秘仏 釈迦如来が33年ぶりの御開帳!比叡山延暦寺 西塔 

釈迦堂 御開帳

比叡山延暦寺は敷地が広大で、成立時期の違いから大きく「東塔、「西塔」、「横川」の3地域に分かれます。
東塔と横川については別記事で紹介しています。

今回は東塔から北へ約1キロのところにある西塔です。

観光客で賑やかな東塔と比べて静寂な西塔は、第2代天台座主 寂光大師 円澄によって開かれた地域です。
最澄が描いた延暦寺の堂塔伽藍構想を円澄が引き継いでこの地に伽藍を建てたんですね。

西塔の本堂にあたるのは釈迦堂(転法輪堂)なのですが、2017年は回峰行の祖・相応和尚の一千百年御遠忌にあたる年で、これを記念して10月1日~12月10日の間に秘仏本尊の御開帳が行われています。

本尊は伝教大師ご自作とされる釈迦如来で、三十三年ぶりの一般公開となります。
さらに今回は、内陣特別巡拝をすることができ、普段はみることのできない内陣の四つの社と、そこに祀られる仏たちが初公開となります。

またとない機会ですので、行ってきました^^
こちらは西塔の境内地図です。

西塔 境内地図

比叡山三弁天の一つ、箕淵弁財天

箕淵弁財天

駐車場から巡拝道に入って、最初に出会うのが箕淵弁財天の鳥居。
奥には簡素な社殿が建っていますが、こちらの弁天さんは、東塔の無動寺弁財天、横川の箸塚弁財天と共に比叡山三弁天の一つに数えられるそうです。

名前になにか由来がありそうですが、特に説明されているものはありませんでした^^;

それにしてもここの紅葉は太陽の光の入り方もあってか、別格に綺麗でした。

箕淵弁財天 紅葉

紅葉まつりをしている横川よりも、ここの一角の方がきれいだったんじゃないかと思います。

参拝もしたかったのですが、今回の御開帳イベントもあっていつも静寂な西塔も人が絶えず、ここの前を通る人は必ず立ち止まってカメラを向けるので、参道に入りにくい雰囲気でした^^;

浄土真宗の宗祖 親鸞が20年間修行した地

箕淵弁財天から巡拝受付を通るとすぐあるのが、親鸞聖人修行の地です。

親鸞聖人修行の地

親鸞は貴族である日野家に生まれ、9歳で出家をしました。
そして約20年間、比叡山で修行をしています。
それがここなんですね。

今は何も建物も建っていません。

親鸞聖人修行の地

かつてこの地には聖光堂という建物があったそうです。

親鸞聖人といえば、三十三間堂の横にある法住寺に、親鸞のそば食い木像というものが伝わっています。

親鸞は当時、修行中の身だったので、簡単に比叡山を離れることができなかったのでしょう。
しかし、この木像を身代わりに置くことで、山を下って六角堂まで100日参りで通ったといいます。
この木像は、点呼にも返事をし、師匠の蕎麦のふるまいにも対応、きちんと食べたといいます^^

このようなエピソードがあるのですが、内容の真偽は別としても、六角堂に通っていたことは伝わっています。
つまり、この場所から通っていたということですね。

今の時代なら車で行くことができますが、それでも六角堂までは結構な遠さです。
それを毎日、100日間も通っていたというのは驚きです。
百日回峰行を行っていたようなものですね。

そのすぐ横には、「真盛上人修学之地」と書かれた石碑もありました。

真盛上人修学之地

真盛上人は、比叡山麗にある西教寺を再興させた、天台真盛宗の開祖です。
詳しい説明は何もありませんでしたが、同じ聖光堂で修行をしていたのかもしれません。

弁慶が担いだ伝説が残る にない堂

にない堂

親鸞聖人修行の地からすぐ近くに、同じ形の二棟が渡り廊下でつながったお堂があります。

正面に向かって左側が「常行堂」、右側が「法華堂」、この二棟をあわせて「にない堂」と呼ばれています。
天秤棒のことを「にない棒」というのですが、名前はそこから来ています。

