伊勢神宮の内宮から国道23号線を北上し、さらに県道12号線を北上したところに倉田山という丘があります。
この辺りは緑豊かな並木道路になっていて、神宮徴古館、神宮文庫、神宮農業館、神宮美術館など神宮関連の文化施設が建ち並びます。

その中に、伊勢神宮 内宮の別宮、倭姫宮(やまとひめのみや)もあります。

倭姫宮

ここに祀られている御祭神は倭姫命(やまとひめのみこと)

どういう人物か、簡単に説明すると、伊勢神宮創建に関わった方なんです。

倭姫宮は、そのような倭姫命の功績を讃えて建てられたのですが、創建されたのは大正12年。
伊勢神宮の歴史を考えると、わりと最近の社ですね。

倭姫宮の境内はほとんどが森で、参道はキレイにされています。
参拝者もあまりいませんので、空気も美味しいところです。

倭姫命ってどんな人?

倭姫命は第十一代 垂仁天皇の皇女。
天皇の娘ということですね。

日本神話に出てくるヤマトタケルを知っている方は多いと思いますが、倭姫命は、ヤマトタケルの叔母にあたります。
三種の神器のひとつ、草薙の剣をヤマトタケルに与えたのも倭姫命なんです。

そんな倭姫命がどういう功績を残したのか、というと、かつて宮中でお祀りしていた天照大御神を、祀るのにふさわしい地を探しまわって(巡幸)、最終的に現在の皇大神宮(伊勢神宮 内宮)の地に定めたのです。

そして、どうやって天照大御神を祀り続けていくのか、神宮の運営方針を定めました。
たとえば、年中の祭祀を定めたり、神田や各種ご料品を奉仕する神領を選定したり、神宮の職種を定めたり、祓の方法や決まり事を定めたり、といったことを決めていったのです。

その後、代々の天皇家では、忙しい天皇に変わって、未婚の皇女を伊勢に常駐させて天照大御神に奉仕させることになりました。
奉仕する使命を担った女性を斎王(さいおう)、斎王の御所を斎宮(さいぐう)といいます。

この斎宮制度は、南北朝時代に戦乱で途絶えてしまいましたが、倭姫命は初期の斎王といえますね。

倭姫命はなぜ巡幸することになった?

垂仁天皇の皇女であった倭姫命が、どういう経緯で天照大御神に奉仕するようになったのでしょうか?
それは、一代前の天皇である第十代 崇神天皇の時代にさかのぼります。

崇神天皇の時代、大和の国にある宮中には、

  • 天照大神(あまてらすおおかみ)
  • 倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)

の二柱が祀られていました。
つまりこの時代の天照大神は、伊勢神宮ではなく、天皇と共に宮中にいたわけですね。

一緒に祀られていた倭大国魂神はどういう神様かというと、現在、奈良県天理市にある大和神社に祀られている神様なのですが、奈良県桜井市にある大神神社に祀られている大物主神と同一神であるという説があります。
なのでこちらも、古事記・日本書紀に書かれているビッグネームの神様なのです。

こんなパワーの強い神様を二柱も抱えるとなると、毎日気を遣って大変そうですよね。

そんな崇神天皇の時代に、国内に疫病が流行り、国民の大半が亡くなってしまったのです。

天皇は神の勢いを畏れて、「共に住むのは安らかではない」と思ったので、宮中ではなく神々を祀るのにふさわしい場所を探してもらい、そこで祀らせることにしました。

天照大神を託されたのは、皇女であった豊鍬入姫命(とよすぎいりひめのみこと)
豊鍬入姫命は、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)で祀ることに決めました。
その時の笠縫邑は、どこにあったのかは色々な説があって、定かではありません。

一方、倭大国魂神を託されたのは、同じく皇女の渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)
倭大国魂神は現在の奈良県天理市にある大和神社で祀られています。

このようにして天照大神は、宮中の外である>笠縫邑で、豊鍬入姫命の奉仕のもとで祀られるようになったのですが、第十一代 垂仁天皇の時代になって、その皇女である倭姫命に役目がバトンタッチされます。
そして、天照大神の御鎮座地として、よりふさわしい場所を探すように命じたのです。

こうして倭姫命は大和の国から旅立ち、各地を巡行しました。
伊賀・近江・美濃・尾張など各地を巡り、伊勢の国に入った時に天照大神から御神託があって、最終的に現在の伊勢神宮 内宮の地に定まったわけです。

