六道珍皇寺

現世と冥界の境界にあるという六道珍皇寺。
平安時代の公卿、小野篁は、昼間は朝廷に仕え、夜はこの地の井戸から冥土に通って閻魔王庁に仕えたという伝説が残っており、地獄絵をはじめとする死後の世界に関する寺宝が多数伝わっています。

お寺のことや伝説については以前記事にしました⇒冥土に通じるお寺 六堂珍皇寺と六道まいり

そんな六道珍皇寺では、春と秋に特別公開・寺宝展を行っています。
今回は、秋の寺宝展に合わせて訪れてみました。

普段は非公開の「冥土通いの井戸」や、近年発見されて話題になった「黄泉がえりの井戸」も見ることができました!

閻魔大王像や小野篁像は無料で見れます

六道珍皇寺 閻魔堂

六道珍皇寺の本堂の手前にある閻魔・篁堂。
等身大の閻魔様や、小野篁の像が祀られています。

普段は格子状の窓で閉じられていて、その窓から覗くようにみることができます。
なのでちょっと見にくいんですよね^^;

でも寺宝展の間は、格子窓が取り除かれていたので、像容を眺めることができました!

小野篁の像も六道珍皇寺ならではの像なので必見なのですが、大きな閻魔様の前に座っているちっちゃな閻魔様もかわいいです^^
残念ながら写真撮影は禁止なので、現地で直接見に行ってみてください。

地獄や死後の世界を垣間見る作品を堪能!

六道珍皇寺 本堂

いつもは上がることのできない本堂ですが、特別公開中はこちらから有料拝観となります。
拝観料金は500円でした。

堂内では、地獄がどのようなところなのか、ということを説いた絵図等が展示されています。
例えばこちらの熊野観心十界曼荼羅

熊野観心十界曼荼羅 六道珍皇寺

撮影は禁止なのですが、小栗栖 健治著の[PR] 熊野観心十界曼荼羅という本に写真が載っていましたので、こちらをお借りしました^^

かつては色々な社寺が、絵解きといって、宗教的な物語が描かれた絵図を用いて内容を説明し、より良き人生を送るための宗教的・倫理的な指針を示すことで信仰に導いたわけですね。
熊野観心十界曼荼羅もそういう絵図の一つです。

「六道」については、以前の記事で説明しました。

以前の記事⇒冥土に通じるお寺 六堂珍皇寺と六道まいり

簡単にいうと、仏教の考え方では、命あるものは、

  • 天道
  • 人間道
  • 修羅道
  • 畜生道
  • 餓鬼道
  • 地獄道

の6つの世界を輪廻している(生まれ変わり続けている)というものでした。
その6つの世界が「六道」です。

以前の記事ではここまでの説明でしたが、実は続きがあります。

それが四聖という世界の話です。

四聖は上から

  • 仏界:最高の悟りに到達した人の世界
  • 菩薩界:利他の精神で人々を救済しながら、自らも悟りを求めて修行する人の世界
  • 縁覚:仏説によって自ら悟りを求め、さまざまな物事を縁として、部分的に悟りを得た人の世界
  • 声聞:仏説をそのまま受容して部分的に悟りを得た人の世界

となっています。
この四聖は六道の上にある世界です。

私たちのいる人間界を含む「六道」は、下に行くほどつらい世界で、天道を目指すことが良さそうな気がしますが、この「六道」を輪廻している限り、生・老・病・死という苦しみから逃げられません。

それに対して四聖は煩悩のない世界です。

六道世界は地獄から天まで迷いに迷って輪廻を繰り返します。
その迷いから抜け出す(解脱)方法が「悟りを得ること」です。

四聖は解脱に至る段階を示し、仏界こそが悟りの世界なんですね。

そんな四聖六道を合わせて十界といいます。
「熊野観心十界曼荼羅」は十界を一つの絵でまとめて理解でき、さらに輪廻する様子もわかるように描かれてた絵図となっています。

