高月町の西の端にある「西野」という集落。
集落のほぼ中心に西野薬師堂というお堂があり、そこから北、賤ヶ岳の方へ向かうと、山の麓に正妙寺というお寺があります。

このお寺には、十一面千手千足観音という、珍しい観音様が祀られています。
「十一面観音」や「千手観音」ならよく聞くと思いますが、さらに千の足を持つ、というのは聞いたことがありませんね^^

観音の里たかつきふるさとまつりの日に参拝しに行きました。

下の写真は、西野薬師堂から正妙寺へ向かう道です。

正妙寺

山の麓まで来ると、山の神様を祀る日枝神社がありました。

正妙寺 日枝神社

日枝神社の前にはのどかな田園風景が広がっています。

西野 田園風景

そばには昭和51年に、宮中や伊勢神宮などで行われる新嘗祭に献上した旨が書かれている石碑が建っていました。
近江は関西のお米どころなんですね。

正妙寺は日枝神社の上方にあります。
入り口は、神社の横です。

正妙寺 入り口

入り口の看板。

正妙寺 看板

ほどなくして現れる小さなお堂。

正妙寺 お堂

ここに千手千足観音が祀られています。
写真撮影は禁止なのですが、写真が販売されていましたので購入しました。

正妙寺 十一面千手千足観音

平安時代の作と考えられていて、像高42.1cmで寄木造、玉眼がはめられ、像全体に漆箔が施されています。

ドラクエに出てくる中ボスみたいですね^^
忿怒の相をしているのですが、どこか落ち着きを感じますし、口元はむしろ笑っているようにも見えます。
いたずらっ子のような感じもしますね。

足の部分は、全体的に見ると昆虫の胴体のようにも見えますが、ちゃんと細かく見れば足の指まであるんです^^

このようなお姿の像は、他では見られないんですよね。
普通、仏様のお姿は、経典に書かれていることなどを元にして表現されているのですが、この像にはその根拠となるものがありません。

ただ、千足観音については、智証大師 円珍(814~891)が入唐の際に、中国で法全阿闍梨から授かり、三井寺の経蔵に秘蔵されたという記録があります。
そこには、千頭は過去千仏、千眼は現在千仏、千足は未来千仏を表し、過去現在未来の三世の諸仏を集約した菩薩であると説かれています。

しかし、その図像は掲載されていないので、千足観音の形相は明らかになってはいません。
ただ、この千足観音が三井寺系の天台密教に関係するものではあるようです。

では、どのような経緯でここに祀られるようになったのでしょう?

元々は、西野の集落の西北、琵琶湖畔にあった阿曽津という大きな集落で、地元の土豪だった「阿曽津秀道」の内室の守護仏として祀られていたのだそうです。

しかしある時、琵琶湖に大津波があり、集落は湖中に沈んでしまったため、そこに住んでいた人々は山を越えてこのあたりに住むようになりました。

移り住んだのは「野」という名のつく7つの集落。
西野・松野(現在の松尾)・熊野・東柳野・柳野中・西柳野・磯野です。

西野はその一ヶ村なので、その時に移ってきたのでしょう。

正妙寺にはその他にも仏像や寺宝があったようですが、元和三年(1617年)の火災でお堂が焼け、仏像も寺宝も焼失しています。
この観音様だけが村人によって無事運び出されて助かったのです。

その後、江戸時代に修理が施され、金泥が塗られ、現在に至るわけです。

下の写真は、観音様が見ておられる景色。

正妙寺 景色

高い木々で囲まれているので見渡すことはできませんが、何百年も村人たちの営みを見守っているのでしょうね^^

御朱印

正妙寺の御朱印です。

正妙寺 御朱印

十一面千手千足観音のスタンプになっていました。
個性的ですね^^


私は今回、観音の里たかつきふるさとまつりの日を利用して参拝したのですが、普段は扉が閉じられていて、常時拝観はできません。
地域の方が交代で世話方として管理しているんですね。

なので拝観するには、ふるさとまつりの日に訪れるか、電話で事前予約をすれば拝観することができます。

世話方さんの電話番号が入り口の看板に書かれていました。

正妙寺 看板

番号は変わるかもしれませんので、心配な方は「奥びわ湖観光協会」に電話してみてください。