金剛峯寺 桜

高野山真言宗の総本山、金剛峯寺。
高野山の中でも一番有名なお寺です。

「金剛峯寺」という寺号は、弘法大師 空海が超重要視していた経典「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)」から名付けたものです。
元々は高野山全体を指す名称でした。

現在「金剛峯寺」というと金剛峯寺の本坊のことを指すことが一般的になりましたが、「総本山金剛峯寺」というと山全体のことを指すようです。
ややこしいですね^^;

下の写真は、金剛峯寺の正門。

金剛峯寺 正門

昔は天皇や貴族など、高尚な身分の人しか通ることができなかったそうです。

金剛峯寺はそういうお寺ですので、空海の時代から脈々と歴史がありそうな気がしますが、実はこのお寺、豊臣秀吉が建立したお寺なんです。

金剛峯寺は、豊臣家ゆかりの寺院だった

金剛峯寺

高野山は「宗教都市」といわれていますが、元々は「一山境内地」と称して山全体がお寺の境内とされていました。
なので現在も色々なところに塔頭寺院と呼ばれる小院が点在します。

私は高野山のことを知らなかった頃、金剛峯寺が高野山の中心だと思っていました^^;
同じように思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、他にも中心となる場所があるんです。

それは壇上伽藍と奥の院という二大聖地です。

壇上伽藍は真言宗の道場としての中心地。
高野山一山の総本堂はここにある金堂です。

奥の院は弘法大師信仰の中心地です。
ここは弘法大師が入定(亡くなること)した場所で、現在も大師がここで生きて修行されていると信じられています。

そして金剛峯寺は、全国3600あまりの末寺の宗務を司っているお寺です。
なので住職は歴代の高野山真言宗の座主(管長のこと)が務めています。

金剛峯寺はそういう位置付けとなるのですが、お寺の前身は、文禄2年(1869年)、豊臣秀吉が母である大政所(おおまんどころ)の菩提を弔うために建立した青巌寺(せいがんじ)というお寺なんです。

それが明治2年(1869年)に、同じく近くに豊臣家ゆかりの寺院で青巌寺に近くにあった興山寺と統合し、現在の「金剛峯寺」になっています。

高野山の歴史を考えると、割と新しいお寺ですね^^

本坊内では美麗な襖絵を堪能できます

金剛峯寺の境内の広さは4万8295坪もあって、とにかく広いです!
日本最大の石庭である蟠龍庭もあるのですが、それを除いたとしてもかなりの広さ。

天皇や貴族も出入りしていたわけですから、贅沢仕様でもおかしくありませんよね^^
実際、美麗な襖絵がたくさん見れるのです。

高野山の重要な儀式法事が行われる「大広間」は、秘仏である弘法大師像が祀られているのですが、ここには斉藤等室の筆とされる「群鶴図」があります。

続く「梅の間」では狩野探幽の筆と伝わる「梅月流水」、豊臣秀次自刃の間とも呼ばれる「柳の間」では山本探斎による「柳鷺図(りゅうろず)」が描かれています。

そして天皇や上皇の応接間にあたる「上壇の間」は、総金箔の壁で、天井は折上式格天井という格式の高い様式、花の彫刻も施されています。

まるで門跡寺院のようなんです^^

このように室内のみどころがたくさんあるのですが、襖絵は写真撮影は禁止なので、残念ながらここで紹介することはできません^^;
実際に訪れてみて、その豪華さを堪能してみてください。

日本最大の石庭、蟠龍庭

金剛峯寺 蟠龍庭

金剛峯寺には、日本最大の石庭といわれる蟠龍庭(ばんりゅうてい)があります。

5百坪余りもある広さで、勅使門から見て左に雄龍、右に雌龍が雲海を泳いでいて、奥殿を護っている姿が表現されています。
言われてみれば、龍を描いているように見えなくもないですね^^

