日吉大社

琵琶湖側から比叡山への登り口、滋賀県大津市坂本にある日吉大社。
全国に3800余りもある日吉神社・日枝神社・山王神社の総本宮です。
現在も「山王さん」と呼ばれ、崇敬されています。

日吉大社の背後には日本仏教の聖地、比叡山があるのですが、日吉大社は比叡山の護法神「日吉山王」として崇敬されてきました。

比叡山は、平安京の鬼門の方向(北東)にあって都を鎮護する霊山として崇められる山ですから、日吉大社も国家鎮護の神として朝廷からも篤く信仰されています。

まさに日本の歴史に欠かせない、重要な社なんですね。

また、日吉大社と言えば、国宝や重要文化財に指定されている建造物がたくさんあるのも特徴です。
日吉大社のある滋賀県は、全国三位の国宝・重文建造物数を誇る県なのですが、そのほとんどを日吉大社が占めているのです。

さらには、秋には3000本のもみじが色づき、紅葉スポットとしても有名で、見どころがたくさんあります。

境内はとにかく広いので、参道散策の記事は3つに分けました。

ここでは全体的な見どころや歴史を書いています。

古くは山の信仰から始まりました

日吉大社の境内はなんと十三万坪

かなりの広さなのですが、その信仰の原点は、多数立ち並ぶ社殿の背後にある八王子山(牛尾山)にあります。

参道入り口となる赤鳥居をくぐって、ずっと先に見える、こんもりとした山が八王子山です。

八王子山

八王子山は比叡山の一部なのですが、日吉大社の神様は最初、ここに鎮座していたのです。
現在は、八王子山上を「奥宮」として、山の麓には里宮が広がっているのですが、神様を里の方にお連れして里宮でお祀りされています。

里宮は大きく「東本宮エリア」と「西本宮エリア」に分かれ、本宮が二つもあるのです。

二つある理由ですが、まず、八王子山に鎮座していた山の神様は、現東本宮の大山咋神

古くはこの神様を山の神さまとして、また地主神として崇められていたようです。

そこへ、飛鳥時代に天智天皇が大津宮に都を遷すのですが、その際に奈良の三輪山よりお迎えした神様が、現西本宮に祀られている大己貴神です。

「大己貴神」は、大物主神、大国主神の別名なのですが、この神様は国土を開拓・統治した神様で、朝廷では古くから国家鎮護の神として崇めていました。
天智天皇も崇敬が篤かったので、お連れしたんでしょうね。

このようにして日吉大社はツートップ神様の体制を敷いたのですが、そこに加賀の白山姫の神や、春日神、八幡神、鹿島、香取などの有名な神々も祀り、神威をどんどん上げたわけです。

そのようにして2つのエリアが造られたのですが、大きく分けて、西本宮エリアは朝廷系の神様、東本宮エリアは地元系の神様でまとめられています。

日吉大社には立派な社殿がたくさん

日吉大社 社殿

広大な日吉大社の境内には社殿がたくさんあります。
ただたくさんあるだけなら珍しくありませんが、立派なものがあちらこちらに点在しているんですね。

日吉大社 社殿

ですが、その中でも主要な社殿は山王七社と呼ばれます。

  • 西本宮:大己貴神(おおなむちのかみ)
  • 東本宮:大山咋神(おおやまくいのかみ)
  • 宇佐宮:田心姫神(たごりひめのかみ)
  • 牛尾宮:大山咋神荒魂(おおやまくいのかみのあらみたま)
  • 白山宮:菊理姫神(くくりひめのかみ)
  • 樹下宮:鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)
  • 三宮宮:鴨玉依姫神荒魂(かもたまよりひめのかみあらみたま)
  • です。
    それぞれが立派な神輿をもち、里宮にある社は、神楽殿のような拝殿や大きな獅子・狛犬まで揃えています。

    日吉大社 社殿

    日吉大社 獅子

    いずれも本殿クラスの社殿なのですが、この七社は社内でも格式が高く、上七社とも呼ばれます。

    お参りは普通、この七社を参ればよいと思うのですが、この七社に中七社、下七社の摂社・末社を加えて山王二十一社と呼ばれます。

    それだけたくさんの神様がいらっしゃるのですが、日吉大社で祀られている神様を総称して日吉大神とお呼びし、祀られているのです。

    ちなみに、日吉大社は織田信長による焼き打ちの時に社殿は全焼していますが、焼き打ち前には百八社もの社群があったのだそうです。
    もっと多かったんですね^^

    神の使い、神猿さん

    日吉大社 神猿

    日吉大社の参道を歩いていると、参道横に猿がゲージの中にいます。

    日吉大社 神猿

    とても動きが速くてなかなか写真が取れない、元気のよいお猿さんです^^

    実は、日吉大社では猿は神の使い「眷属」とされているんですね。
    なので、神猿(まさる)と呼ばれています。

    「魔が去る」ということから魔除けの象徴として扱われ、全ての厄を払ってくれるとされています。
    京都御所の鬼門を「猿ヶ辻」と呼ばれ、猿の木像が祀られているのもここからきているんです。

