仁和寺 御室桜

京都市の中心部から北西方向に「御室」という地域があります。
かつて御室一帯は、景勝地として多くの王朝貴族が別荘を構えたところです。

そこにあるお寺が、真言宗御室派の総本山、仁和寺(にんなじ)です。
世界文化遺産にも登録されているお寺で、遅咲きの御室桜で有名なお寺ですね^^

※御室桜については別記事で書きました。

仁和寺は、創建から明治維新まで、歴代の皇室や宮家の方々が住職を務めた格式高い門跡寺院で、その中でも筆頭の立場にあります。

塔堂伽藍は応仁の乱でほとんどを失ってしまいましたが、江戸時代に徳川幕府によって再建されました。

今でも、皇室ゆかりのお寺らしい雅なたたずまいを残していて、ゆったりと落ち着いた気持ちの良さを味わえるお寺となっています。

仁和寺の創建

仁和寺の創建は、第58代光孝天皇が両親の霊を弔うお寺を造りたいと発願したのがきかっけです。

その際に、御所から西方にあるこの地を選んだのですが、それは西方にある極楽浄土の主、阿弥陀如来に極楽往生を願うためだったと考えられます。
ご本尊は阿弥陀如来ですし、創建当初のお寺の名前に「西山御願寺」と名付けていることからも伺えます。

ただ、光孝天皇はご高齢な天皇だったので、工事半ばで崩御されてしまいました。
そこで後を引き継いだのが、息子の宇多天皇です。

ちなみに宇多天皇は、天神さんでおなじみ、菅原道真を重用した天皇さんです。

お寺が完成した仁和4年(888年)、宇多天皇は父・光孝天皇の面影を象った阿弥陀如来を祀り、父の一周忌法要を行います。
その時の年号を取って仁和寺というお寺になりました。

現在の境内はこのようになっています。

仁和寺 境内図

結構広いのですが、応仁の乱が勃発する前までは、東西8キロ、南北4キロの中に約70もの塔頭寺院(子院のこと)が散在していました。
いわば「御室」と呼ばれるあたり一帯が仁和寺の寺領だったわけです。

京都三大三門にも数えらえる、重厚な「二王門」

仁和寺 二王門

嵐電の御室仁和寺駅から歩いて3分、仁和寺の入り口にたどり着きます。
その入り口になっているのがこの大きな二王門です。

かつては知恩院、南禅寺と並んで、京都三大三門に挙げられていました。
(最近、東本願寺の方が大きいことが判明したので、東本願寺に取って代わられてしまいました^^;)

江戸時代の寛永14年(1637)から正保元年(1644)にかけて造営されたものです。

知恩院と南禅寺の三門は禅宗様なのに対し、仁和寺の門は和様でまとめられています。

平安時代の伝統を受け継いでいる証ですね。

左右にはちゃんと仁王さんが門番をしていらっしゃいました。

仁和寺 仁王門

仁和寺 仁王門

宮廷のたたずまいを今に伝える「御殿」

この辺りが「御室」と呼ばれるようになったのは理由。
それが、仁和寺の「御殿」と呼ばれる場所にあります。

上の地図を参考にするとわかると思いますが、南側にある二王門をくぐって、すぐ左側にある一帯です。
ここは元々宇多天皇のが出家した後、住居としていた場所でした。

宇多天皇は、藤原氏との軋轢もあって、天皇の位を第一皇子である醍醐天皇に譲り、東寺で出家します。
歴史上初めての法親王、つまり法皇の誕生です。

そして、仁和寺の一廓に、自身のお住まいとなる僧房を建て、移住しました。

「御室」というのは、高貴な人のお住まいのこと。
その高貴な方が天皇だったので、「御室御所」となりました。

それがそのまま地名となったわけです。

それ以来、御殿には明治維新まで約1,000年、30代にわたって代々の皇室、宮家の方々が仁和寺の住職である「門跡」となってここに住みました。
※「御門の跡」ということで「門跡」といいます。