にない堂で有名なのはこの部分。

にない堂 渡り廊下

連結部分となっている渡り廊下です。
ここに弁慶の伝説が残っています。
弁慶はこの西塔出身の僧です。

その弁慶が、この廊下を天秤棒にして担いだというのです!
それで「弁慶のにない堂」とも呼ばれているんですね。

ものすごい力持ちを想像するのですが、それだけではありません。

この廊下の下に肩を入れるには、相当背が高くないといけません。
歩いている人と比べたらこの通り。

にない堂 渡り廊下

意外と高いんですよね。
肩を入れて担ぐほどとなると、おそらく2mくらいの身長はないと無理です。
相当な大男の怪僧が想像できます。

なんでこのように、二つのお堂が繋がっているのか、というと、それは仏教の教えとそれぞれのお堂の役割が関係があります。

まず、正面に向かって右側は法華堂。
普賢菩薩を本尊とし、「常坐三昧」という修行を行う道場です。

西塔 法華堂

正面に向かって左側は常行堂。
阿弥陀如来を本尊とし、「常行三昧」という修行を行う道場です。

西塔 常行堂

この、「常坐三昧」、「常行三昧」は、延暦寺で最も古くから行われている基本的な修行「四種三昧」という四つの修行のうちの二つです。

「三昧」というのは、簡単に言えば一つのことに集中すること。
単なる集中のレベルを超えて、雑念を浮かべることもなく、我も忘れて没頭するような、ものすごく深い集中状態のことです。

延暦寺は、その集中状態で行う修行が四つあるわけですね。
詳しくは延暦寺の公式サイトに書いています。

教学 | 延暦寺について | 天台宗総本山 比叡山延暦寺 [Hieizan Enryakuji]

この修行は、天台宗の基となっている中国天台山、天台大師 智顗(ちぎ) が、自らの体験から体系づけたものです。

「常坐三昧」は、とにかく座り続けるということ。
いわゆる座禅です。

90日間も座り続けるのだそうです。
立つのが許されるのは、2度の食事と用便の時だけ。
睡眠も座り続けたままです。

「常行三昧」は「常に歩く」ということ。
ここでは本尊である阿弥陀如来の周りを90日間、念仏を唱えながら歩くのだそうです。

座ることは許されず、食事も立ったまま。
仮眠をするときは手すりにつかまったり、天井からつり下がっている麻紐につかまって休むそうです。

これはどちらもきつい修行ですね><

これらは独立した修行なので、この二つのお堂を渡り廊下でつなぐ必要はないと思うのですが、あえてつないでいるのは、法華と念仏は一体であるからだと言われています。

西塔の中心地、釈迦堂

にない堂の渡り廊下の下をくぐり、石段を下ると、ひと際大きな建物が出てきます。

西塔 釈迦堂

桁行七間、梁間八間で入母屋造の堂板葺の建物。
西塔の中心地、釈迦堂です。

正式には転法輪堂といいます。

比叡山は織田信長の焼き討ちでほとんどの建物を焼失したのですが、現在の建物は、滋賀県側の麓にある園城寺(三井寺)の総本堂である金堂を豊臣秀吉が移築したものです。

秀吉は寺領を没収するほど園城寺を嫌っていました。
その理由は明らかになっていないのですが、秀吉は比叡山の復興に際して、寺領を没収した園城寺の金堂を解体し、西塔の釈迦堂として移築再建したわけです。
そしてそれが、山内では最も古い鎌倉時代の建造物となっています。

少し高台になっている鐘楼側から見ても、なかなか立派です。

西塔 釈迦堂

よくもまあ、こんな山深いところに園城寺の建物を移築できたなと感心せざるをえませんね^^

延暦寺の三塔、それぞれの中心的なお堂である根本中堂、釈迦堂、横川中堂は、他にはない変わった特徴があります。
それは、内陣がかなり低くなっているということ。

この形式の建築を「天台様式」と言います。

通常のお寺では、参拝者は外陣から内陣にいるご本尊に参拝します。
ご本尊は内陣の一段高い須弥壇の上にいらっしゃって、上から見下ろしている、といった感じですよね。

しかし比叡山のこれらのお堂は、内陣に床をはらず石畳を敷きのまま、釈迦堂では深さが1mほど低くなっています。
(東塔の根本中堂は3m低くなっています)

