空海、最澄の名を世に知らしめた真言宗の古刹 高尾山 神護寺

神護寺

京都市北西部、中心地からちょっと離れた高雄山の中腹にある神護寺。
京都の紅葉の名所の一つとして有名ですね。

このお寺は、平安初期に活躍した名僧「弘法大師 空海」と「伝教大師 最澄」ゆかりのお寺で、真言宗、天台宗の興隆に大きく貢献したお寺でもあります。

唐から戻ってきたばかりの空海は、天皇に謁見できるようになるまで14年間もここに住持しており、最澄はここで南都七大寺の第一級の学僧に法華経の講義を行ってその名を初めて世に轟かせました。

密教の神髄を学んできた空海が、最澄に潅頂を授けたのもこのお寺での話です。

さらに神護寺には教科書にも載っている伝・源頼朝像や、五つの智恵を表す五大虚空蔵菩薩など、国宝・重文クラスの文化財が多数伝わっています。

仏教史の面でも、文化財の面でも重要なお寺ですね^^

私が訪れたのは10月9日。
紅葉にはまだ早いですが、五大虚空蔵菩薩御開帳に合わせて行ってみました。

駐車場から入り口の楼門まで 参道は約400段の石段

駐車場

神護寺は境内は広いのですが、専用の駐車場はありません。
すぐ近くに高雄観光ホテルの駐車場がありますので、そちらが最寄りの駐車場になります。

料金は、普通車で500円。
紅葉シーズンの時は混雑するようですが、五大虚空蔵菩薩御開帳の時は休日にも関わらず人がまばらで、いつ来ても停められる感じでした^^

また、少し遠いですが、高山寺の駐車場は無料(紅葉の季節は有料)ですので、そこから歩く人もいるようです。

ここから歩いて200m、駐車場と高雄山の間を流れる清滝川にかかる高雄橋にたどり着きます。

高雄橋

この日は早朝まで雨だったので、清滝川は濁流になっていました。

清滝川

橋を渡ると、参道の入り口です。

神護寺 参道

ここから石段になるのですが、その段数は約400段、しかもちょっと急です><

神護寺 階段

途中で休み休み登っていたら大したことないのですが、お年寄りは大変かもしれません^^;

途中、高雄茶屋や硯石亭というお食事処やお茶屋さんが並びます。

粉から作るうどんが食べられるお店で、京都名物のにしんそばも提供する高雄茶屋。

高雄茶屋

紅葉の名所にちなんだ名物茶菓子「もみじ餅」と抹茶がいただける硯石亭。

硯石亭

硯石亭の向かいには、お店の名前となった硯石があります。

硯石

上の方がくぼんで水がたまるので、硯のようになっているんですね。

硯石

この硯石には弘法大師の伝説が伝わっています。

弘法大師は筆が上手なことで有名ですが、神護寺に住持している時、天皇が勅使を通じて「金剛定寺」の門額を書くよう、依頼があったそうです。
しかし、五月雨で橋が流されて、勅使が川を渡ることができなくなっていたのです。