ちなみに倭姫命は、巡行の時に天照大神の御神体である八咫鏡(やたのかがみ)を持っていますが、伊勢の地に定まる前に各地で一時的に鏡を祀っています。

その地がふさわしいかどうか、お試しで祀ったのでしょうね^^
そういういわれのある場所は、現在も元伊勢(もといせ)と呼ばれています。

この巡行の詳細については、「日本書紀」や「皇太神宮儀式帳」、「倭姫命世紀」などにあります。
倭姫命世紀に関連する本としては、こういう本があります。

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伊勢神宮に天照大御神を鎮座した人物と 伝承される倭姫命。11歳の時に天照大御神の御霊代を身に託された倭姫命は、その御霊を祀るのにふさわしい場所を探して、一生をかけて畿内各地を回りました。

筆者が元伊勢を実際に巡ったルポになっています。
この本を元に倭姫命の足跡をたどる旅をするのも面白そうですね^^

倭姫命の巡幸地

「皇太神宮儀式帳」によると、倭姫命は、大和の笠縫邑から出発して、以下のように巡幸したとされています。
ただ、現在の位置はハッキリとわからないので、比定地となっています。

倭姫命の巡幸地
倭姫宮のパンフレットより

  1. 大和国 美和・御諸宮(みむろのみや) (奈良県桜井市、三輪山あたり)
  2. 大和国 宇太・阿貴宮(あきのみや) (奈良県宇陀市、阿紀神社か)
  3. 大和国 宇太・佐々波多宮(ささはたのみや) (奈良県宇陀市、篠畑神社か)
  4. 伊賀国 穴穂宮(あなほのみや) (三重県伊賀市、神戸神社か)
  5. 伊賀国 阿閉柘植宮(あへつみえのみや) (三重県伊賀市、都美恵神社あたりか)
  6. 淡海国 坂田宮 (滋賀県米原市、坂田宮岡神社あたりか)
  7. 美濃国 伊久良賀波宮(いくらがわのみや) (岐阜県瑞穂市、天神神社あたりか)
  8. 伊勢国 桑名・野代宮(のしろのみや) (三重県桑名市、野志里神社あたりか)
  9. 伊勢国 鈴鹿・小山宮(おやまのみや) (三重県亀山市、布気神社あたりか)
  10. 伊勢国 壱志・藤方(ふじかた)片樋宮(かたひのみや) (三重県津市、加良比之神社あたりか)
  11. 伊勢国 飯野・高宮(たかみや) (三重県松阪市、神山神社あたりか)
  12. 伊勢国 多気・佐々牟江宮(ささむえのみや) (三重県多気郡明和町、竹佐々夫江神社か)
  13. 伊勢国 玉岐波流・磯宮(いそのみや) (三重県伊勢市磯町、磯神社か)
  14. 伊勢国 宇治家田・田上宮(たがみのみや) (三重県伊勢市楠部町、神宮神田あたりか)
  15. 伊勢国 五十鈴宮(いすずのみや) (三重県伊勢市宇治館町、皇大神宮)

倭姫命の巡幸には、五大夫(ごたいふ)と呼ばれる重臣を伴っていました。
そして一カ所に留まっている時は、しばらくこの場がふさわしいか調査していると思うので、かなりの長旅だったと思われます。

一説によると、立ち寄った各地で米づくりも伝えたようです。
それくらい時間をかけて選んでいるんですね。

上で挙げた場所は、もしかしたら神宮になっていたかもしれない地です。
倭姫命の巡幸に思いを馳せて訪れてみるのも面白いかもしれませんね。

倭姫宮の御朱印

倭姫宮の御朱印です。

倭姫宮 御朱印

神宮系列らしいシンプルな御朱印です。


倭姫宮は、下でも表示しているgoogleマップで見ると外宮側から消防署前交差点に入れそうな感じがしますが、ここからは人しか入れません。
車で行く場合はは、内宮側にある倭姫前交差点から行く必要があります。

駐車場が3台あります。
3台だと空いているかどうか心配になりそうな感じですが、人は少ないので大丈夫だと思います。
また、下の地図を見るとわかると思いますが、神宮美術館の近くにも駐車場があります。
そこは文化施設共通の駐車場だと思われるので、そこを利用しても良いと思います。

倭姫宮 地図