ご本尊はというと、祀っている厨子が外陣と同じ高さに置かれています。
しかも、外陣の参拝者とほぼ同じ目線の高さにしているんですね。

つまり、私たち参拝者の目の前には深い谷があって、その向こう岸で仏さまがこちらを見ていらっしゃる、といった感じです。

これは仏教の「仏凡一如」の教えを表しているのだとか。
仏も人もひとつ、誰もが仏になれる、ということです。

仏さまは、雲の上の世界から私たちを見ているのではなく、私たちと同じ目線で見ておられるということです。

ただし、凡人からひとたび向こう岸の仏の世界へ行きたいと思うのなら、厳しい修行をしなければなりません。
深くて暗い煩悩まみれの奈落の底を進み、煩悩を克服して這い上がってこなければならないわけです。

釈迦堂 内陣巡拝と秘仏 釈迦如来の特別拝観

釈迦堂 御開帳

いよいよ今回の一番の目的、釈迦堂の特別拝観です!

こちらが今回のリーフレット。

釈迦堂 御開帳

今回は、三十三年ぶりの秘仏に出会えるということもありますが、奈落の底に見立てられる内陣に、一般人である私たちが入ってしまえるという、またとない機会。
奈落の底はどうなっているのか気になりますよね^^

まず、釈迦堂で内陣拝観の受付を済ませると、お坊さんの説明があります。

そして入堂の前に「灑水(しゃすい)」を受けます。
合掌をすると、香水のようにパパッと頭の上からかけてくれるんですね。

これは、煩悩や汚れを払い、その人の仏性を引き出す意味があります。
加持香水(かじこうすい)とも呼ばれ、通常は密教の儀式の前にするものなのですが、今回は一般客にもしてくれます。
ありがたいですね^^

下り坂の内陣に入って、時計回りに進みながら、普段拝むことのできない仏像を参拝していきます。
ただし、後ろからどんどん人が来るので、ゆっくり見れませんでした。

お坊さんの説明は割と長めだったので、説明の間に人が集まって、行列になって内陣に入っていく、という状態でした。

こうなると、御朱印を頂きたい方は並ぶ時間が気になるところですが、今回の特別拝観期間では、直接書いてもらうことはできず、あらかじめ用意されたものになっています。
そんなに並ばないのでご安心を^^

じっくり鑑賞したい方は、行列の最後らへんに並んで入るのが良いかもしれません。

いよいよ内陣ですが、このような仏像配置になっていました。
私の記憶の限りのメモです^^;

釈迦堂内陣配置図

内陣に入ってまず見ることができるのは、内陣中央にいらっしゃる本尊の釈迦如来像。
向かって左側の脇侍に般若十六善神並びに深沙大将もすぐ近くにいます。

本尊の釈迦如来像は、清凉寺式釈迦如来でした。
元祖は嵯峨野の清凉寺にあります。

元祖のものは人の大きさほどあるのですが、こちらは79.3cmと少し小さめ。
肩幅が狭めで少しなで肩ぎみなので、こじんまりとしていました。
ただ、見えるとは言っても、その大きさでそこそこの距離があるので、はっきりとは見えません。
切金模様も美しいそうですが、清凉寺式であることも判断しにくいくらいの遠さでした。

それにしても、この元祖の釈迦如来は平安時代中期に日本にもたらされたもの。
最澄は平安初期の人です。

最澄ご自作にしては時代が合わないなあと思っていたのですが、こちらはやはり鎌倉初頭に作られたものでした。
元々は最澄ご自作の像を祀っていたのでしょうね。

次に出会うのが四天王の一人である持国天。
リーフレットに載っている力強い仏像です。

見ての通りですが、なかなか躍動感のある立派な仏像でした。

釈迦堂は、中央のご本尊を四天王が四隅で守る配置になっているのですが、今回の配置では、入り口付近に持国天、出口付近に増長天はいるものの、広目天、多聞天はおらず・・・
代わりに梵天と帝釈天がいました。

ここでは、梵天と帝釈天が四天王扱いになっているのか?と思ったのですが、広目天と多聞天は国宝に指定されているので、東塔の国宝殿にいらっしゃるのこと。
なので梵天、帝釈天が代わりになっているわけです。

持国天、増長天のように力強く邪気を踏みつけているわけではないのですが、上に静かに立っている感じ。
特に梵天はすらっと紳士的な立ち方でした。

帝釈天は、東寺のものが有名ですが、こちらは四天王に近い形です。
説明がなければ、四天王と言われてもわからないかもしれません^^;

内陣にある四つの祠はすべて小さな祠で、その中に神仏の像が祀られています。

まずは文殊菩薩。
小さな仏像で、そのお姿はどこか弁財天のようにも見えました。

本尊の脇侍にも文殊菩薩がいらっしゃるのに、なぜここにも祀られているのか?

