須賀神社

京都の平安神宮の北側、聖護院門跡の斜め向かいにある須賀神社は、縁結びの社で知られる神社です。
須賀神社の御祭神は、日本神話にも出てくる夫婦神、

  • 健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
  • 櫛稲田比賣命(くしなだひめのみこと)

です。

スサノオノミコトは御存知の方も多いと思いますが、ヤマタノオロチを退治した勇ましい神様ですね。
クシナダヒメは、ヤマタノオロチにいけにえにされそうになっていたところ、スサノオノミコトに助けられた女神です。

スサノオノミコトはヤマタノオロチを退治した後、クシナダヒメを妻として、出雲の須賀で末永く暮らしました。
「須賀神社」という名前はここからきているようですね。

このような神様が祀られていることから、縁結び・夫婦円満・家内安全・安産のご利益があるわけです。

そんな須賀神社ですが、縁結びイベントとして注目な日が、2月2日の節分前日祭2月3日の節分祭です。
この2日間しか現れない懸想文(けそうぶみ)売りが出没します。

節分の日限定のお守り、懸想文

須賀神社 懸想文売り

烏帽子に水干姿で顔を隠している人は、怪しい人ではありません^^;
2月2日、3日のみ須賀神社に現れる懸想文売りです。

懸想文売りは二人いて、この日は女性参拝者がこの二人に集まってくるのです。

須賀神社 懸想文売り

群がる女性達が求めているのは、こちらの懸想文(けそうぶみ)というお守り。

須賀神社 懸想文

中身は昔風の和歌で書かれたラブレターになっています。
決して懸想文売りが個人的に数打ちゃあたるで渡しているものではありません^^;

これを授与した方は、他人に知られないように鏡台やタンスの引き出しに入れておくことで、顔、かたちが良くなり、着物が増えて良縁があるのだそうです。

頂きにくるのは女性が多いですが、良縁だけでなく商売繁盛なども叶える願望成就の神札なので、、女性に限らず男性が頂いてもOKなのです。

そもそもこの懸想文と、それを売る懸想文売りは何なのでしょうか?
そのルーツは平安時代にさかのぼります。

懸想文のルーツ

日本の識字率は、江戸時代頃にはかなり高かったのですが、平安時代はまだまだで、読み書きができるのは学問に長けている公家くらいのものでした。
その公家達が書いていたラブレターが「懸想文」です。

そして「懸想文売り」の正体も、実は公家の方々。

これは、生活に困窮した下級の公家達が始めたラブレター代行業だったんですね。
しかし身分もプライドも高いのが貴族ですから、素性が知られないよう顔を隠していたんです。

次に、江戸時代になると、京の風俗行事としてこの「懸想文売り」が流行します。
その時の姿が上の写真のような、烏帽子をかぶって水干を身にまとい、文を付けた梅の木の枝を持った姿だったのだそうです。

この風習は明治になって廃れたのですが、第二次大戦後、須賀神社が節分の2日間だけ復活させたのです。

懸想文の授与は1,000円。
どのような内容が書かれているのか気になる方は、節分の日に須賀神社を参拝して、購入してみて下さい^^
懸想文売りから直接購入できます。

節分限定、須賀多餅

須賀多餅

節分祭のもう一つの名物がこの須賀多餅

須賀神社の境内に入ってすぐのところで、大徳屋本舗という和菓子屋さんが販売しています。
餅は1個150円で、その横に豆茶の無料接待があって、一緒に頂くことができました。

須賀多餅

この餅は、大徳屋本舗の店主が、災厄を祓い家庭円満を授けてくださる須賀神社の尊さを感じて作ったのだとか。
餅を包んでいる紙にそのようなことが書かれていました。
(あまりに達筆に書かれているので、全文は読めませんでした^^;)

須賀多餅 説明

餅の種類は2種類。
柚子餡と梅餡があります。

須賀多餅

写真で見るとわかりにくいですが、サイズは小さくてかわいい感じです。
中身はこんな感じで、こし餡がぎっしり詰まっています。

須賀多餅

食べてみると、つるんとした牛皮のやわらかさともっちりとした食感、そしてそれぞれ梅の香り、柚子の香りがほどよく広がります。

一口サイズと小さいのに150円もするので、どうなんだろう?と思ったのですが、1個から買えますし、試しに2つ買っても300円なので、一応買ってみると納得の味でした^^
結構美味しいです♪
ちょうど一緒に頂ける豆茶に合うんですよね♪

お土産用のパックも販売されていて、買いに来る人が結構いました。
節分が休日と重なる日だと、早々に売り切れ終了してしまうほどなのだそうです。

販売は節分祭の2日、3日の2日間限定です。

須賀神社の御朱印

須賀神社の御朱印です。

須賀神社 御朱印

「西天王」と書かれていますが、これは由緒が関係しています。
創建当時は現在の平安神宮の境内になっているところに鎮座していて、「西天王社」と呼ばれていたんです。

「天王」というのは、スサノオノミコトの別名、牛頭天王(ごずてんのう)のことです。

「須賀神社」という名前の神社は全国にいくつかありますが、冒頭で紹介したように、その名前の由来はスサノオノミコトに関係しています。
なので、明治の神仏分離が行われる前までは、須賀神社の多くは「牛頭天王社」と称していました。

京都の須賀神社は「西天王社」と呼ばれていたわけですが、「西」に対する「東天皇社」は、現在の岡崎神社であると伝わっています。

須賀神社にはもう1つ、御朱印があります。
それが、交通神社の御朱印。

須賀神社 交通神社 御朱印

交通神社の神様は、その名の通り、交通安全の神様。
三柱の神様が祭られています。

  • 久那斗之神(くなどのかみ)
  • 八衢比古命(やちまたひこのみこと)
  • 八衢比売命(やちまたひめのみこと)

です。
この三柱の神様は、平安時代に朝廷が京都の四隅の路上で、妖怪などの侵入を防ぐために行っていた道饗祭(みちあえのまつり)で祭られていた神様です。

久那斗之神は、人里の入り口などで侵入してくる魔物を防ぎます。
八衢比古命と八衢比売命は道路の守り神で、人々の無事の通行を守護してくれます。

交通神社は、須賀神社本殿の同じ建物で、須賀神社の神様のすぐ横で祀られています。


須賀神社の境内は小さいので、参拝はすぐ終わってしまいます。
でも、すぐ斜め向かいに聖護院門跡があったり、南に下ると平安神宮、北に行くと吉田神社、東に行くと金戒光明寺など有名な神社仏閣がたくさんあります。

特に節分の日はいずれも盛大に行事を行っていますので、合わせて行ってみると良いですね^^

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