御殿には、白書院、宸殿、黒書院、霊明殿などがあって、全てが回廊でつながっています。

仁和寺 御殿 回廊

下の写真は、御殿の中心的建物、宸殿です。

仁和寺 宸殿

※今回は寝殿の表の檜皮の工事をしていたので、残念ながら裏から撮っています。

現在の宸殿は大正3年に建てられたもの。

江戸時代の復興では、御所から賜った常御殿が当てられていましたが、明治20年に大きな火災があって焼失、その後復興したものです。

この時に色々な時代の建築様式を知り尽くした建築技術者によって再現されました。

そのため、建物の構成全体は宸殿造り、細部に目をやると、平安時代の細部衣装や鎌倉時代の曲線など、いろいろなデザインが散りばめられています。

宸殿造りというと、大きなワンルームで天井がなく、屋根がどっしり乗っている、という感じなのですが、この建物は内部は書院造になっています。

仁和寺 宸殿 書院造

書院造は現代の和風の部屋につながる様式ですので、日本人にとってなじみ深い造りですね。

宇多天皇の掛け軸が貼られている部屋。

仁和寺 宸殿 書院造

この部屋だけ、折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)という、最も格式が高い天井になっています。

仁和寺 宸殿 書院造

宸殿につながる南庭。

仁和寺 宸殿 南庭

御所の庭を彷彿させる南庭で、向こうに見える門は勅使門となっています。
今でも皇室や宮家の方はこの門を使うそうです。

そして御殿内で特に必見なのが、宸殿の裏側にある室町時代初期の庭、北庭。

仁和寺 宸殿 北庭

緑豊かで、池の向こう側には茶室・飛濤亭と、その奥には五重塔が見えます。

仁和寺の庭は、縁側に座ることができますので、ここで座ってゆったりしている人や、絵を描いている人などがいました。

仁和寺 宸殿 北庭

この場所はとても気持ち良い空間になっていますので、長く居たくなる場所ですね^^

そして、御殿の一番奥には、仁和寺の歴代門跡に持念仏として拝まれてき薬師如来坐像が安置されている霊明殿があります。

仁和寺 霊明殿

この薬師如来坐像は国宝に指定されていて、大きさはわずか10.7cm。
中をのぞくと、遠くの方に薬師如来座像が見えるのですが、肉眼ではなかなか見えません。
双眼鏡か単眼鏡が必要ですね。

時代劇にもよく登場する「五重塔」

仁和寺 五重塔

御殿を出て、二王門から真っすぐ伸びる参道を進むと、五重塔が見えてきます。
塔身32.7m、総高36.18m。

実は、時代劇に出てくる五重塔のほとんどは仁和寺の五重塔なんです!

この五重塔は江戸時代の寛永21年(1644年)建立なのですが、五重塔が映るような時代劇は江戸時代が多いのです。
だからこそ、その時代の感じが良く出ているこの塔が選ばれるんですね^^

江戸時代っぽい、というのはどういうものか?

それが一番わかりやすいのは、上層から下層まで、屋根の幅にあまり差がないということです。

それより古いものは、上に行くほど屋根が小さくなります。
他の五重塔を見る機会があったら、その辺と作られた年代を見てみると面白いです^^

そして五重塔のすぐ近くには御室桜の庭があるのですが、そこからは御室桜と五重塔をからめた写真が撮れるスポットがたくさんあります!

五重塔 御室桜

五重塔 御室桜

五重塔 御室桜

ぜひ桜の季節に訪れてみることをおススメします。
御室桜は遅咲きの桜なので、例年だと見頃は4月10日から一週間前後です。

御室桜の記事を別記事にしました。

また、仁和寺は紅葉も有名ですので、その時期になると、御殿の方から紅葉と一緒に撮れたりしますので、秋に訪れてみるのも良いですね。

現存する最古の御所建築「金堂」

仁和寺 金堂

仁王門から参道を真っすぐ進んだ先には、仁和寺の伽藍の中心をなす金堂があります。

この建物は、実は江戸時代初期の慶長年間に建てられていた御所の紫宸殿を移築したものです。

紫宸殿は、天皇が即位の儀式や公式の儀式を行うという、最も格式が高い、御所の中でも中心的な建物です。
仁和寺の金堂は、現存最古の紫宸殿の外観を今に伝えているのです!
そのことから、国宝にも指定されています。

今の京都御所にある紫宸殿と比べるとそっくりなんです^^

なぜそれが仁和寺の金堂に使われることになったのでしょう?