    更には「勝る」に通じて、縁起の良いお猿さんとされています。

    猿といえば、日光東照宮の「見ざる・聞かざる・言わざる」が有名ですが、その大元は日吉大社なんです。
    大元である日吉大社でも、猿に関するものが見られます。

    例えば、西本宮楼門の屋根を支える神猿さん。

    神猿

    座った猿のようにみえる霊石。

    猿 霊石

    お守りやおみくじも神猿さんです。

    神猿みくじ

    神猿お守り

    おみくじを引いた後のお猿さんの置物は、家の鬼門や玄関に置くと良いそうです。

    楼門の玉垣に掲げられている大絵馬も猿の絵馬。

    日吉大社 猿 絵馬

    自分で顔を書くタイプの絵馬もあります。

    猿 絵馬

    他にも社殿や神輿の装飾にお猿さんがいますので、それを探しながら散策するのも楽しいですね^^

    「山王さん」と呼ばれるようになった理由

    日吉大社には「山王総本宮」という肩書のようなものがあります。
    境内に建てられている燈籠にも「山王」の文字が入っています。

    日吉大社 山王 燈籠

    そしてこちらの有名な鳥居も「山王鳥居」といいます。

    日吉大社 山王鳥居

    この「山王」という名前はどこから来たのでしょう?
    そこには、比叡山で仏教の聖地を築いた天台宗の祖、最澄が関係しています。

    最澄は、日吉大神と大いに関わりがあるんですね。

    最澄は近江国(滋賀県)出身なのですが、そのご両親には長らく子が授からなかったのです。
    そこでご両親は八王子山に登り、子供の誕生を祈ること七日間、その際に夢を見て授かったのが最澄です。

    つまり最澄は日吉大神の申し子だったというわけです。

    その後優秀な僧侶になった最澄は、遣唐使として唐に渡り、天台宗の本山である天台山国清寺で修行をします。
    その天台山には、「山王元弼真君」という神様がいて、天台山の守り神として祀られていたのです。

    修行を終えた最澄は、日本に帰ってきて比叡山にお寺を開くのですが、元々比叡山には日吉大神がいらっしゃいます。
    最澄は天台宗を守ってもらうために、日本の山王さん、つまり天台宗の守護神になってくださいとお願いしました。

    それ以来、日吉大神は台宗の守り神として祀られるようになり、比叡山の僧侶が神様を「山王さん」と呼び始めたことから一般にもそう呼ばれるようになったわけです。
    山を守護する神様にふさわしい名前ですね^^

    このように、最澄が日吉大神を「山王」として扱ったことから、後に神仏習合の時代には「山王権現」と呼ばれるようになり、天台宗は「山王神道」という独自の神道を成立させるようになります。

    中世には神仏習合の聖地として発展しました

    日吉大社は、日本の神仏習合の大きな拠点の一つとして発展しました。

    「神仏習合」というのは、日本古来の「神」と、インド・中国を経て日本に入ってきた「仏」を結び付けた思想のこと。

    本来なら、神様は崇敬して礼拝するもの。
    人々の願いを叶えてくれる存在です。

    それに対して仏は、釈迦の教えを説くものです。

    このように役割が違うのですが、仏教が入ってきたばかりの頃、仏は「外国の神」であり、日本の神様と同じように神の一人だと理解されてきたんですね。

    平安時代になるとさらに神仏習合に磨きがかかり、本慈垂迹説という思想が出てきます。

    本慈垂迹説は、「仏は神の真の姿(本地)であり、神は仏が衆生を救済するために姿を変えた仮の姿(垂迹)である」ということです。

    つまり、神様の本当の正体は仏であって、その仏のことを本地仏といいます。
    日吉大社に祀られている神様にはそれぞれ本地仏がいます。

    それとは逆に、本地仏の仮の姿である神様は「権現」と呼びます。
    ()りに現われる」という意味です。

    上七社の本慈垂迹の関係はこのようになっています。

    社殿 神名 本地仏 権現名
    西本宮 大己貴神 釈迦如来 大比叡権現(大宮権現)
    東本宮 大山咋神 薬師如来 小比叡権現(二宮権現)
    宇佐宮 田心姫神 阿弥陀如来 聖真子権現
    白山宮 白山姫神 十一面観音 客人権現
    樹下宮 鴨玉依姫神 地蔵菩薩 十禅師権現
    牛尾宮 大山咋神荒魂 千手観音 八王子権現
    三宮宮 鴨玉依姫神荒魂 普賢菩薩 三宮権現

    省略しましたが、中七社、下七社にもそれぞれ本地仏、権現名があります。
    みんな合わせて山王権現と呼びます。

    ヒーロー名みたいですね^^

    ご朱印

    日吉大社にはご朱印がたくさんあります。
    代表的なのは「山王総本宮 日吉大社」と書かれたご朱印ですが、山王七社それぞれの御朱印もあります。
    こんな感じ。

    日吉大社 ご朱印

    写真は「総本宮」と「東本宮」の御朱印ですが、西本宮、宇佐宮、白山宮、樹下宮、牛尾宮、三宮宮それぞれがあります。

    さらに、日吉大社の公式サイトによると、山王七社の権現名の御朱印もあるようです。
    つまり、これだけで15種類あるんですね^^

    そして、総本宮の御朱印は、金の御朱印(500円)もあります。
    これを足すと、全部で16種類!
    かなりの多さです^^;

    日吉大社にはオリジナルの御朱印帳もあります。
    これで左側に社名、右側に権現名みたいに集めたいですけど、お金かかりますね(≧▽≦)

    ひとまず私は、金の御朱印を頂きました。

    日吉大社 ご朱印

    こちらは別紙で用意されているタイプの御朱印ですが、日付はその場で書いてくれました。
    このタイプの御朱印で日付を入れてくれるのは初めてですね♪

    そしてこちらがオリジナルの御朱印帳。

    日吉大社 ご朱印帳

    左側は、日吉大社のシンボル、山王鳥居をモチーフにしたご朱印帳でなかなか良いのですが、右の御朱印帳のコンセプトもなかなかです^^

    日吉大社 ご朱印帳

    巫女さんがデザインしただけあって、女性に喜ばれそうですね♪


    日吉大社は、比叡山と共に発展した神社、ということで、歴史的に大きな影響を与えた神社です。
    なので、つい長々と書いてしまいそうになるので、境内の紹介は別記事にします^^