播州清水寺 楼門

「清水寺」といえば京都の清水寺が有名ですが、実は「日本三清水」と呼ばれるお寺があります。
京都の清水寺、鎌倉の清水寺、播磨の清水寺の三か寺です。

私は今回、兵庫県加東市にある播磨清水寺に行ってきました。

ご本尊は、大講堂の千手観音(西国三十三所の本尊)、そして根本中堂の十一面観音(30年に一度御開帳の秘仏)です。

播磨の山々に囲まれたお寺なのですが、境内は綺麗に整備されていて静かで居心地がよく、山の空気が美味しいお寺でした。

インドの僧によって開かた古刹

播州清水寺が開かれたはなんと約1800年前。
ヤマトタケルの父である景行天皇の時代、インドから来た「法道仙人」によって開かれたとされています。

歴史書に書かれる仏教伝来は聖徳太子の時代でおよそ1400年前。
それよりも前ということになりますね。

法道仙人が来る前、このあたりは水の乏しいでした。
神通力を持っていた法道仙人はこの地のために水神に祈願し、霊泉が湧き出るようになったのだそうです。
ここから「清水寺」という名前が付けられたんですね。

現在、清水寺の境内にはあちこちに水が湧き出ており、これらの水は、どんなに干ばつの年でも水量が豊かなのだそうです。

「法道仙人」については、一般的にはあまり聞かない名前かもしれませんが、播磨地方では数々のお寺を創建した伝説の人物なんです。
また、神功皇后が三韓征伐に出陣する時にも活躍していて、住吉明神の霊告で法道に戦勝祈願をさせているんですね。

ただし本当のところ、実在していた人物なのかどうかもわかっていません^^;
しかしこの地方には法道仙人の伝説があちらこちらに残っています。
不思議な話ですね^^

景観整備が行き届いた境内

播州清水寺は標高約500m、御嶽山のほぼ山頂にあります。
昭和の頃までは、山麓から十八丁、約2キロ、40分の坂道を登らなければいけなかったそうですが、今は山頂まで登山路が開通していて、車で仁王門前まで行くことができます。

下の写真は麓の登山路のゲート。
ここで入山料を人数分支払います。

播州清水寺 ゲート

ここから約3キロ、つづら折れの山道になるのですが、それほど傾斜を感じることもなく、道幅も一定の広さを保って十分、山頂まで綺麗に整備された道が続きます。

播州清水寺 登山道

昔はかなりの難所だったと思うのですが、今はラクチンですね^^

バスで仁王門前まで来ることもできるのですが、2016年5月現在、JR相野駅から神姫バスで1日2本しか出ておらず、駅から46分ほどかかるのだそうです。
ちょっとアクセスに不便なので、車での参拝がオススメです。

駐車場を降りると、そこが入り口の仁王門になっています。

播州清水寺 楼門

仁王さんはガラスの中。

播州清水寺 仁王 播州清水寺 仁王

タイミング良く現れたこの門ですが、元々はここにあったわけではありません。
以前は本坊横に繋がる旧参道にありました。

あった場所を下の地図に、赤字で示しました。

播州清水寺 旧仁王門
※ リーフレットから境内地図をお借りしています。

しかし、昭和40年に台風で全壊、昭和55年に場所を変えて、ここに再建したのだそうです。
駐車場の登山路は昭和50年に完成したので、車で訪れる人が多くなっていたのでしょうね。

門をくぐると参道が続くのですが、こちらもまた整った公園にいるようなきれいな道。

播州清水寺 参道

播州清水寺 参道

立派な石垣や石段もあります。

播州清水寺 石垣

播州清水寺 石段

味があって良い雰囲気です^^

境内にはペットを連れて歩いている人もちらほらいました。

楼門近くには清水茶屋というお店があります。

播州清水寺 清水茶屋

黒豆関係のお土産品などを販売していて、うどんやそばも食べられるようです。
店の横から2階に上がれるのですが、そこは展望台になっていて、播磨の山々の景観を楽しむことができます。