それは、第三代天台座主だった慈覚大師 円仁が中国からもたらした「八字文殊秘法」というものがあって、それを釈迦堂で行ったそうです。
この文殊菩薩はそれを行う時の本尊なんですね。

お次の祠は八所明神。
比叡山に特に縁のある護法神として、伊勢、山王、八幡、賀茂、鹿島、祇園、赤山、熱田の神像が祀られていました。
全て小さいのに細かく作られていて、どこか可愛い雰囲気がありました^^

次は山王七社。
こちらは比叡山の僧の仏道修行を守護する日吉大社の神様、山王大権現です。

日吉大社は他の神社と比べて特殊な神社でして、他の神社だと本殿クラスと並ぶ社殿が7つもあります。
それぞれ7柱の神様を祀っていて、その神様たちを合わせて山王七社、または山王大権現と呼ぶわけです。

こちらも八所明神のように小さな祠にひしめきあっていて、恐れ多い神様なのですが、どこか可愛らしい雰囲気でした^^

最後の祠の元三大師は、比叡山中興の祖、良源のこと。
主に、元三大師が拠点にしていた横川に元三大師信仰が残ります。

良源は、最澄の時代から約150年後の人物なのですが、最澄や円仁など、天台宗を築き上げてきた祖師たちを超えるほどのカリスマ性を持っていた人物です。

比叡山では多くの名僧を生んでいますが、その中で良源だけがここに祀られているのもその証拠と言えますね。
良源は験力に優れていて、比叡山を擁護する約束をして入滅しましたから、比叡山の擁護と正法興隆を願って奉安されているそうです。

内陣はこのような感じですが、全体的に見てみると、護法神がものすごく多いですね。
本尊の左右にも般若十六善神という神がいらっしゃるのですが、これは十二神将と四天王を合わせた十六体の護法神のこと。

十二神将というと薬師如来の眷属なのですが、ここではそれも関係なく警備にあたっています。
ご本尊はこれほどSPをたくさんつけなければならない大事な仏様ということですね^^

このご本尊様、外陣から結縁手綱で結ばれています。
これを手に取り、ご本尊様と結ばれてきました^^

釈迦堂裏の丘の上に立つ仏塔 相輪橖

相輪橖

釈迦堂には参拝者が多く訪れますが、なかなか裏の方まで行く人はほとんどいません。
でも、釈迦堂の左の裏から雑木林を進んだところにも歴史的な建物があるんですね。

それがこの相輪橖(そうりんとう)というものです。
珍しい建物ですね。
中には、法華経や大日経など23部、58巻が納められています。

相輪橖が残っている例は少なく、あとは日光・輪王寺の裏に江戸時代の相輪橖があります。
ただしそちらのものは、細部は錫杖に近いものになっています。

こちらのものは、五重塔などの上の部分の九輪に、柱を付けた形式。
九輪と柱の間には、花弁と音楽を奏でる仏たちがいらっしゃいます。

相輪橖

現在の相輪橖は、明治二十八年に完成した青銅製のもの。
残念ながら古いものは改鋳したときに全部失われたようです。

そもそもは弘仁十一年(820)頃に建てられ始めたようです。
そのあと何度か修理があったのですが、その修理のたびごとに全形が変わり、納められた経典も書き直されています。

その昔のものは金色に輝いていたともいわれていますが、残念ながら残っていないんですね><

信長の焼き討ちを逃れた唯一の建物 瑠璃堂

瑠璃堂は相輪橖よりも奥まったところにあります。
なんと、比叡山ドライブウェイを渡っていくんですね。

相輪橖前の分岐からドライブウェイ方向に下って、車道を渡ります。
そして東塔方向に少し引き返すと、下っていく道があります。

瑠璃堂への道

ここから5分ほどまっすぐ行くと、瑠璃堂があります。

瑠璃堂

質素ですがその中に美しさがありますね。
比叡山では珍しく、禅宗様を主とした建物です。

瑠璃堂

本尊は薬師如来。

西塔自体が山深いところですが、瑠璃堂はさらに奥の辺鄙なところにあります。
そのためだったのか、織田信長の焼き討ちから逃れた唯一の建物として残っています。

それにしても、瑠璃堂への行き帰りは人とすれ違うことが一度もありませんでした。
知る人ぞ知るお堂なのかもしれませんね^^;

