦八苦の「八苦」の一つで、生きていく上で避けることのできない苦悩の代表的なもの。

県主(あがたのぬし)

律令制が導入される以前の大和朝廷が作った氏姓制度(かばね)の一つ。

(あがた)は、朝廷が直轄する地方行政区分の一つ。

地方の豪族がそのまま任じられたと言われている国造とは違い、県主は大和朝廷への忠誠度が高い。
国造のように全権委任ではなく、朝廷が掌握していた。

阿闍梨(あじゃり)

サンスクリット語で「師」の意。
密教では、潅頂を行って法を授ける師を指す。

蕃神(あだしくにのかみ)

在来の神に対し、「外国の神」という意。
仏教伝来当時、仏教で悟りを開いたものを指す仏のこと。

天つ神の寿詞(あまつかみのよごと)

天皇践祚(せんそ)(皇位につくこと)や大嘗祭の時、天つ神が天皇を祝福する詞。
かつては中臣氏が読むのが習わしで、中臣の寿詞ともいわれた。

天つ罪(あまつつみ)

古代人におけるの罪の概念の一つで、「国つ罪」に対するもの。
高天原で須佐之男命(スサノオノミコト)が犯した農耕や神事の妨害の罪とされている。

『延喜式』巻八「祝詞」の「大祓詞」にその内容が整理されており、

  • 畔放(あはなち):畔を壊すこと
  • 溝埋(みぞうめ):田に水を引くための溝を埋めること
  • 樋放(ひはなち):田に水を引くための桶を壊すこと
  • 頻播(しきまき):他人が蒔いた種の上に重ねて種を蒔くこと
  • 串刺(くしさし):他人の田に串を刺し占有を主張すること
  • 生剥(いきはぎ):馬の皮を生きながら剥ぐこと
  • 逆剥(さかはぎ):馬の皮を尻のほうから剥ぐこと
  • 糞戸(くそへ):祭場を糞などの汚物で汚すこと

とされている。

天つ罪の語源は雨障(あまつつみ)で、五月の雨の多い時期に、農耕の神に仕えるために謹慎の生活を送ることであるとの折口信夫の説が有名。

阿弥陀堂(あみだどう)

阿弥陀如来の教えに従えば、死後は阿弥陀如来が極楽浄土に連れていってくれるという「浄土信仰」が流行った平安時代に建てられたお堂。

延暦寺などでは、90日間寝ずに「南無阿弥陀仏」を唱えながら阿弥陀仏の周りを回り続ける修行(常行三昧)をお堂内で行う。

阿羅漢(あらかん)

悟りを開いた修行者で、人々から尊敬や施しを受けるのに相応しい僧侶。
「羅漢」ともいう。

アルカイック・スマイル

古代インドのガンダーラ地方で作られた仏像の特徴で、微笑しているような口元をさす。
日本の仏像では、飛鳥時代に作られたものにその特徴がみられる。

元々はギリシャの神像が発祥。

意地いじ

人間の五官(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識)の次に来る、第六識(心)のこと。

思うようにならないこの心(=意地)が、さまざま苦を生み出す。
だからこそ「心」を意識的にコントロールしようとするのが仏道である。

伊勢神道(いせしんとう)

伊勢の外宮の渡会氏が中心となって生まれた神道説。
度会神道、外宮神道ともいう。
鎌倉時代に形成されたものを前期伊勢神道、江戸時代初期に度会延佳形成されたものは後期伊勢神道とよぶことがある。

初めて神道思想を体系化しようとした点で画期的であり、「正直」と「清浄」の二徳を強調するなど、倫理的な面を教理として発展させ、その後の神道説に大きな影響を与えた。

主な経典に、神道五部書がある。
五部書に「神祇譜伝図記」や「祓本記」などの七部を加え、「十二部の書」も重んじられた。

一字金輪仏頂尊(いちじきんりんぶっちょうそん)