かつて御所の建物は、天皇が代わる度に建て替える習慣がありました。
古いものは、どこかに貰われていきます。

徳川幕府は、応仁の乱で荒廃した多くの神社仏閣の復興援助を行っていますが、その中でも仁和寺は門跡寺院筆頭であるという関係で、紫宸殿の建物が選ばれているわけです。

ただし、今の金堂は屋根が新しくて古さを感じません。
実は紫宸殿の頃は、おそらく屋根が檜皮葺でやわらかな印象の建物だったと考えられています。
それを金堂とする際に瓦葺にすることで重厚感を持たせています。

紫宸殿の建築の特徴もいくつか見ることができます。

まずはきらびやかながらも気品に満ちた金具類。
よく見ると、天皇家の家紋である菊の御紋も施されています。
御所建築だった証ですね。

金堂 金具

そして建具の蔀戸(しとみど)

仁和寺 蔀戸

戸が閉じられているのでわかりにくいのですが、格子状になっている部分が蔀戸です。
下の写真は、後醍醐天皇を祀る天龍寺 多宝殿の蔀戸。

天龍寺 蔀戸

蔀戸はこのように上にあげ、天井からぶら下がる金具に引っ掛けて窓を開けます。

寝殿造の南側の窓は、蔀戸が使われているのが特徴の一つです。

後醍醐天皇の吉野行宮時代の紫宸殿の様式ということで、宸殿造になっています。
蔀戸を開けるときは、写真のように上から吊るように開けます。

屋根をささえる垂木は「三軒」といって、三段になっているのも紫宸殿の建築の特徴を引き継いでいます。

仁和寺金堂 三軒

このような特徴が金堂の洗練された優美さを演出しているんですね^^

創建当初の阿弥陀如来が安置されている霊宝館

金堂内部には、阿弥陀如来が安置されています。
仁和寺は真言宗ですので、密教寺院で阿弥陀如来が祀られているのは珍しいですね。

しかし、このお寺が創建された目的は、光孝天皇が両親の霊を弔うため、というものでした。
なので創建当初から金堂では阿弥陀如来が祀られているわけです。

阿弥陀如来は、亡くなった方の供養する仏様です。

とはいえ、現在金堂に祀られている阿弥陀如来は、後の時代に制作されたもの。
応仁の乱ではこの地が激しい戦の舞台になっていまして、仁和寺は伽藍のすべてが焼き払われる大惨事に見舞われていますからね^^;

とおもいきや、実は創建当初の阿弥陀如来とその両脇侍像、実は国宝に指定されていて、まだ残っています!
それが見られるのが、仁和寺の霊宝館です。

仁和寺 霊宝館

僧侶たちは命からがら仏像や聖典を守ったといいますから、ご本尊は真っ先に持ち出されたのでしょう。

霊宝館は春と秋のみ公開されます。
国宝の阿弥陀如来像のほか、仁和寺が有する仏画や経典、書跡も公開されています。

これらを見ることができるのも、当時守ってくれた僧侶たちのおかげですね^^

仁和寺の御朱印

仁和寺にはいくつか御朱印があります。

  • 旧御室御所
  • 本尊 阿弥陀如来
  • 京都十三仏巡り 第九番札所
  • 弘法大師
  • 近畿三十六不動尊霊場第十四番札所
  • 仁和寺ご詠歌
  • 薬師如来(毎月8日限定)

私は御室桜満開の時期に訪れたのですが、この時期は込み合うため、複数の御朱印は遠慮するようにお寺からアナウンスがありました。

なので今回は本尊 阿弥陀如来の御朱印のみ頂いています。

仁和寺 阿弥陀如来 御朱印

仁和寺は真言宗十八本山の札所でもありますが、その場合もこの御朱印になっています。

仁和寺には御朱印帳もいくつかあります。

仁和寺 御朱印帳

御室桜、二王門、菊の御紋。
いずれも仁和寺を象徴するモチーフになっています。

御室桜の御朱印帳は、女性に人気ありそうですね^^

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