金剛輪寺

琵琶湖の東側、愛荘町にある名刹、金剛輪寺。
山脈に沿って並ぶ三つの古刹、湖東三山の1つです。
奈良時代、聖武天皇の勅願で行基によって創建されました。

金剛輪寺のご本尊は、行基自ら彫ったとされる聖観世音菩薩。
しかもそれは、ただの仏像ではありません。
生身の本尊と呼ばれているんです。

霊験あらたかなそうな仏様ですが、この御本尊、普段は残念ながら秘仏で拝観することができません。
固く厨子の中に入っているんですね。
しかも、住職一代につき1度のみご開帳が許される決まりとなっているので、なかなかチャンスがないんです^^;

でもそれが、名神高速の湖東三山ICオープンを記念して、湖東三山が一斉に御開帳しました!
期間は2014年4月4日(金)~6月1日(日)。
私はそれに合わせて拝観しに行くことができました!

金剛輪寺は、湖東三山ICから1分という好立地♪
駐車場も広いので、車でアクセスしやすいお寺になっています。

生身の本尊とは?

金剛輪寺 生身の本尊

「生身の本尊」と呼ばれるようになったのは、お寺を開いた行基がご本尊を彫っている時のエピソードに由来します。

行基がご本尊を彫っている途中、木肌から一筋の血が流れ出たことによるのだとか。
この時点で、「観音様に魂が宿った」と考え、荒彫りのまま安置したのだそうです。

通常、仏像は彫った後に開眼法要を行い、魂を入れることで仏性が宿るのですが、この御本尊は彫っている最中にもう仏性を持つほどパワーを持っているということでしょうか?^^

御開帳が始まった頃に「美の京都遺産」という番組で金剛輪寺が紹介されていましたが、その時に生身のご本尊が映っていました。
その映像からお姿を拝借します。

金剛輪寺 生身のご本尊

確かに、彫っている途中であることが見てわかりますね。
どこか円空仏みたいな感じもします。

「血が流れ出た」というのは作られた伝説だと思うのですが、そうだとしたらなぜ完成させずに安置したのか、謎ですね。

本堂には、重要文化財にしていされている立派な仏像がたくさん並んでいます。
阿弥陀如来坐像二軀をはじめ、不動明王、毘沙門天、四天王、十一面観音、慈恵大師、そして日本最古の大黒天像といわれる大黒天半跏像など、重文指定されている仏像の宝庫。
それほどの仏像が並ぶ中で、こういう荒彫りのままの仏像がご本尊となっているのも面白いですね^^

お堂の外には、ご本尊と繋がっている結縁手綱が設けられています。

金剛輪寺 本堂

手綱は蔀戸(しとみど)から本堂内部のご本尊へ。

金剛輪寺 本堂 蔀戸

この紐は引っ張るものではなく、赤、緑、黄、白、紫、いずれかの紐を手にとってお祈りするものです。
そうすることで、ご本尊と縁を結ぶわけです。
ついついひっぱりそうになりますが、引っ張ってはいけません^^;
手に取るだけです。

ちなみにこの本堂には、ご本尊の霊験あらたかぶりをうかがえるエピソードがあります。

まず、この本堂が建てられたのは蒙古襲来(元寇の役)の戦勝記念によるもの。
ご本尊様が蒙古対策に一役を担ったのでしょうか?

近江守護職・佐々木頼綱が建てたということなので、時のこの地方の権力者が一目を置いていたということが言えますね。

さらにはその後、織田信長の焼き打ちにも耐えています。

信長は湖東三山のお寺を焼き打ちしたのですが、そのきっかけは、信長と敵対していた近江の武将、佐々木氏の一族でもある六角氏を、お隣の百済寺が味方をしたことによるものです。

百済寺は全焼し、同じ湖東三山の金剛輪寺と西明寺も連帯責任として兵火にあってしまうんですね。
ただ、寺僧の尽力で本堂と、その裏に建っている三重塔は兵火から逃れることができました。

数々の苦難を乗り越えて現在にも残っているということは、生身の本尊はそれだけパワーを持っているのかもしれませんね^^

お地蔵さんが千体並ぶ参道

金剛輪寺 参道

平安時代初め、日本の天台宗の開祖、最澄に忠実に仕えた慈覚大師 円仁が金剛輪寺に来山、天台密教の道場としました。
それから参道には、多数の僧坊が並んでいたそうです。

しかし、火災や兵火などの影響か、今ではその姿形はありません。

上の写真は、参道の入り口。
参道に入ると、両脇によだれかけをかけて風車を持ったお地蔵さんがずらっと並んでいます。

金剛輪寺 参道

「千体地蔵」とも呼ばれているお地蔵さん。
よだれ掛けと風車といえば、水子供養のお地蔵さんです。
つまり、流産してしまったり、なんらかの理由で産まれてこれなかった赤ちゃんを供養しているわけですね。