大日如来が最初の三摩地(さんまじ)に入って説いた真言「ボロン」の一字を人格化した仏尊。
地上の理想の王である金輪聖王(きんりんじょうおう)転輪聖王(てんりんじょうおう))と同体とされる。

一宮(いちのみや)

諸国で第一の地位にある有力な神社。
摂津国一宮の住吉大社、大和国一宮の大神神社など、諸国に存在する。

朝廷から国司が任国に赴任すると、まずは地方の精神的支柱である国内の神社を巡拝しなければならなかった(国司神拝)。
国司が崇拝する国内神社を管理するための台帳を「国内神名帳」といい、このリストに基づいて参拝していた。

一宮は朝廷や国司が指定したのではなく、諸国において由緒が正しい神社、神階などの高い神社が勢力を有するようになった。
やがて管理の便宜上、自然と神社の序列化されるようになり、最有力の神社を一宮とした。
(国によっては二宮、三宮も存在した。)

一宮制は平安中期ごろから徐々に使われるようになり、鎌倉初期には全国に一宮が選定されていった。
この序列は一種の社格として機能していくようになった。

ただし、国によっては一国に二社の一宮が存在する場合もあり、時代によっては一宮が入れ替わることもあった。

一味神水(いちみしんすい)

室町時代以降、村の取り決めや一揆を結ぶ際、団結を誓い合うための儀式。
神社に集まり、起請文を記して焼き、その灰を神前に供えた神水に混ぜて回し飲みした。

一光三尊形式(いっこうさんぞんけいしき)

「三尊」は、如来を真ん中に、左右に脇侍の二菩薩がそろったかたち。
この3体の仏像が、1つの大きな光背に収まる形式をいう。

一切皆苦いっさいかいく

「人が感じるのは苦だけ」の意味で、三法印(四法印)の一つ。
一切の形成されたものは苦しみである、ということを智恵をもって観る時に、人は苦しみから遠ざかることができるという教え。

人は苦しみを原動力としており、苦しみを逃れようとして行動を考える。
その行動が快楽を求めると錯覚するが、実は違う苦しみを与えている。
つまり、苦しみを求めて行動していることになる。

(例:人付き合いに疲れて旅行に出かける ⇒ しばらくすると、人に合わないと不安になってくる)

また、そのような「苦しみ」のメカニズムを説いたものを四聖諦、苦しみをなくす方法を説いたものを八正道という。

五伴緒(いつとものお)

天孫に従って降臨した、五柱の神。
天岩屋戸神話で活躍した神々が五伴緒になっている。

  • 伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)三種の神器の一つ、八尺鏡(やたのかがみ)を作った神。
  • 玉祖命(たまのやのみこと)三種の神器の一つ、八尺の勾玉(やさかのまがたま)を作った神。
  • 天児屋命(あめのこやねのみこと)占いで神意をおしはかり、祝詞を申し上げた神。藤原氏の氏神で春日権現とも呼ばれている。
  • 布刀玉命(ふとだまのみこと)占いで神意をおしはかり、真榊の枝に八尺の勾玉、八尺鏡、和幣(にぎて)を取り付けた神。忌部氏(後に斎部氏)の祖神。
  • 天宇受売命(あめのうずめのみこと)天岩屋戸の前で半裸で舞い踊った神。

衣鉢いはつ

僧侶が身にまとっている袈裟と鉢。
師から弟子へ教えが伝わることを「衣鉢を継ぐ」という。

印可いんか

師が弟子への修行の完成を認めること。
印可証明。

印相(いんぞう)

その仏の持つ働きや語る真理、誓願、功徳などを、手の形で象徴的に表現したもの。

引導いんどう

人々に教えを通して悟りに導くこと。
葬儀では、死者が成仏するという考えから、仏教の真理を説いたことば、つまり仏の世界に導くことばを示して、はなむけとすることを意味する。