播州清水寺 景色

私が訪れた時は、晴れてはいたもののちょっとかすんで遠くまで見えにくかったのですが、もう少しクリアだったら播磨富士や一の谷、淡路島、小豆島まで見えるそうですよ^^

湿度が低い時に訪れると良いそうです。

ユニークな十二神将のいる薬師堂

播州清水寺 薬師堂

参道を歩いて、一番最初にたどり着くお堂が薬師堂です。

現在の薬師堂は昭和60年に復興されたものです。
元々のものは平安末期、平清盛の継母「池之禅尼」が建てたものでした。

清水寺は長い年月の間に兵火や落雷による罹災、台風など、再三にわたって火難にあっているんですね。
大正二年(1913)には、山火事がもとで全焼してしまったのです。

薬師堂もその時に焼けてしまったのですが、復興したのはなんと昭和59年。
かなり後ですね。

この薬師堂、実はちょっと面白い仏様がいらっしゃいます。
それが、東京藝術大学大学院教授で彫刻家の籔内佐斗司先生作の十二神将。

堂内の中心には薬師如来が鎮座していて、十二神将は壁面にいらっしゃいました^^

播州清水寺 十二神将

その中の一人、ビカラ大将を見てみると・・・

播州清水寺 十二神将

せんとくんに似ていますね。
実は籔内先生は、奈良県の「せんとくん」の生みの親なんです^^

だから他の大将たちも、やっぱり薮内ワールド♪
十二支がそのまま十二神将になっています。

播州清水寺 十二神将

作風で薮内先生だとすぐにわかってしまいますね(≧▽≦)

ここの十二神将は、平成13年(2001年)に安置したもの。
せんとくんは平成22年(2010年)に登場していますから、十二神将はそれよりも前に作られたものです。

一般的には、薮内先生はせんとくんが出てきてから有名になったと思うのですが、それよりも前からこのような作風のものを作っていらっしゃいます。

仏像のような感じはしないのですが、この世界観、賛否両論あるのかもしれませんが、私は好きです^^

西国三十三所の御本尊、行基作の千手千眼観音を祀る大講堂

播州清水寺 大講堂

聖武天皇の神亀二年(725)、行基に勅命がくだって大講堂が建立されたという大講堂。
大正二年の山火事で焼失した後、大正六年に根本中堂や本坊と一緒に復興されました。

斜面ギリギリのところに建つので、正面から全体が写るように撮る事はできません。
下は、根本中堂に続く背面の階段から写した写真です。

播州清水寺 大講堂

こちらの本尊は、大正時代に作られた千手千眼観音。
そして脇侍には地蔵菩薩と毘沙門天。
秘仏ではないので、いつでも拝観できます。

元々は、行基が彫った観音様を祀っていたようですが、火災で失ってしまったようです。

堂内は無料で入れて、外陣から拝む形になるのですが、拝観料100円で内陣に上がることができ、より近くで拝観することもできます。
接近できるほどではありませんが、外陣と内陣は格子の壁で仕切られている上、壁の前に色々と置かれているので、内陣に上がった方が拝みやすいです。

裏手には宝物が陳列されています。
代表的な宝物が、坂上田村麻呂が奉納したという三口の剣。

そういえば、仁王門の近くにも田村麻呂の奉納の様子を描いた絵がありました。

坂上田村麻呂

坂上田村麻呂は、京都に都を遷した桓武天皇のころの征夷大将軍です。

色々と功績があるのですが、その一つに鈴鹿峠の賊を退治したことが「今昔物語集」にあります。
その中に、清水寺の観音に祈って霊験があったとされています。

坂上田村麻呂といえば、京都の清水寺建立のスポンサーです。
その際、播磨の清水寺を真似たと言われています。

今でこそ京都の清水寺は有名ですが、こちらの方が古いんです^^

他にも、平盛久の念持仏とされる聖観音像や、平清盛の母(通説)、祇園女御が奉納したという寶鏡、そして弁慶ゆかりの碁盤などがありました。

弁慶の碁盤ですが、盤の中に石がめり込んでいたんです。
それは、弁慶が負けた悔しさから持っている石を抑えたところ、めり込んでしまったのだとか。
ここにも怪力の伝説が残っているんですね^^