そこで空海は対岸に額を立てかけてもらい、この石を硯として筆に墨を含ませ、額に筆を投げました。
すると、額には見事「金剛定寺」という文字が書かれたのだそうです。

そのお寺の扁額、見たいですよね^^
でも残念ながらこのお寺は現存しないのだそうです。

硯石を過ぎるとまもなく神護寺の入り口の楼門が見えてきます。

神護寺 楼門

紅葉の時期はきれいになりそうな感じですね^^

楼門は江戸時代の寛永6年(1629年)頃のもので、持国天と増長天の二天を安置しています。

神護寺 持国天 神護寺 増長天

鎌倉時代に描かれた神護寺絵図によると、以前はここには中門が建っていたようです。
そして運慶による二天王像と八大夜叉像が建っていたそうです。

しかし神護寺にも荒廃の時期がありますし、応仁の乱の影響を受けていますので、その時に焼失したのかもしれません。
なので現在の門は江戸時代の門となっています。

運慶の仏像が残っていれば、この楼門も名所となっていたでしょうね。

楼門から先は有料エリアで、大人は600円。
ここからは横に広がった空間になっています。

神護寺 境内

金堂に行くときにはちょっと頑張って階段を上らなければいけませんが、ここまでちょっときつい登り道でしたからちょっとほっとしますね^^

平安遷都の立役者、和気清麻呂

和気清麻呂廟

神護寺を語るうえで外せない人物は、最澄と空海以外にあと2人います。
和気清麻呂(わけのきよまろ)文覚上人です。

上の写真は、楼門をくぐってすぐの場所にある和気清麻呂廟ですが、境内の裏手の森の中に入っていったところには、和気清麻呂の墓もあります。

和気清麻呂墓

奈良時代末期から平安時代初期の貴族文官で、天皇への忠義に篤く、平安遷都を先導した立役者です。

神護寺の開基(創立した人)はこの、和気清麻呂なんです。

清麻呂は、現在の神護寺の場所に私的なお寺(和気氏の氏寺)、高雄山寺を建てます。
同じころに河内国に、国家安泰を祈願する神願寺を建てます。

後にこの2寺が合併して現在の神護寺となったのですが、清麻呂が国家安泰を願ったのは道鏡(どうきょう)の存在があったからです。

道鏡は、奈良時代の法相宗の僧で、奈良時代終わり頃の女帝、孝謙上皇(後の称徳天皇)の寵愛を受け、僧侶でありながら政治にまで参加していた人物です。
当時、太政大臣だった藤原仲麻呂が乱(恵美押勝の乱)をおこして政権を奪取しようとしましたが、失敗に終わり、道鏡はますます調子に乗ってしまいます。

そしてとうとう、自らが皇位につこうと企み、

「道鏡が皇位につけば、天下泰平が訪れると宇佐八幡大社からお告げがあった」

と、称徳天皇に奏上するんですね。

その神託の真偽を宇佐八幡に確かめに行ったのが和気清麻呂。

しかし本当の神託は、

「皇位継承者には必ず皇族から立てよ」

というものでした。
これを天皇に奏上して、道鏡の企てを未然に防いだのです(宇佐八幡宮神託事件)。

奈良時代の後半は、南都の僧侶の力が大きくなってきていましたし、また道鏡のような危険な僧侶が出ては国が危ないということで、遷都が考えられましたが、その責任者となったのが、和気清麻呂なんですね。

和気清麻呂は、今でこそマイナーな歴史上の人物ですが、戦前は楠木正成と並んで二大忠臣として有名な存在で、明治~戦前にかけて十円紙幣の肖像にもなっています。

高雄山寺に14年間も住持していた弘法大師 空海

神護寺 大師堂

神護寺の境内には、明王堂や五大堂、毘沙門堂などがありますが、いずれも固く閉ざされ、寂しい感じになっています。
そういう一角の中にあって、同じように閉ざされているものの、他と違う雰囲気を放つ建物がありました。
それが上の写真の大師堂です。

桃山時代の建築で、杮葺きで全体的に低く、質素な感じなのですが、なぜか目を引きます。

実は空海は、高雄山寺にいた時に、ここで14年間も住んでいたんですね。

空海は遣唐使として唐にわたり、密教を学んできたのですが、朝廷からは20年間の留学を命じられながら、密教を急ぎ日本に伝えるため、わずか2年で帰国します。

しかしこの当時、朝廷の勅命を破ることは死罪にされてもおかしくない重罪でした。
なので当然ながら入京は許されません。

そういう理由から、帰国してからの空海は、太宰府などに駐留していたんですね。

そんな折に平城天皇が病で退位し、嵯峨天皇が即位。
嵯峨天皇の時代になってから入京が許可されたんです。

そこで、入唐僧が多数集まる高雄山寺に入ったんですね。
それから14年間、高野山に移るまでここで住持したんです。

その間に東寺や東大寺の別当職を務めたり、それ以外にも色々と活躍をしていますので、真言宗は高雄山寺を拠点にして育まれたと言っても良いかもしれませんね。

現在の大師堂は、普段は閉ざされていますが、鎌倉時代作の板彫弘法大師像が厨子の中に安置されていて、11月1日~7日に特別公開されます。

神護寺が発祥の地!絶景の景色で、かわらけ投げ

大師堂の近くには、鬱蒼とした森の中に入っていける道があります。

神護寺 地蔵院

ここから先にあるのは、地蔵院。
遠そうに見えますが、そんなに遠くありません^^

こちらが地蔵院。

神護寺 地蔵院

神護寺の塔頭寺院の一つで、ここで祀られる地蔵菩薩は「世継ぎ地蔵」と称されて、子授けを願う人の信仰を集めています。
ただ、お堂は相変わらず閉まっていますね^^;

この地蔵院のそばには、名物となっている場所があります。
それがこちら。

神護寺 かわらけ投げ

深い谷に清滝川が流れる、圧倒されるような見晴らしの良い景色。
高低差は90mもあるそうです。

神護寺 かわらけ投げ 景色

ここでは、この壮大な景色に向かってかわらけ投げというものができます。

神護寺 かわらけ

「かわらけ」というのは、瓦で作った()のこと。
「笥」は素焼きの土器のことです。

かわらけ投げは、厄よけなどの願いを掛けて投げるのですが、それは神護寺が発祥とされているんですね。

かわらけは近くの売店で2枚100円で販売されています。

売店のおばちゃんが投げ方を教えてくれるのですが、フリスビーを投げるようなフォームで、手首を使って下に向けて身を任せるように投げるのだそうです。
自分で上に投げようとすると逆に風のあおりを受けてしまうんですね。