因縁いんねん

「因」は直接的な原因、「縁」は間接的な条件を指す。
あらゆる事象は単独に存在するのではなく、無数の原因や条件が関係して存在し、間接的な縁が整って初めて存在し、生滅するということ。

院派(いんぱ)

平安時代を代表する仏師、定朝の子の覚助(かくじょ)の弟子 院助(いんじょ)を祖とする、平安時代後期から鎌倉時代の仏師の一派。
名前に「院」の字がつくことによる。

平安時代には円派とともに皇家や貴族の造仏に当たることが多かった。

卜部氏(うらべし)

元々は中臣氏に従う氏族で、亀卜を職能としており、中臣氏がお祓いをする時は補佐的役割を担っていた。
平安時代以降は中臣氏のは以下から独立、神祇伯および神祇官の次官である神祇大副に任命されるようになった。

その後、平野神社の祠官を務める家と吉田神社の祠官を務める家に分かれ、後者からは吉田兼倶が世に出た。

恵心僧都 源信(えしんそうず げんしん)

平安中期の天台宗の僧。
極楽に往生するための経論を集め、そこから浄土のありさまや恐ろしい地獄を描き、念仏を唱えることを勧める「往生要集」を著し、浄土教の理論的基礎を築いた。

「恵心僧都」は尊称で、比叡山・横川の恵心院に住んで念仏三昧の日々を送られたことからそのように呼ばれるようになった。

縁覚(えんがく)

師に教えによらずに、苦しみの原因とされる十二縁起を洞察してその理法を悟った者や段階のこと。
「菩薩」の下位で「声聞」の上とされ、声聞とともに「二乗」といわれる。

縁起えんぎ

あらゆる事は、様々な要素や条件が、関係性を持って起こるという因果律。
因縁生起いんねんしょうきの略語。

  • :直接の原因
  • :間接的原因
  • 生起:「因」と「縁」により生じる結果

現在では、「縁起をかつぐ」といった吉凶の表現でも使われるが、仏教では、どのようにして苦悩が生まれ(生起)、どのようにして苦悩が解体されるかを考えるために使われる。

延喜式(えんぎしき)

「弘仁格式」、「貞観格式」と並ぶ三代格式の一つ。
「格式」は律令制定後、社会の変化に応じて出された法令を、格(律令の規定を補足・修正するもの)と式(施行細則)に分類したもの。

延喜式は、第60代 醍醐天皇の命により延喜5年(905年)に編纂が開始され、延長5年(927年)に完成した格式。
その後修正がくわえられ、康保4年(967年)に施行された。

50巻約3300条からなり、その中から巻一~巻十までが神祇官関係の式となっている。

  • 四時祭 上・下(巻一・二)・・・恒例祭祀
  • 臨時祭(巻三)・・・特別に行われる祭祀(祈雨止雨など)
  • 伊勢大神宮(巻四)・・・伊勢神宮に関する諸規定
  • 斎宮寮(巻五)・・・伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女(斎王、斎宮)や斎王を世話する役所、斎宮寮に関する規定
  • 斎院司(巻六)・・・賀茂社に奉仕する未婚の皇女(斎王、斎院)や院の事務等を担当する斎院司に関する規定
  • 践祚大嘗祭(巻七)・・・天皇即位後に行われる大嘗祭に関する細則
  • 祝詞(巻八)・・・27編の祝詞
  • 神名 上・下(巻九・十)・・・祈年祭奉幣にあずかる神社 二八六一社 三一三二座

巻九、巻十は「延喜式神名帳」と呼ばれ、ここに記載された神社(官社)が「延喜式内社」となる。
式内社は重要度に応じて官幣大社・官幣小社(神祇官から幣帛を受ける社)、国幣大社・国幣小社(国司から幣帛を受ける社)に分けられた。

役行者(えんのぎょうじゃ)