それにしても、清水寺の宝物は、平家関連のものが多いのが印象的でした。

清水寺は平家の庇護を受けて建てられた伽藍が多いのですが、平家繁栄の礎を築いた平忠盛・清盛親子は播磨守でしたので、この地を大事にしていたんです。
なぜなら、平安時代の日本の国土は六十六ヶ国に分割されていて、その中でも豊かな土地を持っていたのが、播磨・備前・讃岐・近江でした。

官吏たちは、この4カ国のいずれかの国司に任ぜられるのを望んでいたんですね。

平忠盛はそのうち、播磨守と備前守を歴任して、財を蓄えることができました。
そして清盛も播磨守の立場は手放さなかったんです。

それだけ播磨の国を重要視していたわけですから、播磨の国の名刹、清水寺を大切に扱うのも当然な流れですね。

三十年に一度の秘仏、十一面観音を祀る根本中堂

播州清水寺 根本中堂

大講堂の後ろ、80段の階段を登ると根本中堂があります。

下から見上げると結構きつそうに見えますが、途中で地蔵堂や開運の鐘などがあって、立ち寄りながら登れますのでいつの間にかたどり着きます。

特に開運の鐘は、鐘楼の中に入って鐘を撞くことができますので、ぜひ立ち寄りたいスポットでもあります。

播州清水寺 鐘楼

中に入ると階段の上にさい銭箱があり、1回100円で撞くことができます。

播州清水寺 開運の鐘

播州清水寺 開運の鐘

さい銭箱の横には鐘を撞く時に唱える撞鐘偈文(どうしょうげもん)が書かれていましたが、なかなか覚えられない上に、鐘を撞く時は後ろになるので、カンニングできません(≧▽≦)
さらには、後ろに人が並ぶと、プレッシャーを受けてしまいますね^^;

そして、寄り道をしているといつの間に根本中堂にたどり着きます。

播州清水寺 根本中堂

大正二年(1913)に焼け、大正六年(1917)に再建された宝形造りで、法道仙人の一刀三礼で刻んだ十一面観音をお祭しています。
「一刀三礼」というのは、ひと彫りするたびに三回礼拝をするという、ものすごく時間のかかる彫り方です。

脇侍に毘沙門天・吉祥天女、いずれも一刀三礼です。
それだけ信仰の思いを込めて彫った仏様なのですが、こちらは三十年に一度御開帳の秘仏。
普段は固く閉ざした厨子の前に、お前立ちの像が立っています。

「お前立ち」というのは、ご本尊に変わる代理人みたいなものです。
秘仏になっている代わりに、代理人が要件を御本尊様に届けてくれるんですね。

本物はなかなか見れませんが、堂内には御本尊の写真がありました。
仏師が手掛けたような綺麗なものや迫力のあるものではなく、彫り跡がありありと残る、荒彫りな仏様でした。

そんな根本中堂の御本尊ですが、平成29年11月1日~11月30日に御開帳されるようです!

ちょうど紅葉の季節ですし、境内は紅葉の時期には綺麗になりそうな感じでしたので、またその時にでも訪れようかと思っています^^

祇園女御が建立したという多宝塔の跡

根本中堂からさらに奥には、多宝塔跡へ向かう道があります。
高い木々に覆われた道なのですが、少し歩くと石垣が積み上げられ、石段で登れるようになっている場所にたどり着きます。

播州清水寺 多宝塔の跡

この上に多宝塔があったのですが、現在はこんな感じ。

播州清水寺 多宝塔跡

確かに多宝塔であったであろう痕跡も残っています。

播州清水寺 多宝塔跡

明治四十年に焼失して、大正十二年に再建されたのですが、昭和四十年の台風で大破してしまったのだそうです。
この多宝塔を最初に建立したのは、平安時代後期、白河法皇の妃「祇園女御」。
保元二年(1157)に建ったのだそうです。

祇園女御は、法皇の御子をみごもったまま平忠盛の妻になった女性で、その子の清盛は白河法皇が父だといわれています。
ただ、史実の真偽はよくわかっていないんですよね^^