ちなみに、以前はここから、法然上人が25年間修業をした黒谷青龍寺へ行けたのですが、崖崩れがあったのか、バリケードが張られ、今は通れなくなっています。

瑠璃堂から黒谷への道

伝教大師 最澄の御廟所にして最も重要な聖域 浄土院

浄土院

西塔の巡拝受付まで戻り、反対側の道を進みます。
程なくして浄土院があります。

浄土院

ここは延暦寺の開祖、伝教大師 最澄の御廟所(お墓)となっている場所です。
比叡山の中では最も清浄な聖域とされているんです。

中に入ると、綺麗に整えられた庭が広がります。

浄土院

そしてこちらが拝殿。

浄土院

雲をイメージするところには彩色が施され、浄土のイメージをかきたてます。

浄土院

中には入れませんので、ここで参拝終わり・・・ではありません。
右側から本堂の裏側に回ってみると、最澄の御廟があります。

浄土院

ここに最澄が眠っているわけですね。
比叡山に来たら、ここは参拝しておきたいですね。

ちなみにこの浄土院は、比叡山で一人前の僧になるための修行「十二年籠山行」を行う道場でもあります。
比叡山の修行として有名な行ですね。

これは最澄が定めた修行方法で、俗世との情報を断って12年間浄土院に籠り、1日も休むことなく定められた日課を行います。
主要な行は「伝教大師が今も存命の如く、日々献膳し、給仕すること」です。

どのような日課があるのか、というと例えば、読経や座禅などもありますが、浄土院の拝殿で毎日三千回の五体投地礼を繰り返したり、といったものもあります。
これは大変そうですね><

浄土院での修行は「掃除地獄」とも言われていて、とにかく掃除に没頭するものもあり、浄土院の内外は掃き清められています。
だから浄土院周りはきれいなんです。

これを12年間行う修行僧を「侍真僧(じしんそう)」といいます。

この修行は、歴史に出てくるような鎌倉新仏教の宗祖となった名僧たちのほぼすべてが通ってきた道なのだそうです。
今も同じ修行を積んでいる僧がいるわけですね。

御朱印

釈迦堂で頂いた御朱印です。

比叡山延暦寺 釈迦堂 御朱印

今回は特別に御開帳記念の印が押されています。
ただ、混雑回避のため、御朱印帳に書いてもらうことはできません。
あらかじめ用意された、貼るタイプの御朱印のみとなります。

本来なら、箕淵弁財天の御朱印もこちらで受け付けていると思うのですが、今回は書き御朱印を受け付けていなかったので、もらえませんでした。
またの機会に頂こうと思います。


今回は黒谷青龍寺も行こうと思っていたのですが、横川と西塔を朝早くから周っても間に合いませんでした。
比叡山はさすがに広いですね^^;
とても1日では周りきれません。

比叡山 延暦寺のアクセス情報

正式名称 比叡山 延暦寺
TEL 077-578-0001
住所 滋賀県大津市坂本本町4220
開門時間 【東塔地区】
3月~11月:8:30~16:30
12月:9:00~16:00
1月~2月:9:00~16:30

【西塔・横川地区】
3月~11月:9:00~16:00
12月:9:30~15:30
1月~2月:9:30~16:00
電車・バス
  • 滋賀県側より】JR線・京阪電車・坂本ケーブル利用
  • 【京都府側より】京阪電車・叡山電鉄・八瀬ケーブル利用
  • 【京都府側より】JR京都駅・京阪三条駅・京阪出町柳駅より比叡山頂行き乗車→延暦寺バスセンター下車
  • 西塔・横川へは延暦寺バスセンター(東塔地域)から山内シャトルバスを利用。ただし、冬季期間(12月上旬~3月下旬)は運休
  • 下鴨大津線・山中越え途中より比叡山ドライブウェイ(有料)を利用
  • 大津市仰木・琵琶湖大橋側より奥比叡ドライブウェイ(有料)を利用
駐車場 無料(比叡山ドライブウェイ・奥比叡ドライブウェイは有料)
拝観料 【東塔・西塔・横川共通券】
大人:700円
中高生:500円
小学生:300円
公式サイト http://www.hieizan.or.jp/

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