山伏

「山伏」というと、昔話や時代劇によく出てきますよね。
どういうイメージを持っているでしょう?

山伏は、山に伏して(寝起きして)修行したことから山伏と呼ばれています。

山伏たちが行っている修行を修験(しゅげん)といい、その方法論や思想などを総じて修験道(しゅげんどう)というのですが、山伏たちは現在も活動していて、修験を行っているんです。

修験道の流派は主に3派あって、聖護院門跡を総本山とする「本山修験宗」、醍醐寺三宝院を総本山とする「当山派修験道」、金峯山寺を総本山とする「金峯山修験本宗」があります。

動じない心

この本は聖護院門跡の門主である宮城泰年師が書いた本です。
先日、聖護院門跡の節分会に行った時に出会った本ですが、なかなか読みやすい本でした^^

聖護院では毎年夏に、奈良県の吉野から和歌山県の熊野に向かう大峯奥駈修行(おおみねおくがけしゅぎょう)という山岳修行を行います。
ここは、修験道の祖である役行者が修行した聖地なのですが、この本はその大峯奥駈修行でどんな道を通り、どんな修行をしているのか、そしてその体験を通して、宮城泰年師が感じ取ったものや至った考え方が書かれています。

山伏って、どんな修行をしているの?

山伏が山に入ることを「峰入り」と言います。
峰入りしたら山をひたすら歩くのですが、何のために歩いているのか?というと、ずばり修行を通じて雑念を払い、心を清浄にするためです。

心の清浄を保つことは、仏の領域に入るということ。
つまり、人間の身体を持ち、生きながらにして仏になる即身成仏に繋がります。
自分が仏になれば、人々を救済することができるわけです。

山岳修行は、足を踏み外すと死んでしまうような岩山を登ったり、滝行を行ったりします。

下の動画はYouTubeで見つけたのですが、大峯奥駈修行の中でも大変と言われている、平等岩を登る様子です。

おそらく一般の方が先達(修行をサポートしてくれるベテラン山伏)の案内のもと、岩山を登っているのだと思いますが、見ているだけで足がすくんでしまいますね><

こういう修行をするのは大変なのですが、それを抜きにしても、そもそも山を歩きまわるだけでも大変な修行です。
まだ日も上がっていない暗いうちに懐中電灯を照らしながら出発して、日が暮れるころまで足元が不安定な場所を歩き続けるわけですからね。
身に付けた時計や、衣服ですら重く感じて、外してしまいたくなるほどつらい修行になるそうです。

山に入ると、

「サーンゲ、サンゲ、ロッコンショウジョウ」

と唱えながら歩きます。

「サンゲ」は懺悔のこと。
今までの罪過を懺悔します。

そして心を清浄にすることを六根清浄(ろっこんしょうじょう)と言います。

「六根」は、「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」の五感、そして「心」です。

つまり山岳修行は、今までの自分の行いを懺悔し、六根を清浄して、新しい自分に生まれ変わることを目的としているわけです。
普通の登山や体力トレーニングとの違いはそこですね。

六根がにごれば、欲望や執着、迷いなどが生まれます。

例えば、「生きる目的が見いだせない」という典型的な都会病がありますが、人工的な音や刺激、においばかりの都会にいると、感覚は鈍くなります。
大自然と生きている動物達と違って、今日を生きることは簡単ですよね^^;
「生きる」という感覚が当たり前かのようになり、鈍感になります。

でも、山に入ると五感を研ぎ澄ませないと危険が伴いますので、感覚が敏感になります。
とにかく「生きる」ために歩くしかない、危険な岩場も登るしかないわけです。

山のコンディションは日々変わりますので、慣れている人でも慢心していると足を踏み外します。
なので、自然と一体になることが必要で、そのためには自然の今の状態を五感で感じ取らなければいけません。

そのようにしながら無心で修行をすることで、「生きる」という欲求以外の雑念が消え、そういう体験を通じて五感が磨かれます。

「心」は五感から受け取る情報によって色々と状態を変化させますから、五感を磨くことで心の清浄化を図るわけですね。

人間は心の状態によってとる選択肢が変わりますから、修行を通じて心を磨けば、いつも見ている同じ世界も、違った世界に見えるようになるかもしれません^^

修行で「動じない心」が得られるの?

そもそも「動じない心」とは何でしょう?
この本ではこのように書かれています。

「動じない心」とは「動かされない心」であり、同時にまた「自在に動ける心」である。
逆に言えば、「動じる心」とは「動かされる心」であり、同時にまた「自在に動けない心」ということになる。

哲学的な話になりますね^^

人生には悩みがつきものですが、そもそも自分の置かれている状況に悩みや迷いを生じさせているものの正体は何か?ということを見極めることが、現状を打破するうえでは大切になります。
そのためには、今置かれている状況の真実を見極める力が必要です。

「真実を見極め、智恵を持って対処する」というのが仏教の教えのひとつにあるのですが、真実を見極めるには五感を研ぎ澄ますことが必要です。
五感が曇っていると、真実を正しく受け取れませんので迷いが生じ、正しく処理もできません。
そうなると心も歪んでしまいますよね^^;

そのためにも、五感を磨く、というのは大切になります。

そして、一度五感を磨き、心を鍛えて「動じない心」を得たとしても、放っておけばまた心の迷いが出てきます。
だから山伏たちは定期的にメンテナンスとして、山に入って六根清浄するわけです。
山というのは、五感を磨くのに最適な場所なんですね^^


私はこの本を読むまで、山伏が何をしているのかわかりませんでした。
山を歩くなら、登山やトレイルランニングのようなスポーツでも良いのでは?と思っていましたが、目的意識が違うと、山との向き合い方も違います。
別物なんですね。

そして修行から得られるものは、私は上に書きましたが、それはあくまで知識として理解した程度。
本当に実感するには「体験」を通さないと深まりません。
でも、実際に修行をしてみるとなると、体験レベルでも勇気が要りますね^^;

聖護院では、毎月1・21日に修験講習会を行っています。

興味のある方は訪ねてみてはいかがでしょうか?

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生きることの根本は「受容」である。受け容れてくれる人がいない社会。「向き合い」、「一体となり」、「呼吸を合わせ」、人を丸ごと受け入れる。最強の「山伏」が「修験」の教えを説く初の書き下ろし。