独自に体系化された日本古来の山岳信仰、修験道の開祖とされる飛鳥時代から奈良時代にかけての呪術者。
役小角(えんのおづぬ)役君(えんのきみ)とも呼ばれる。

奈良にある葛城山で修行を行った後、熊野や大峰などの山々で修行を重ね、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得、修験道の基礎を築いた。

後に密教と習合して神格化され、多くの造像がみられる。

円派(えんぱ)

平安時代を代表する仏師、定朝の弟子長勢(ちょうせい)に始まる仏師の系統。
いずれもその名に「円」の字がつくことから円派と呼ばれる。

平安時代中期から鎌倉時代にかけて活躍し、平安時代には院派とともに皇家や貴族の造仏に当たることが多かった。

厭離穢土えんりえど

浄土教の用語。
煩悩に汚染された現実世界(穢土)から離れること。

欣求浄土(ごんぐじょうど)の対句としてよく使われる。

延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)

第50代桓武天皇の命で作成された、伊勢神宮に関する社殿や儀式、行事などが記された書。
延暦23年(804年)に成立。
神宮の規模を忠実に伝えた根本史料。

の2冊がある。
「伊勢大神宮儀式帳」とも呼ばれる。

往生おうじょう

大乗仏教の中の成仏の方法論の一つ。
死んだ後、極楽に生まれ変わることを「極楽往生」、「浄土往生」という。
ここから「死ぬ」=「往生」と呼ぶようになり、「往生際が悪い」などの言い回しが生まれた。

黄檗宗(おうばくしゅう)

江戸時代(1654年)に来日した明の僧、隠元が広めた禅宗の一派。
もとは臨済宗の一分派だった。

本山は京都宇治にある黄檗山 万福寺。
現在でも伽藍や法要、画風などで明朝風様式の特徴をもつ。

大忌祭(おおいみのまつり)

水の神様を祀る、奈良県北葛城郡の広瀬神社で行われる、豊作とそのための水利を祈る祭り。
廣瀬大忌祭ともいわれる神祇令で定められている祭の一つ。

田植え前に水が必要な4月と、刈入れの前に水害を防ぎたい7月の年2回行われる。

龍田風神祭と合わせて廣瀬龍田祭とも称される。

大嘗祭(おおにえのまつり)

天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭で、一代一度限りの大祭。
「おおなめのまつり」「だいじょうさい」「おおむべのまつり」ともいう。

大祓(おおはらえ)

6月30日と12月31日の晦日の日に、宮中や多くの神社で行われる神事。
半年の間に知らず知らずに犯した罪、積もり積もった心身の穢れ、いっさいの災いを消滅し、清浄な本来の姿を取り戻すための祭祀。
6月の大祓は「夏越の祓」、12月の大祓は「年越の祓」とよばれる。

夏越の祓では、境内に茅の輪を設け、茅の輪くぐりを行うところもある。

参考:6月30日は夏越の大祓 茅の輪くぐりに行ってきました。

公祭(おおやけのまつり)

朝廷と氏族の関わりが深まったことで、これまで氏族の氏神祭祀とされていたものが宮中の年中行事となったもの。
天皇が関与するが、神祇官が行う国家祭祀(祈年祭など)とは異なる。

代表的なものは、第46代 孝謙天皇の春日祭(母の光明皇后が藤原氏出身)、第第54代 仁明天皇の梅宮社(母の橘嘉智子は橘氏出身)、55代 文徳天皇の大原野社(母は藤原冬嗣の娘、順子)への公祭があった。

また、姻戚関係でなくても、皇城鎮護の神とされた賀茂社、松尾社、大神社も皇室に関わりの深いことから公祭とされた。

平安時代後期には北野社や岩清水社、日吉社も加わる。

怨憎会苦おんぞうえく

怨み憎んでいるものと会わねばならない苦しみ。
四苦八苦の「八苦」の一つで、生きていく上で避けることのできない苦悩の代表的なもの。


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