お地蔵さんにはちゃんと持ち主がいて、名前が書かれています。
そのように水子供養をしたい人がここにお地蔵さんを置いて行くのだそうです。

参道沿いだけでなく、まとめて置かれている場所もあります。

金剛輪寺 参道

このお地蔵さん、8月9日の千日会ではそれぞれ明りが灯されるそうです。

参道は整えられた緩やかな上り坂の石畳なのですが、その距離数百メートル。
千体地蔵の道が続くのですが、歩いていると結構長く感じます。

金剛輪寺 参道

歩いていると、自然を楽しむよりも段々としたばかり向きがちに。
それでもお地蔵さんが見ているので、だらしなく休むことはできません^^;

やっと二天門が見えてくると、本堂はすぐそこ。

金剛輪寺 参道

二天門には七難即滅を願う大草鞋が掛けられています。

金剛輪寺 二天門

金剛輪寺 大草鞋

「二天」は持国天と増長天のこと。

金剛輪寺 仁王 金剛輪寺 仁王

百済寺では「仁王門」だったのですが、こちらは「二天門」。
わらじが掛けられている面でも似ていますが、ちょっと違います。
元々は二階建の楼門だったようです。

仁王さんとわらじのエピソードが百済寺にあるのですが、金剛輪寺はなぜ「二天」に「わらじ」なのでしょうか?
その辺はわかりません。

二天門をくぐると本堂の大悲閣です。

金剛輪寺 本堂

先ほども少しだけ紹介した本堂。
鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されています。
中の仏像も立派ですが、本堂の方も大きく立派です。

金剛輪寺 本堂

残念ながら、高い木々に囲まれていることもあって部分的にしか写真におさめられません。

本堂の裏、一番高いところには三重塔が建っています。

金剛輪寺 三重塔

重要文化財に指定されている東ですが、金剛輪寺は長い間荒廃していた時期があって、その間に破損が進み、とうとう三重目がなくなってしまったこともあるのです。

それが、同じく湖東三山の1つ西明寺の三重塔を見本にして、昭和五十三年に建て直されました。
わりと最近ですね^^

本堂側から見ると、このような景色。

金剛輪寺 三重塔

新緑の季節に行ったのですが、塔が見えないほど緑でいっぱい。
でも、きちんと整えられているので、綺麗ですね^^

そして紅葉の時期になるとここが真っ赤に染まるそうです。
御本尊の縁起とも相なって「血染めの紅葉」とも呼ばれています。
パンフレットに載っていたのはこんな感じです。

金剛輪寺 血染めの紅葉

紅葉の季節に訪れてみたいですね^^

2014年11月17日追記:紅葉の見ごろの時期に訪れてみました。
湖東三山の1つ、金剛輪寺の「血染めの紅葉」を見に行きました。

金剛輪寺の御朱印

金剛輪寺は、

  • 近江西国霊場 第十五番札所
  • 湖国十一面観音 第十一番霊場
  • 近江七福神霊場
  • 神仏霊場滋賀三番
  • 近江湖東二十七名刹第十番

の霊場に属しています。
そのうち私は、一番上の「近江西国霊場」の御朱印を頂きました。
普通に「御朱印下さい」と言えば、この御朱印で頂けます。

ただ、今回は本尊御開帳という特別な時期に頂いたので、「秘仏本尊御開帳」の印が付いています。

金剛輪寺 御朱印

御開帳期間だけ御朱印が500円で、御影がセットになっています。

生身の本尊 御影

ちゃんと荒彫りの感じが出ていますね^^

そして、オリジナルの御朱印帳もあります。

御朱印帳

本堂と三重塔が描かれた御朱印帳です。
その他、湖国十一面観音霊場、近江西国霊場、神仏霊場専用の御朱印帳が販売されていました。


金剛輪寺の本堂には、2体の大黒さんがいらっしゃいます。
1体は古式の大黒天のお姿である大黒天半跏像。
日本最古となる平安時代の作で、武装したうえ、威嚇するような忿怒の相をしておられます。

そしてもう1体が、鎌倉時代に作られたという、メタボな大黒天^^
こちらは神仏習合後に作られたもので、私達がイメージする福の神となったお姿です。

そもそも大黒天は、インドでは戦闘の神様とされていたのですが、日本に来て金運の神扱いされるようになって、姿形まで変わったんですね。
時代の違いでここまで変わるのか、ということが感じられる作品です。

残念ながら大黒天半跏像の方は厨子に入れられていて、普段は拝観することができません。
今まで11月頃に特別公開されていますので、興味のある方はそのあたりに金剛輪寺の公式サイトをチェックしてみて下さい。