うまくいけば川を挟んだ隣の山まで飛ばせるそうですが、私は途中でブーメランのように曲がってしまい、川のあたりに落ちました。

それでも滞空時間が長く、結構な距離を飛んだので、かなり気持ちよかったです。
ついもう一回やりたくなってしまう厄除けですね。

国宝第二号!神護寺の中心堂宇、金堂の本尊 薬師如来

大師堂のある中心地に戻ると、高台になっているところがあります。
石段を上ると、金堂があります。

神護寺 金堂

神護寺 金堂

間口が20mもある大きなお堂で、内陣の須弥壇中央の厨子には、御本尊の薬師如来(国宝)、日光・月光菩薩(重文)、十二神将・四天王が並び立っています。

注目はやはり、御本尊の薬師如来。

神護寺 薬師如来

平安時代初期の仏像で、太秦広隆寺の弥勒菩薩像に続いて国宝第二号です。

カヤの木の一本造りで、重厚感があって、顔は優しいというよりも威厳に満ちています。
なかなかの美仏ですね^^

薬壺を持つ手が高めになっているのも特徴的ですが、こちらは後補のものです。

他にもこの像の特徴として、「立っている」ということも挙げられるそうです。

立っている像といっても珍しくないように思えますが、実はこの像以前の如来像は座っているのが一般的だったのだそうです。
この像や、唐招提寺の仏像群が造られて以降に主流となったんですね。

つまりこの像は、立ち如来のさきがけ、ということですね^^

多宝塔の五大虚空蔵菩薩

神護寺 多宝塔

金堂の裏から少し登ったところに多宝塔があります。
ここは普段は閉ざされているのですが、春と秋の2回だけ御開帳されます。

神護寺 多宝塔

ここで祀られているのは五大虚空蔵菩薩

虚空蔵菩薩が5体並んでいるんですね^^
中は撮影禁止ですので、「魅惑の仏像19 五大虚空蔵菩薩」という本の写真を撮りました。

神護寺 五大虚空蔵菩薩

持物などは違いますが、同じ仏である虚空蔵菩薩が5体並んでいるのも珍しいですよね。
この並びの像で五体が完全に揃っているものは、神護寺の他に東寺の観智院の五大虚空蔵菩薩(重文)が有名ですが、神護寺のものは現存最古のものとなっており、国宝となっています。

虚空蔵菩薩は、知恵と福徳の象徴とされている仏様。
仏教では宇宙のことを(くう)と言うのですが、その宇宙の内部空間を虚空(こくう)と言います。

つまり、宇宙空間いっぱいの広大無辺な知恵と福徳を持った仏様なんですね。

若き頃の空海は、「虚空蔵求聞持法」という修法を行っています。
この修法は、虚空蔵菩薩の御真言を百万遍唱えるというもので、修得すればとてつもない記憶力を得られるそうです。

空海はこの修法を取得して唐に行っていますので、短い期間で密教を会得したんですね。

このような知恵と福徳を持った仏様なのですが、一個人の願いだけでなく、国家・万民という大きな願いの時は、「五大虚空蔵法」という祈願を行うと効果的といわれていました。

虚空は1つですがあまりにも広大なので、その法力を5つに分けて専門化することで最高のパフォーマンスを得よう、ということです。

そのような理由から五大虚空蔵菩薩は5尊の姿に変身しているわけです。
5尊揃って御本尊なんですね。

また、真言宗の金剛界曼荼羅には中央に五智如来が描かれていますが、五大虚空蔵菩薩は五智如来の変化身ともいわれています。

なので五智如来を拝むのと五大虚空蔵菩薩を拝むのも同じなのですが、特に宝ものを与えてほしいときは五大虚空蔵菩薩に祈願するのが効果的なのだそうです。

この五大虚空蔵菩薩は、現在は一直線に並んでいますが、元々は曼荼羅に描かれる五智如来のように、中尊を囲んで左右斜め前と後の四方に配置されていました。
そしてそれぞれのカラーと名前も持っていたのです。

  • 法界虚空蔵菩薩(中央・白)
  • 金剛虚空蔵菩薩(東方・黄)
  • 宝光虚空蔵菩薩(南方・緑)
  • 蓮華虚空蔵菩薩(西方・赤)
  • 業用虚空蔵菩薩(北方・黒)

色の部分はほとんどが失われていますが、宝光虚空蔵菩薩の緑色は今でもよく残っています。
それぞれの名前の由来は、持物を見るとわかります。
例えば宝光虚空蔵菩薩は如意宝珠、蓮華虚空蔵菩薩は蓮華を持っているんです。