砂は、白く見えることで著名なお寺や神社でよく使われる上質の白砂、白川砂を全面に使っているそうで、石は弘法大師練行聖地、四国の霊石なのだそうです。

龍を二頭配しているのは、金胎不二(こんたいふに)という密教の思想を表しているのだとか。

金胎不二については、壇上伽藍の根本大塔でも表現されている思想。
曼荼羅についても少し知る必要があるので、詳しくはそちらをご覧ください。

金剛峯寺内の聖地、真然大徳廟

写真はありませんが、金剛峯寺の廊下を歩いていると、回廊の途中で小高い丘になっているところに続く廊下があって、その先には神社のようにお参りをするところがあります。

それは、弘法大師が入定した後、荒廃しつつあった高野山の再興に尽力した、真然大徳(しんぜんたいとく)のご廟(お墓)です。

金剛峯寺のお坊さんは、この前を通る時、必ず一礼してから通り過ぎるんですよね^^

真然大徳は、弘法大師の甥にあたり、空海の跡継ぎとして高野山の経営を任された人物です。
空海の十大弟子のひとりでもあります。

高野山は実は、空海の存命中、伽藍の建築がなかなか進まなかったんです。
その理由は、空海が国の援助を得ずに、人々の浄財で建立を目指していたということが第一に挙げられます。

さらに空海がそもそも密教の祖師として天皇から直接公務をお願いされていて忙しかったですし、なかなか指揮がとれません。
そして高野山は都から離れている上、あまりに山深い場所にあるのも建立が進まない原因になっていました。

それでとうとう空海は伽藍の完成を見ずに入定してしまいました。

カリスマ空海がいなくなれば、密教のお寺として重要視されるのは、都にあってアクセスの良い「東寺」です。
東寺は都における密教の根本道場として建てたお寺ですし、それに比べて中途半端な状態の高野山が荒廃していくのは想像できますよね。

そんな中、真然大徳は経営改革を何度も行い高野山復活に尽力を尽くしたのです。
つまり、今の高野山があるのは真然大徳のおかげでもありますね^^
金剛峯寺を訪れたら、ぜひお参りしておきましょう。

新別殿でお茶とお菓子のお接待

金剛峯寺 新別殿

金剛峯寺の堂内を回っていると、拝観ルートの途中で新別殿に出ます。
大勢の参詣者が休憩できる大広間で、ここで僧侶の法話を聞きながらお茶とお菓子のお接待を受けられます。

金剛峯寺 お茶

お菓子は、かるかや餅で有名な松栄堂で売られている「佛法僧」という麩焼き。
麩に和三盆が塗りあげられていて、口の中でふわっととけて甘みが広がります^^

法話の内容は毎回違うようで、私が訪れるときは毎回話の終わりに近い時ばかりです(≧▽≦)
でも、終わった後に話しかけてくれて、阿字観(あじかん)のことをお聞きしました。

「阿字観」というのは、真言密教の瞑想法なのですが、高野山では色々なところで阿字観の体験ができます。
一度宿坊に泊まったりしてゆっくりやってみたいですね^^

金剛峯寺の御朱印

金剛峯寺には、真言宗十八本山の御朱印があります。

金剛峯寺 御朱印

「遍照金剛」と書かれています。
「大日如来」を意味する空海の灌頂名で、「この世の一切を遍く照らす最上の者」という意味です。
一番上の文字はその梵字になっています。

そして金剛峯寺内のショップにはオリジナルの御朱印帳が販売されていました。

金剛峯寺 御朱印帳

高野霊木の間伐材で作っているそうで、中身は普通の御朱印帳と同じになっています。
1,800円です。


平成27年は、高野山開創1200年を記念する年で、4月2日から5月21日まで色々なイベントが行われているのですが、金剛峯寺では御本尊、弘法大師坐像が御開帳されています!
この御本尊は、平成11年の大修理以来となる御開帳で、実に16年ぶり。

金剛峯寺は、密教のお寺にしては仏像や仏画に出会わない珍しいお寺ですが、この弘法大師坐像が唯一出会った仏像でした^^

大広間には入れず、廊下から大広間越しに奥の仏間を眺める感じでちょっと遠いのが残念なのですが、見た目は一般的な弘法大師の像容と同じです。
ただ、手に持っている三鈷杵が本物を使っているのか金色に輝いていました!

細部までよく見たい方は、双眼鏡や単眼鏡を持っていかれることをお勧めします。


金剛峯寺を後にして、正門から出ようとした時、こうやくんに出会いました♪

こうやくん

カメラを向けるとポーズをとってくれました。
マリオシリーズに出てくるキノピオみたいでかわいいですね^^