熊野観心十界曼荼羅は、色々な寺社で使われています。
型は同じですが、表現が様々なので、見比べてみると面白いです。

今回の寺宝展でも、上の曼荼羅以外にもう一つの熊野観心十界曼荼羅も展示されていました。

熊野観心十界曼荼羅 六道珍皇寺

こちらは地獄界の炎を激しく描き、いかに地獄が恐ろしいところかを強調している感じですね。
表現の違いは、絵解きで何を強調するのか?ということとリンクしていたのかもしれません。
こんな世界に行きたくない、と思わせるには十分です^^;

上の方にある、山坂を登って降りるように描いているのが人間界で、山坂を人生にたとえて生まれてから人生の山を登り、老いながら山を下り、死んでいくという、人の一生を象徴的に表しているのですが、それが見やすくなっています。

人生が終わると鳥居をくぐって別の世界へ行くのですが、六道の中を、すごろくゲームを進めるようにぐるぐる回るしかなく、そこから抜け出せません。

しかし、熊野観心十界曼荼羅は、救済方法も明示しているんですね。

それは曼荼羅の中央上部、「心」と書かれた文字です。
実は十界は、そういう世界が実体的にあるというより、人の心の中に備わっているという意味も含まれているんですね。

なので、仏界からすべての世界の鳥居に赤い糸が結ばれています。
つまり、心の在り方次第でどんな人でも地獄に落ちることもあれば成仏できる可能性もあるということです。

絵図の中央にはなにやら人が集まっていますが、これは施餓鬼をやっているところです。
施餓鬼は、餓鬼道に落ちた亡者に供物の施しを行うもので、そのように施しを行った結果が、それぞれの世界で活躍する地蔵菩薩や如意輪観音となって現れます。

つまり、施しを行うことは菩薩行を行うことであって、それを続けることが解脱となり、成仏に至るというわけですね^^

そしてこちらは珍皇寺参詣曼荼羅

珍皇寺参詣曼荼羅

六道珍皇寺では、お盆に行われる「六道まいり」という先祖供養が有名ですが、熊野観心十界曼荼羅の絵解きを聞いた後にこの参詣曼荼羅の説明を聞けば、参詣したくなるような気がしますね^^

小野篁が地獄へ通ったという伝説の井戸

本堂の裏には、小野篁が冥界への入り口として使ったという伝説の井戸があります。
それがこちらの冥土通いの井戸

六道珍皇寺 冥界の井戸

庭に降りて中を覗くこともできるのですが、撮影は本堂の縁側からのみ許可されています。
なんでも、近くで撮影すると写り込んでしまうことがよくあるそうなんですよね^^;

六道まいりの時、境内で販売されている高野槙という槙の葉を買うのですが、高野槙は高40メートルくらいになる高木です。
小野篁は、かつて境内に数多く自生していた高野槙の枝を伝って井戸を降り、地獄に赴いたといいます。

現在は格子がされていて、降りれないようになっています^^
覗いてみると、ちょっと深めの井戸でした。
水もあったのですが、実はこの先は地獄へワープする道になっているのかもしれませんね^^

そして、本堂の縁側からは見えないのですが、冥土通いの井戸の後ろに続く道があります。
そこには、平成23年に発見されたという黄泉がえりの井戸がありました!

写真はありませんが、きれいに整備して公開しているのだそうです。

この黄泉がえりの井戸は、篁が地獄からの帰路として使っていたといいます。

今までは、嵯峨野にあった福生寺(現在は廃寺)の井戸が出口とされていたのですが、はっきりはしていなかったそうなんですよね。

確かに、行きは東山の六道珍皇寺から行くのに、帰りは別の井戸、しかも嵯峨野だとかなり遠すぎます。
おかしな設定だなあとは薄々思っていたのですが、この井戸が出口ならまだ納得できますね^^

黄泉がえりの井戸は、隣接する民有地から見つかったのですが、かつてはそこは旧境内地だったそうです。
民有地になっていたからこそ今までわからなかったのでしょうね。


冥土通い井戸のすぐそばには、井戸と同じ水が湧き出るつくばいがあり、ここで水占いをすることができます。

そばに置かれているおみくじを水に浮かべることで文字が浮かび上がるようになっていました。

冥土通いの井戸 水占い