顔の表情も、五体似ているようでなんとなく違っていて、個性があるんですね。

このように5体並んでいるのは東寺の立体曼荼羅に似ていますよね。
なので空海が構想を練って造ったのかと思いましたが、どうやらそういうわけではなさそうです。

神護寺に残っている記録によると、この像ができたのは、空海よりも後の時代です。
空海が世を去った翌年となる承和三年(836年)に仁明天皇が神寺内に宝塔院を建てることを発願され、840年に着工、845年に完成しています。
その時に宝塔院の本尊として造られたものでした。

五大虚空蔵菩薩を拝観するには、春と秋、年に二回の御開帳の時にだけ。
入山料とは別に500円の特別拝観料が必要です。

文覚上人

上で神護寺に深くかかわる人物として和気清麻呂を紹介しましたが、もう一人欠かせない人物がいます。
それが文覚上人(もんがくしょうにん)です。

神護寺は創建から300年後、鳥羽法皇の怒りに触れて全山壊滅の危機になってしまいました。
堂宇はことごとく破壊され、寺宝は持ち去られ、わずかに御本尊の薬師如来が残ったのですが、風雨にさらしながら残るのみだったのだそうです。

この状態から再興したのが文覚上人です。
現在残る寺宝のほとんどを文覚上人が取り戻したようですね。

しかし文覚上人のやり方は強引なところもあって、後白河法皇に荘園の寄進をお願いしたものの、なかなか聞いてくれないので、法皇の所に強引に押しかけて寄進を迫ったのだそうです。

その時法皇は管絃の遊びの最中で、ちょうど良いところで文覚上人が大声で勧進帳を読み上げ、調子を狂わされたのです。
取り押さえられた文覚上人は伊豆に流罪となりました。

実はその時に出会ったのが同じく流罪で流されていた源頼朝。
文覚上人は源頼朝に挙兵を勧めています。

平家が衰退すると後白河法皇からもお許しをもらい、荘園も寄進してもらいます。
更に源頼朝からの寄進もあって寺の財政は安定し、再興に向かうわけです。

源頼朝とはこのような親交があったので、神護寺には伝・源頼朝像が伝わっているんですね。

神護寺の境内には文覚上人のお墓があって、金堂の右後ろの山道を行くとたどり着きます。

文覚上人の墓への道

道はすぐに二手に分かれていて、右は和気清麻呂の墓、左が文覚上人の墓です。

和気清麻呂の墓は割と近いですが、文覚上人の墓はちょっと険しい山道になります。

文覚上人の墓への道

こういう道を約20分、不安になりながらも登り続けてやっとたどり着きます^^;

文覚上人の墓

こちらが文覚上人の墓。

文覚上人の墓

隣には後深草天皇の第四皇子、性仁親王の墓もありました。

なかなかきつい山道でしたが、ここにあるのはこれだけなので、誰ともすれ違うこともありませんでした^^;
やはりこんなマニアックなところにはわざわざ来る人はいませんね~。

ただ、ここからの眺めはなかなかのものでした。
写真では見えにくいですが、奥の方に京都市内が見える眺めが広がっています。

文覚上人の墓 眺め

御朱印

神護寺には

  • 仏塔古寺十八尊 第七番
  • 西国薬師四十九霊場 第四十四番
  • 神仏霊場巡拝の道 第90番

の御朱印が用意されています。

私はそのうち、西国薬師だけ頂きました。

神護寺 西国薬師 御朱印


神護寺には国宝や重文に指定されている文化財が多数ありますが、普通に訪れてもなかなか見れません。
5月1日~5日に行われる宝物虫払い行事に公開されますので、寺宝を観たい方はその時に訪れると良いですね。

高雄山 神護国祚真言寺のアクセス情報

正式名称 高雄山 神護国祚真言寺
別称 高雄神護寺
TEL 075-861-1769
住所 京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町5
開門時間 9:00~16:00
電車・バス
  • JRバス「山城高雄」下車 徒歩約10分
  • 市バス「高雄」下車 徒歩約10分
駐車場 なし(近くの民間駐車場を利用)
拝観料 大人(中学生以上):600円
小学生:300円
特別公開・注目の祭・イベント等 1月2日:初大護摩供 (明王堂本尊 不動明王公開)
8月16日:施餓鬼護摩供 (明王堂本尊 不動明王公開)
(※2月から7月と9月から12月は第二日曜日)
5月1日~5日:宝物虫払い行事
5月13日~15日:多宝塔特別拝観(五大虚空蔵菩薩像公開)
10月(第2月・祝)を含む3連休:多宝塔特別拝観(五大虚空蔵菩薩像公開)
11月1日~7日:大師堂特別拝観(板彫弘法大師像公開)
11月5日~20日:金堂夜間拝観と境内のライトアップ(17:00~19:00(参道は20:00まで)
公式サイト http://www.jingoji.or.jp/

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  • 営業時間:月、火、木~日、祝日、祝前日: 11:30~18:00
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