しかしこの塔は、清盛や平家一族の武運長久を願って建てたのだそうです。

大きな多宝塔といえば、滋賀県大津市にある石山寺の多宝塔(国宝)が有名ですが、清水寺の多宝塔は、その大きさをはるかに凌ぐものだったようです。

今は礎石しか残っていませんが、嬉しいことに再建予定なのだそうで、建ったところも見たいですね^^

多宝塔のそばには、九輪草(くりんそう)という珍しい花が咲いていました。

九輪草

清水寺の創建に関わる井戸

おかげの井戸

根本中堂の後ろの方には、「おかげの井戸」という、清水寺創建に関わる井戸があります。
こちらの藁ぶきの屋根に囲まれているのが「おかげの井戸」。

おかげの井戸

滾浄水(こんじょうすい)」ともいわれています。

おかげの井戸

法道仙人が法力で水をもたらした場所ですね^^
ここを覗いて、自分の顔が映れば、寿命が3年延びるという話もあります。

覗いてみると、水が豊富で簡単に私の顔を確認することができました^^

それにしても、清水寺の境内を歩くと、所々に井戸を見かけます。

大講堂の裏にある井戸。

大講堂裏 井戸

月見亭の横にも。

月見亭 井戸

こういう井戸は、枯れていることも珍しくないのですが、清水寺の井戸はどこも水が豊富。
今でもこんこんと水が湧く、という噂は本当でした^^

焼けてしまった仁王門

大講堂の横には、本坊に向かう下りの階段があります。
参拝順路の立札は本坊の方に案内するのですが、実はさらに下る道があるんですね。

播州清水寺 旧参道

この道は旧参道。
今でも歩いて登る人はここから上がってくるのですが、元々はこの先に仁王門があったのです。

古い仁王門は明治45年(1912)に焼けてしまい、大正九年(1920)に再建したのですが、昭和四十年(1965)の台風で壊れてしまいました。

リーフレットには何も説明されていませんでしたが、何かその跡が残っているはずだと思い、少し下ってみることにしました。

播州清水寺 旧参道

すると思った通り、礎石が残っているところがありました。

播州清水寺 旧仁王門

礎石の数を見ると、三間一戸の仁王門にピッタリですね。
その先には下りの階段が続き、獅子と狛犬も立っていました。

播州清水寺 獅子と狛犬

ちょっと山上からちょっと下りただけですが、戻りの道は結構ヘビー。
麓から歩いて登るにはなかなか大変でしょうね^^;

播州清水寺の御朱印

播州清水寺は3つの霊場の札所になっています。

  • 西国三十三所観音霊場 第二十五番札所
  • 播磨西国観音霊場 第二十一番札所
  • 播州薬師霊場 第十番札所

私はそのうち、西国三十三所の御朱印を頂きました。

播州清水寺 御朱印

御詠歌です。

播州清水寺 御詠歌

「あはれみや普き門の品じなに なにをかなみのここに清水」

と書かれています。

「あはれみや」は、「しみじみと考えてみると」の意味。
(あまね)き門の品じなに」は、観音経の普門品のこと。
「なにをかなみの」は「何もくよくよ悩むことはない」ということです。

というわけで、「しみじみ考えてみると、観音経の普門品を唱えていれば、何もくよくよ悩むことはない。ここに清水の観音様がいらっしゃいますから」という意味になります。

この歌を詠んだのは花山法皇ですが、法皇は、京都での天皇時代に、謀略によって2年足らずで退位させられるという、苦い思い出があります。

悲しみを抱えたまま西国三十三所の旅を続けていたのだと思いますが、こういう歌を詠んで自分を励ましていたのかもしれませんね。


私が訪れた日は5月5日の子供の日。
この日は大講堂で、釈迦の誕生仏が祀られていました。

清水寺では、5月5日~8日の間の最後の休日に仏の誕生日を祝う「花まつり」が行われます。
一般的には、4月8日がお釈迦様の誕生日で、その日に花祭りが行われるのですが、清水寺では古式にのっとって月遅れで行うそうです。

御本尊の前に、3~4等身の小さくてかわいらしい誕生仏が置かれ、外陣には甘露をかけられる誕生仏が置かれていました。
知らずに訪れたのですが、見れてラッキーでした^^

播州清水寺は、四季によって色々な顔を見せてくれるようです。
私が訪れた時は新緑の空気が美味しい季節でしたが、秋には紅葉が美しく、冬には雲海が見られることもあるそうです。

湿度の低い日には明石海峡大橋や淡路島も見えるそうで、次はそういうタイミングで訪れてみたいですね^^